■大量殺戮は医学倫理の存在のひとつの結果
昨日、このブログを読んでくれている人から「佐藤さんは社会を難しく考えすぎているのではないか」といわれてしまいました。
どちらかというと私は物事をシンプルに、言い換えると、そのままに受け容れるようとしているのでいささか意外だったのですが、まあそう感じられるとしたら、それもまた事実なのでしょう。
複雑さとシンプルさは、時に同じものでもありますから。
ところで、今日はまた、社会をますます難しく考えているといわれるような話です。
一昨日、エスポジトの「近代政治学の脱構築」に触れました。
それが契機でいま読み直しています。
前と違って、今回はかなりスムーズに頭に入ってきます。
といっても、なにしろ近代史や哲学の素養がないものには、かなり難解ではあります。
それを読んでいるうちに、とても強烈なメッセージに出会いました。
ナチズムと現代社会に関する記述です。
今の社会状況にあっては、ナチスが展開した「生の保護と死の生産の結合」が世界的に構造化されているというのです。
舌足らずで申し訳ないのですが、こういうような文章が出てきます〈一部表現を変更しています)。
ナチスは、ドイツという国家の健康を気遣うあまり、医師たちは死をもたらす切開手術を、その肉にほどこしたのだ。つまり医師たちは、公衆衛生の促進にとって不必要で有害だと見なされる人物たちの死刑執行人となったのだった。そして、大量殺戮は医学倫理の存在のひとつの結果だった、というのです。
この文章だけ読むと理解しづらいと思いますが、そのことがとても説得力を持って語られています。
この文章に出会って、いろいろなことを感じました。
医療問題への根本的な問いかけであると同時に、これは福祉問題への取り組みへの根本的な問題提起でもあり、私たちと国家との関係への鋭い切り込みでもあります。
いわゆるコラテラル・ダメッジの世界なのです。
コラテラル・ダメッジは、決して国家の専有物ではなく、個人の生き方においてもそこからは逃げられないものであることに気づきました。
そう思って、自らの生き方を少し考えてみると、なんとまあ都合のいい生き方をしていることか。
藁ながらやはり嫌悪感がでてきます。
ナチスはまだ終わっていないことに気づかされました。
水俣病が終わっていないのと同じように。
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