■節子への挽歌924:私のための節子の生と死
節子
節子の生は、私のためのものだったのではないかと思うことがよくあります。
だとしたら、節子の死もまた、私のためのはずです。
そう思うと、節子への感謝の気持ちと不憫さとで、胸が苦しくなります。
あまりにも身勝手な生き方をしていた自分への怒りもあります。
「節子のために生きている」などと言いながら、現実は正反対だったわけですから。
しかしもし、この命題が正しいとしたら、私と節子を入れ替えても成り立つはずです。
私の生は節子のためのものであり、私の死は節子のためのものである。
ですから、正反対だったなどと後悔しなくてもいいでしょう。
それに、私の生の基準は、節子のためにこそあったのは、間違いない事実です。
もっともそれが的確に行われていたかは、自信はありませんが。
この2つの、もしくは4つの命題は、節子がいなくなった今も成り立つはずです。
いまもなお、私は節子のために生き、いつか節子のために死ぬわけです。
節子がそうであったように。
節子がいなくなった「不幸」は、おそらく誰にもわかってもらえないでしょう。
わかってくれるのは、おそらく節子だけです。
だから節子は最後の最後までがんばってくれたのです。
そう思うといろいろのことが見えてくる気がします。
節子のいない社会を生きることは、かなりさびしいものです。
しかし、節子もまた同じように、私のいない世界に行ってしまいました。
節子の不幸、さびしさもいかばかりでしょうか。
それが私の不幸をさらに高めます。
もし節子が彼岸で幸せにしているのであれば、どんなに安堵できることでしょう。
しかし、そうしたことは絶対にありえないのです。
なぜなら私はいま、節子の不在だけでこれだけの寂しさと不幸を味わっているのですから、節子もそれと同じ状況にあるはずです。
だんだんややこしくなってきましたが、節子なら「はいはい」と言って聞き流すでしょうが、
しかし、私たちは、いつもシンメトリックな存在でした。
おそらく今もなお、そうでしょう。
対角線の向こうに節子がいつも見えているような気がします。
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