■節子への挽歌895:伴侶がいなくなることの戸惑い
湯島のオフィスはいま、「自殺のない社会づくりネットワーク」の事務局になっています。
そのため、時々、知らない人から電話がかかってきます。
先日、電話に出た途端に押し殺すような女性の声が耳に入ってきました。
搾り出すような声で、同じ状況の人と話したい、というのです。
自死遺族の会のことをお伝えしました。
その方は電話されたでしょうか。
いつもこうした電話を受けた後は心が残ります。
いっそ、ここで相談対応をしたいという気にもなりますが、その自信はありません。
電話してくる人の気持ちが痛いほどよくわかり、引き込まれそうになりますから、相談者にはたぶん向いていないでしょう。
節子
伴侶を失うことの辛さは、その原因によらず、たぶん歩き方がわからなくなることです。
彼岸と此岸の違いはあっても、節子もそうだったかもしれません。
逝った者と逝かれた者とは、つねに相似的な関係ですから。
原因が何であろうと、またたとえ離婚などで相手が元気であろうと、伴侶との別れの辛さは変わらないのではないかという気がします。
但し、名実共に伴侶になっていた場合のことですが。
原因の所在がどちらにあろうと、意味を持っているのは「伴侶がいなくなった」という、その一事だけだからです。
しかし原因が「自殺」の場合は、突然すぎるために、歩けないどころが「じっとしていられなくなる」のかもしれません。
数人からの電話しか受けていませんが、そんな気がします。
にもかかわらず、最初の一声を聞いただけで、何か通ずるものを感じるのは不思議です。
時間がたつと余裕ができてくるためか、自分をカバーできますが、その直後は素直な反応がそのまま出てしまいます。
だから、声の表情の後ろが感じられるのです。
人の脆さ、人の哀しさ、人の優しさ。
それはたぶん体験した者のみが、改めて覚醒させられる、人間の本質かもしれません。
その心身が維持できる社会であれば、みんなどんなに幸せに過ごせることでしょうか。
それこそが、まさにユートピア。
そうした電話のたびに、私の心身は震えます。
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