■節子への挽歌930:どんなニュースの後ろにも節子がいます
地下鉄サリン事件から今日で15年目。
大変不謹慎ですが、毎年この日になると思い出すのが、家族で行ったトルコ旅行です。
カッパドキアに向かうバスのなかで、その情報が入ってきました。
もしその時にトルコに旅行していなかったら、私も娘も被害に会う可能性がゼロではありませんでした。
そんな話をしたのを覚えています。
この旅行は家族4人で出かけたのですが、直前に娘と節子が体調を崩し、出発間際に娘が行きたくないと言いだしました。
自分も体調が悪かった節子が娘を説得してくれました。
迷ったら行動する、というのが節子の哲学でした。
いろいろと思い出のある、最後の家族海外旅行でした。
トルコは、おそらく節子が一番気にいったところだったと思います。
過去の大事件の報道は、それぞれの家庭の事件にもつながっています。
その時の自分たちの生活が、その事件と重なって思い出されます。
地下鉄サリン事件に巻き込まれた親戚や友人知人はいないこともあって、私の場合、地下鉄サリン事件はトルコ旅行での節子を思い出す契機なのです。
事件に限ったことではありません。
風が吹けば吹いたで(今日は今も強い風が吹いています)、節子に関わることを思い出しますし、桜の花を見るとまた節子を思い出します。
笑われそうですが、いつも、節子、節子なのです。
未練がましいわけではないのです。
なぜか自然と事あるたびに節子が出てくるだけの話なのです。
どんなニュースの後ろにも節子がいるのです。
そのために節子から離れられないのかもしれません。
どちらが因で、どちらが果なのかわかりませんが、私にはまだ、節子と世界がくっついてしまっています。
世界を共有していた伴侶がいなくなると、歴史の意味も変わってしまうようです。
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