■現場から学ぶことに気づくことの大切さ
昨日の朝日新聞に、水俣病に取り組む原田正純教授のインタビュー記事が掲載されていました。
とても共感できる内容で、出来るだけ多くの人に読んでほしいと思い、ネットに掲載されるのを待っていましたが、この種の記事は掲載されないようなので、私が共感した部分だけでもと思い、引用させてもらいました。
ご存知の方も多いでしょうが、原田さんは熊本大学時代にいち早く水俣病に取り組み、とても誠実な対応をされてきた人です。
私はお会いしたことも、講演をお聴きしたこともありませんが、原田さんの書かれたものを読んで水俣病への関心を持たせてもらった一人です。
発言のいくつかを引用させてもらいます。
私の勝手な解釈は不要でしょう。
「日本では、国の裁判対策として研究費を研究者に出し、都合のいい研究が行われてきました。大半の裁判が終わり、政治決着すると、研究費はがばっと削られました」「住民を指導しようと現地に入った田中は、自分が学ぶことの方が多いと気づいた」「(昨年9月、原田さんたちは不知火海沿岸地域の住民を検珍しましたが)140人の医師が1日半かけて約千人を診ましたが、四肢末端の症状の割合は約8割あった。この程度の調査すら国はしていません。最近、潮谷前熊本県知事から『知事時代、不知火海沿岸住民の健康調査を環境省に求めたが、患者の掘り起こしになるからと言われ、拒否された』と聞きました」
「医学が進歩しても治らない病気はある。それを前に医者は何ができるのか。治らない病気こそ、なすべきことがいっぱいあると知りました。水俣病事件の反省は、きわめて社会的、政治的事件なのに、医学だけで解決しようとしたところにあります」
「その反省から、今の大学で水俣学を始めました。足尾鉱毒事件の田中正造の谷中学がヒントです。住民を指導しようと現地に入った田中は、自分が学ぶことの方が多いと気づいた。だから谷中学をすると。これは私のことだと思いました。水俣学はいろんな分野の研究者の知恵をもらい、患者さんから学ぶ学際的・総合的な研究です」
学ぶのはいつも専門家のほうなのです。
そして「現場」にこそ解決のヒントがある。
このことがあまりに忘れられています。
水俣病の話ではありません。
今の社会、そして私たちの生き方の話です。
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