■節子への挽歌892:「夜がこんなに暗いとは」
「愛」と映画の話になると、いくらでも書けますが、次第に話題が節子から遠のいてしまいそうです。
でも私にはすべてがつながっています。
今日は「アラモ」です。
ジョン・ウェイン監督・主演の大駄作の西部劇大作ですが、3か所だけ私の好きな場面があります。
一つは前に書きましたが、アラモの指揮をとるトラヴィスがサンタアナ軍に宣戦布告する場面です。
もっと感動的なのが、アラモの陥落が時間の問題になり、義勇軍たちはアラモから出て戦おうということになるのですが、そのことを一番主張していたジム・ボウイが残って戦うというトラヴィスに同調する場面です。
言葉では書けませんが、ここは何回観てもあきません。
実に感動的で、この場面を見るために私は何回か映画館に足を運んだほどです。
残りの一つは「見せ場」ではないのですが、最初観た時から心に残った場面です。
ジム・ボウイが妻の死を知らせる手紙を受け取った後の、クロケット、そしてトラヴィスとのやりとりです。
「夜がこんなに暗いとは」
ジム・ボウイの言葉です。
なぜか学生の頃、この映画を観て以来、この言葉だけははっきりと覚えています。
もちろんその意味など、わかろうはずもありません。
ただただ心に残ったのです。
ところで、私の場合です。
節子がいなくなってから、夜が明るいのです。
前にも書きましたが、夜が不思議に明るく感ずるのです。
節子のせいだと思わざるを得ないほど明るいのです。
但し自宅にいるときだけです。
夜道ではそう感じたことはないのですが、自宅では夜もなぜか明るく感じます。
彼岸の節子が私の中に入ってきたために、夜の帳(とばり)が閉じなくなったのではないかというのが、私の受け止め方です。
この続きは長くなりそうなので、明日また書くことにします。
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