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2010/02/02

■節子への挽歌884:伴侶の役割は暇を一緒に楽しむこと

節子
佐藤さんは暇なのか忙しいのかわからないとみんなから言われます。
節子からもよく言われた言葉です。
無責任ですが、私自身もそう思っています。
ただ「忙しい」というよりも、正確には「時間不足」ですが。

私の実感は間違いなく「暇」なのです。
時間がポコポコと隙間だらけという感じがするのです。
実際にやることのない手持ちぶさたに陥ることも少なくありません。
ところがその一方で、時間がなくて困ることもあるのです。
仕事もしくは「やること」に繁閑があるということではありません。
いつもほぼ同じ状況で、暇と時間不足が同居しているのです。

今も目の前にメモがあり、そこにはやるべき課題が20項目くらい書かれています。
すでに締め切り(約束)を過ぎたものもありますし、締め切り間際のものもあります。
いずれも早くやらなければいけないので、カードにしっかりと書き込んでいるのです。
そうしたことにきちんと取り組んだら、暇などないはずです。
ですが、繰り返しますが、やるべきことをたくさん背負いながら暇をもてあそぶ、おかしな時間を私は生きています。

そうした課題に取り組むのが嫌なのではありません。
みんな自発的に引き受けた課題であり、お金をもらって引き受けた課題ではありません。
いずれも「義務」ではなく「権利」なのです。
それに、取り組めばそれぞれにみんな面白いし、充実感もあるのです。
でも取り組めない自分がいます。

暇と時間不足ですが、最近、その暇のほうの過ごし方がどうもうまくないのです。
変な言い方ですが、むかしは「暇」を楽しめたのに、最近は「暇」の時間を過ごすとなんだか損をした気分になるのです。
その理由は明らかです。
節子がいないからです。

伴侶の役割は、暇を一緒に楽しむことだったのだと、最近気づきました。
節子がいない今、暇の時間はもう不要なのかもしれません。
働き蜂のように、時間不足にならないように、「合目的的」に時間を過ごすべきでしょうか。
いえ、それがいやだから47歳で会社を辞めてしまったのですから、いまさら「合理的」な生活は無理でしょう。
節子がいない暇な時間をどう過ごすか。
さてさて悩ましい問題です。

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