■節子への挽歌918:「最初の1行は神からくる」挽歌編
「詩の最初の1行は神からくる。2行目からは人が作る」という言葉があるそうです。
だれの言葉かがどうもわかっていないようですが、とても印象に残る言葉です。
詩もそうでしょうが、文章はすべてそうなのではないかという気がします。
この挽歌もそうです。
パソコンに向かうとほとんどの場合、言葉がでてくるのです。
そしてそれに従って書いていく、それがこの挽歌のつくりかたです。
もっとも私は「神」には違和感があり、むしろ私風にいうと、
「最初の1行は外からくる。2行目からは自分が作る」
という感じですが。
私にとっての「外」は、最近では「節子」です。
節子の思いが私を動かしていると感ずることも少なくありません。
その「節子」はしかし、単なる媒体なのかもしれません。
こういうことです。
私は節子との絆によって、節子とつながっていました。
節子はまた、私以外のだれかと絆によってつながっていたでしょう。
両親や兄弟姉妹、仲の良い友人、その度合いは違っても、いろいろな人と心でつながっていたはずです。
そうした節子を通したたくさんの生命や思いが、節子を媒体にして私に働きかけてくるということです。
もちろん私には節子とは別の絆の媒体はありますが、いまは節子へのルートが圧倒的に大きくなっているが故に、節子を通してつながっている「外の世界」の影響が大きいのです。
パソコンの前に向かうと書く文章が浮かんでくる。
いまもどこかで節子とつながっている気がします。
もっとも何も浮かんでこないこともないわけではありません。
その時は、節子は何をしているのでしょうか。
今日は、時評編もこの話題を書くことにします。
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