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2010/03/15

■節子への挽歌925:止まってしまったトレッドミル

昨日、節子がいなくなった「不幸」はおそらく誰にもわかってもらえない、と書きながら思い出した言葉があります。
「幸福のトレッドミル」です。

人の満足度(幸福感)は際限がないほどに深いという話です。
どんなに幸せで満足な状況になっても、人はすぐにその状況に慣れてしまい、欲望を強めて、さらなる満足を求めだすのです。
つまり、いつになっても幸福は実現されないわけです。
これを「幸福のトレッドミル」とか「欲望のトレッドミル」と言うそうです。
トレッドミルとは、ハツカネズミなどが回す踏み輪のことです。
昔は縁日などでよく見かけたものですが、最近はスポーツジムで人間がやっています。
この2~3世紀の経済が急成長したのは、「欲望のトレッドミル」を普及させたおかげですが、このことは時評編で書くことにします。

人は、幸福にすぐ慣れてしまう特性を持っていますが、不幸にも慣れる能力があるといいます。
人類が生き残っていくために進化の過程で獲得した能力だという人もいますが、たしかに状況に適応する能力が高ければ生き残っていく確率は高くなります。
人類の進化などという大きな話でなくても、私たちの「生きやすさ」にも直結しています。
不幸に落ち込んでいると人はますます不幸の下り坂を滑り落ちがちです。
これは「不幸のトレッドミル」と言ってもいいでしょう。
私たちが乗っているトレッドミルは、前後双方に向いているのです。
もっとも、幸福も不幸も、結局はその人の考え次第ですから、客観的に幸福や不幸を分けることはできません。
ですから、実は「前後」に見えるようでいて、それは同じ方向を向いているのかもしれません。
以前も書きましたが、幸福と不幸とは結局は同じものなのです。

私にとって、いまのところこうしたトレッドミルは止まっています。
節子がいなくなってから、不幸も幸福も根本から感じなくなってしまったために、私の足踏みが止まってしまったのです。

いろんな人から私は「幸せだね」と言われます。
自分でもそう思います。
それは、今日の時評編に書いた、「不失其所者久」の生き方ができているからです。
しかし、ありのままに生きてはいますが、節子がいなくなってから、私の世界から「不幸」や「幸福」が無くなってしまったのです。
不幸も幸福もない不幸。
それをわかってくれるのは、節子だけだろうと思います。

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