■(閑話休題)報道ファッショ
いつも以上に暴言なので、それに冗長なので、よほど暇な人だけ読んでください。
最近の「報道ステーション」を見ていると、完全に大政翼賛会的報道に切り替わったように思います。
昨年までは、私にはそれなりの批判精神を持っていたように思いましたが、いまはもう基軸のない単なる宣伝機関に堕してしまった感があります。
やはり企業などからお金を出してもらっていることの限界なのでしょうか。
ではNHKはどうか。
私のホームページに毎月投稿してくれている武田さんから最近よく電話があります。
武田さんは最近のNHKの解説委員の発言に怒りを感じているのです。
武田さんとNHKのやりとりは先月掲載しましたが、その続編を載せました。
もし時間があればお読みください。
私は、武田さんと違って、NHKは「国民の放送局」ではなく「国家の宣伝機関」と考えています。
ですから武田さんの議論は、サルに喧嘩を売っているような話に感じます。
あまり良いたとえではありませんが、相手を間違っているということです。
NHKは「御用情報局」ですから、ある権力の意向を斟酌して偏った世論を作るのがミッションなのです。
100年近く前に、国民を戦争に駆り立てたのはまさにそうした御用情報局でした。
まあそのことをみんな忘れてしまっている国民の寛容さは驚くほどです。
政治を良くしようと考えていた小沢さんと鳩山さんの政府は、無知蒙昧な世論によって壊されようとしています。
まあみんなでまた破局に向かうのも良いでしょう。
まさにアメリカ資本の望むところでしょう。
ここまで書いてしまうと、さらに書きたくなりました。
「御用情報局」と書きましたが、そもそもすべての存在は「御用的な」存在なのかもしれません。
学者の主流はすべて「御用学者」です。
大学は、詰まるところ「御用学者の宣伝機関」でしかありません。
国民を洗脳するのが彼らの役割です。
豊かに、幸せに暮らしていた人々を、働き蜂に育てるためにこそ近代の学校はつくられました。
寺小屋や私塾のような「学びの場」とは流れを異にしています。
学者が好む統計はもちろん「管理」のための手段です。
統計の原語は“statistics”ですが、これは “state”(国家) の“ist”(信奉する人)の “ics”(学)というわけです。
つまり国家体制を実現するための「御用学問」として出発しています。
そこから派生したのが、経済学、さらには経営学です。
彼らは生まれついての御用学者なのです。
念のためにいえば、そうしたことが悪いということではありません。
熊本水俣病で事実を隠した清浦某教授などはれっきとした犯罪者だと私は思いますが、彼にしても国家のために、産業発展のためにやったことです。
おそらく主観的には、「私利私欲」など無縁だったでしょう。
そこが恐ろしいところです。
ちなみに、今回の小沢さんの疑惑事件も、もしあったとしても、おそらく同じように、小沢さんにとっては「私利私欲」ではなく、国家のためのことだったと私には思えます。
検察や裁判官は何をやっても先ず罰せられませんし、元検事の堀田力さんが恥じらいもなく表明しているように、彼らには説明責任などは無縁なのです。
彼らは「超法規的」な存在なのですから。
報道機関も同じようなものです。
不正な報道はもちろん罰せられますが、いちど報道されてしまえば、それが事実であろうと事実無根であろうと関係なく、報道効果は実現できます。
ですから、報道機関もまた「超法規的」な存在といっていいでしょう。
石器時代は、豊かで幸せだったという人もいます。
つまり人間よりもサルが幸せだということです。
そのサルに喧嘩を売っては、勝負は目に見えています。
なんだかとんでもない「落ち」に行きつきました。
何しろこの時評は、書きながら考えているものですから。
長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。
また私の評価はきっと落ちてしまったでしょうね。
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