■地獄への道は善意の絨毯で敷き詰められている
「地獄への道は善意の絨毯で敷き詰められている」とは有名な言葉です。
最近、その事をまさに実感させられる体験を、2つもしています。
一つはNPO関係で、一つは企業の世界で、です。
あまりに生々しいので、具体的には書けませんが、善意とは何だろうかと考えてしまいます。
私は「大きな」という形容詞が大好きです。
別に拡大志向や成長志向があるわけではありません。
例えば、もう大昔ですが、1970年代に女性の社会進出が話題になっていたころ、女性は論理的ではないというような論調が広がったことがあります。
そうした議論で私が主張していたのは、「大きな論理性」でした。
女性の論理の組立は男性のそれとは違うだけであって、むしろ女性のほうが大きな視野で考えると男性よりも論理的だという主張でした。
だれからも指示されませんでしたが。
10年ほど前に始めたコムケア活動というのは「大きな福祉」を標榜しました。
福祉に大きいも小さいもないと怒られましたが、これは今では共感してもらえる人が増えてきました。
平和論でも、大きな平和を私は目指しています。
隣の人と仲良くすることから始める平和です。
人からはそれこそ「小さな平和」ではないかと笑われています。
でもとなりの人に声をかけることから、平和は始まるのだろうと思っています。
さて「善意」です。
今週、そうした「善意」の人やその善意の人に関わる「善意」の人に何人か会いました。
全く別の分野の人で、もちろん取り組んでいる課題は全く違います。
しかし、そうした人たちと話していて、共通のものを感じました。
ああ、これは「小さな善意」なのだということです。
ややこしいのですが、「小さな善意」「小さな親切」の大切さがよく言われます。
私もそうしたことに大賛成なのですが、どうもそこで語られる「小さな」とは別の「小さな」がありそうです。
もう少し整理しなければいけませんが、その善意がどこまでの世界の広がりを感じているかが大切なのです。
最近、「うれしい話」を少し書いてきましたが、そうした事例から「大きな善意」を読み取ってもらえるとうれしいです。
「善意」は両刃の剣なのです。
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