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2010/03/06

■「JANJAN NEWS」の休刊

最近、新聞やテレビのニュースもあまり見なくなりました。
新しい事実がなにも語られていないのではないかという気もしてきているのですが、一番の理由はどうも違和感をもってしまうからです。

社会構成主義というのが、一時期、話題になったことがあります。
社会に存在する事実や物事は、客観的事実ではなく、すべて人々の頭の中で(感情や意識の中で)作り上げられたものであり、そうしたことの社会的コミュニケーションによって支えられている、という理論です。
とても納得できます。
狭い家庭内での物事であれば、ある程度、現場も確認できますが、新聞やテレビで話題になるような事件や物事については、私たちは必ず「誰かの目と頭」を通して知るわけですから、客観的などということがあるはずもありません。
すべては、「つくられたもの」でしかありませんが、私たちはそれを事実だと思いがちです。
そうしたことに気づけば、今起こっている様々な政治事件や経済事件、時には犯罪でさえも、事実とはほとんど切り離された物語でしかないことに気づかされます。

であればこそ、さまざまな目と頭での報道が重要になります。
大新聞やテレビがお金に影響されていることはいうまでもありませんので、それに対する抵抗力としての報道機関や情報流通システムが大事になってきます。

市民ジャーナリズムとして期待され、私の知人友人も何人かその記者をやっていた日本インターネット新聞社の「JANJAN NEWS」が今月で休刊になります
休刊のお知らせによれば、「急激な広告収入の減少」「WEBサイトの技術的遅れ」「マスコミなどでの市民視点の取り込みの動き」と書いてありますが、その背後になにがあったかということで、いろいろなメーリングリストで憶測記事が流れています。
そうした情報のほうが、私には納得できます。
つまり市民ジャーナリズム潰しの動きです。

私の書いている、この程度のたわいのないブログにさえ脅しや嫌がらせはきますので、市民ジャーナリズムにはたくさんの嫌がらせが届いていることは想像できます。
メーリングリストでさえも、仲間内の惨めな誹謗中傷や嫌がらせの投稿は少なくありませんから、異論をつぶそうとするのは人間の業なのかもしれません。

しかし、市民ジャーナリズムが育っていかないのはとても残念な気がします。
「JANJAN NEWS」は休刊になりますが、これまでの記事は読めるはずです。
ぜひ多くの人に読んでもらいたいです。
大新聞やテレビがいかに偏った報道をしているか、きっとわかってもらえるはずです。
もちろん「JANJAN NEWS」も偏っていますが、多様な視点で物事を見ることが、今のような変革期には大切なのだろうと思います。

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