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2010/03/24

■節子への挽歌934:セロトニン

「自殺のない社会づくりネットワーク」では毎月、交流会をやっています。
先日の交流会で、自死遺族の人の「怒り」や「自責感」が話題になりました。
家族の自死を思いとどめさせられなかった悔いは、やり場のない「怒り」や「自責感」へとつながるのでしょうが、こうした話題はこの交流会でも時々でます。
しかし、そのたびに、私もまたあまり冷静ではいられなくなります。
節子は病気でしたが、それでも節子を守ってやれなかった自分への「怒り」や「自責感」は、とても大きく、今もなおそこから抜け出られません

がん治療の技術が進んだという報道を見るのもつらければ、がんは治るなどという文字を見ると、心が萎縮します。
節子を守れなかった自分がとがめられているような、そんな思いに落ちてしまうとしばらくは立てなくなってしまいます。

その思いを自由に発散させることが大切なのかもしれませんが、その一方で、その思いを語ることがまた自己弁護のような気がしてきて、口にした途端に自己嫌悪に落ちるのです。
この挽歌も、実は何回も書くのを止めて、3日目にしてやっと書き上げました。

ところで、他者の自責の念に出会うたびに、その過剰さを思うのですが、自分のことになると自責の念をどんどんと掘り下げたくなるのです。
こうして人は自らを責めて、奈落へと迷い込むのでしょうか。
それとも、責めていった先に、世界は開けていくのでしょうか。
感動の涙はセロトニンを創りだし、人を元気にすると言います。
自責の涙もセロトニンを生みだすのかもしれません。
もしそうであれば、過剰すぎるほどの自責に苛まれるのがいいのかもしれません。

今日は雨。
自責にはぴったりの日です。
雨は天の涙ですから。

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