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2010/02/23

■自由と共同体

私よりも少し年長の方から電話がありました。
少し混乱した様子が伝わってきました。
いろいろと問題が集中して起こったようです。
年齢と共に、人生にはいろいろなことが起こります。
そして、次第にそれに的確に対応できなくなっていく。
それが人生なのかもしれません。

難解なので途中でダウンしている本があります。
ナポリの哲学者ロベルト・エスポジトの「近代政治学の脱構築」です。
解説文を読んで感動して読み出しましたが、歯がたちません。
途中で読むのを中断していますが、そこに書いてあったことを思い出しました。
よく理解できていないので、間違っているかもしれませんが、エスポジトは自由の語源は「愛情や友情」につながっていて、もともと共同体的な意味を含んでいるというのです。
もしそうであれば、個人の自主性だとか自律性とかは自由の本質ではありません。
彼は、そうしたことは自由とは正反対のものだと書いています。
そして、今では自由は所有権と同一化してしまい、自分に帰属するものの所有者である人こそが自由であるとされていることに、彼は危機感を持つのです。

何となくわかるような気もしたのですが、消化できずにいました。
私の得意な「大きな自由」論を使えば、すんなりと納得できるのですが、この発想は濫用してしまうと妥協できてしまうので、実践スキームではあるのですが、学習スキームではないのです。

ところが、今日の電話でなんだかすっきりできたのです。
一人だと解決できないことはたくさんあります。
その人はいろいろと友人が多いので、いろいろと相談をし、問題解決に取り組んでいるようですが、今回はあまりにいろんなことが起きたため、私にまであふれてきたわけです。
電話が終わった後、私にもしそういう状況が起こったらどうなるだろうかと考えました。
私も友人知人は決して少なくないのですが、果たして電話をかけられるだろうか、と悩んでしまいました。
やはり、そうした状況は起きた時に一緒に考え行動してくれる家族や近隣社会があるかないかで、全く違う状況になるでしょう。
自由に生きるとは、結局は人のつながりを大事にして生きることではないかと改めて気づいたのです。
その「つながり」も半端では役に立たないかもしれません。

もう一度、「近代政治学の脱構築」に挑戦してみることにしました。
それにしても日本では政治学者がしっかりと政治に関わる仕組みがないのが残念です。
いまの国会は、とてもとても「政治」などといえるものではありません。
私は今でも鳩山首相を高く評価してはいますが。

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