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2010/03/18

■節子への挽歌928:人は強くもあり弱くもある

節子
人は強くもあり弱くもある、そんなことを最近痛感しています。

昨日は数人の方が湯島に来たのですが、そのうちの、少なくともお2人は最近身内の大きな「不幸」に見舞われた人です。

お一人は、私と同じく伴侶を突然に亡くされました。
でも、そんなことは微塵も感じさせずに、そのことを知らなければ、だれも彼の心の奥底には気づかないでしょう。
事情を知っていればこそ、ちょっとした仕草に、奥底の思いを感じ取れるのですが、そこに触れることはたぶん彼の思いには沿わないでしょう。

その人のことをどれだけ知っているかで、同じ言動が全く違ってくることを、最近いろいろと体験しています。
以前、この挽歌でも、私の表情(元気そうか哀しそうか)はその人の思いの反映ではないかというようなことを書きましたが、立場を代えて、今はそう確信しています。

もう一人は、身内に大変なことがいろいろ立て続けに起こっている人です。
その人もまた、そうしたことを明るく話してくれるのですが、言葉の奥にある真意もまた伝わってきます。
これまでそうしたことを決して口にすることのなかった人であればこそ、その思いをますます強く感じます。
こういう時に人は死を考えるのでしょうか、と冗談めかして話す口調の奥にも、心の深遠を見る気がします。

私自身の状況が、そうしたことに少しばかり感度を高めているからかもしれませんが、そうした人と話すことが最近多いような気がします。
そして、その度に思うのが、人は強くもあり弱くもある、ということです。
同時に、強さも弱さも結局は同じなのだとも思います。

「人の言動は心の中の多様さを映し出す」とレオナルド・ダ・ヴィンチは言ったそうですが(かなり不正確ですが、主旨は合っていると思います)、そのことが最近少しわかるようになりました。
節子がいた頃は、そうしたことに全く無頓着で、節子の心の奥底などは感じようともしませんでした。
愚鈍で薄情な夫でした、
節子はどうだったでしょうか。
病気になってからの節子は、驚くほどに感受性を高めていましたから、私の心の奥底も見透かしていたことでしょう。
それに応えられなかった自分が、実に恥ずかしく惨めです。

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