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2010/02/17

■節子への挽歌899:時間は愛の関数

節子
先日、お餅をあられにしたものをユカが炒ってくれました。
それを食べていたら、突然、歯に衝撃が走りました。
何が起こったかわからなかったのですが、少しして歯が真っ二つに割れてのに気づきました。
歯医者さんにいって、処置してもらいながら、不幸は思いもかけずに突然やってくるものだと思いました。

節子との別れも、突然でした。
客観的には決して突然ではなく、予想されていたことでしょうし、医師にとっては突然どころか予想以上に延びていたかもしれません。
私たち家族も、そうしたことは知っていました。
しかし、にもかかわらず「突然」だったのです。
愛する人との別れまでの時間を、無限に長く設定してしまっていたのです。
そんなことはありえないからこそ、無限の時間になるのですが。

節子と一緒の時間は、驚くほど速く過ぎました。
愛する人との逢う瀬は、いつも短く感ずるものです。
現在も過去も、愛する人との時間の進み方は速いということになります。

こういうことです。
愛する人と共有する時間は、過去と現在は速く過ぎ、未来は無限にゆっくりしている。
愛は時間を変化させるのです。

また訳のわからないことをと節子に言われそうですが、時間は愛の関数なのかもしれません。
もしそうであれば、時間はコントロール可能なものになるからです。
愛が深ければ時間は短くなる。
時間を長くするには愛を押さえればいい。
愛のない時間は確かにゆっくりと進みます。

節子がいなくなってから、時間の経過があまり感じられないのは、愛が具現化されていないからかもしれません。
愛がゼロなら時間もゼロというわけです。

なんだか少し混乱してきました。
しかし、愛と時間の関係はもう少し考える価値がありそうです。
まあ、こういう話は節子の好みではなかったのですが、それでもよく話し相手にはなってくれました。
生活を長年共にしていると、夫婦は言葉以上のものをコミュニケーションしあえるようになります。
言葉は、その一部でしかありません。
言葉ではわけのわからない話をしていても、きちんと何かが共有でき、何かが生まれるのです。
コミュニケーションもまた、愛の関数なのかもしれません。

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妻への挽歌05」カテゴリの記事

コメント

> 愛する人と共有する時間は、過去と現在は速く過ぎ、未来は無限にゆっくりしている。

私も同じように感じています。
そして、このタイムラインは1本ではないようです。
関わる人の数だけ、タイムラインが存在します。
いくつもの時間の帯が一箇所で交わっていて、その交わった点の上に
自分が立っているのだと感じています。
愛する人との時間は止まってしまったけれど、その他のタイムラインに
救われています。
時間って、本当に不思議です。

ところで、最近「Twitter」のリンクが登場しましたが、
つぶやいていらっしゃるのでしょうか?

投稿: いろは | 2010/02/21 08:18

いろはさん
ありがとうございます。

>ところで、最近「Twitter」のリンクが登場しましたが、
つぶやいていらっしゃるのでしょうか?

実はいつの間にかついてしまっていました。
やっていないので、解除したいのですが、方法がわかりません。
そんなわけで、つぶやきはないのです。
このブログそのものがまあつぶやきですので。

投稿: 佐藤修 | 2010/02/21 08:58

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