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2010/03/22

■節子への挽歌932:念仏

遅くなってしまいましたが、お彼岸のお墓参りに行きました。
昨日まで天候不順だったためか、お墓参りの人がたくさん来ていました。
墓地もまた昔は社交の場だったのだろうなと思います。
人は死んでなお、人と人とをつなげる存在なのです。

それにしても一昨日、昨日と、風がとても強く、一昨日の夜などは家が飛んでしまうのではないかと思うほどの強風でした。
彼岸の入り口が開いて、そこから此岸に風が吹き込んできているような感じでした。
その風が此岸の汚れをすべて吹き飛ばしてくれたように、今日は気持ちの良い日になりました。

ところで、つい最近知ったのですが、「念仏」とは「今の心に仏」と書きます。
先日、テレビの「こころの時代」で法然のことを語っていた町田宗鳳さんから気づかせてもらったことです。
念仏を唱えている時、心に仏が居る。
とても納得できます。

法然は、称名念仏で浄土に往生できるとする浄土宗の開祖です。
自らが念仏する声を、自身が聞くことによって、仏に願われている存在であると確認し、生きる力を得るとも言われます。
そうした「念仏のちから」を私が体験したのは、節子の実家での法事に参加してからです。
節子の実家は浄土真宗でした。
法然の弟子の親鸞が開祖で、結婚した頃、お寺のご住職が親鸞のある本を探していたのですが、たまたまその本を持っていたので差し上げたこともあります。
そんな話を知っている人はもう誰もいませんが。
当時、私も少しだけ親鸞に興味を持っていたのです。

節子の実家の法事に出て驚いたのは、みんなが一緒に長い経文を読経することでした。
まあ念仏とはちょっと違いますが、声に出すことの、そしてそれを聴くことの効用を体験したのです。
たしかに、その時、心に仏を感じます。
そして、その仏の向こうに、故人を、節子を感じるのです。
そこでは、仏と節子と私が一体になっています。

法然は、念仏によって浄土に往生できると言いましたが、私には念仏によって浄土を引き寄せられるような感じがします。
いずれにしろ、念仏、声明、読経は、愛する人を失った者へ大きな力を与えてくれます。
「今の心に仏」という文字の形を知って、そのことの意味がとても腑に落ちました。

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