■節子への挽歌886:東寺
今日は節子の65歳の誕生日なのですが、大阪に出かけていました。
いま帰りの新幹線です。
節子がいなくなってからしばらくは、新幹線にも乗れなかったのですが、最近はあまり抵抗なく乗れるようになりました。
節子と最初に新幹線に乗ったのは結婚前でした。
今で言えば、婚前旅行でしたが、行き先は私の両親の家でした。
以来、何回新幹線に乗ったでしょうか。
しかし、東海道新幹線には「仕事」のイメージが強すぎて、あまり好きではありません。
会社時代は、多いときは週に何回か往復することさえありました。
私は新幹線に乗っている時間の使い方が下手でしたので、一人で新幹線に乗るのがいつも苦痛でした。
それに比べて、節子と一緒に乗る新幹線はとても楽しかったです。
節子はいつもおやつを用意していて、頃合よくそれを出してきましたし、話も途切れることがありませんでした。
今から考えるといったい何を話していたのでしょうか。
どうせたいした話ではないでしょうが、話は途切れることはありませんでした。
2人とも小食でしたから、一つのお弁当を2人で分け合って食べたことも少なくありません。
それもまた今となっては思い出の一つです。
京都に着きました。
左手に東寺が見えています。
実は、この東寺はいつか節子と行こうと思いながら行けなかったお寺の一つです。
もう行くことはないでしょうが、そこには空海の曼荼羅配置の須弥壇があるというので、行かずに終わったことがとても残念です。
まあいけばいいだけの話ですが、節子と行こうと思っていて行けなかったところには、行く気が起きてこないのです。
世界を変えてしまうような気がするからです。
話がそれました。
まもなく列車は大津を過ぎて、瀬田川を渡ります。
ここにも思い出が山のようにあります。
私たちがいっしょに暮らし始めた瀬田の神領の家の周辺が、新幹線から見えるのです。
あの頃が私たちの一番輝いていた時代だったのかもしれません。
奔放に、気ままに、少し社会から逸脱して、生きていました。
わずか1年ほどでしたが。
こんなように書き続けていったら、東京まで続けなければいけません。
でもこれから新幹線は琵琶湖沿いに走ります。
ここには思い出が多すぎで、この新幹線の速度では書くのが追いつきません。
それに書き出すと、もしかしたら寂しさがつのりかねません。
このあたりで、今日の挽歌はお終いにして、後は節子と一緒に車窓を楽しもうと思います。
いまは5時少し過ぎです。
自宅に帰ってからブログにアップします。
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