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2010/03/13

■節子への挽歌923:まあるくなったカミソリの刃

節子
名古屋に行っていました。
自殺を思い留まった人たちの自立を支援する活動をしている人たちの集まりを開催したのです。
おそらく今回の集まりも、これまであまりなかった集まりでしょう。
いつもながら、とても考えさせられます。
昨日は企業や行政の人たちの集まりに出ていましたが、世界がまったく違います。
飛び交う言葉がまったく違います。
私には今日の集まりのほうが居心地がいいです。
そこに人間があり、心があり、現場があるからです。
涙もあります。
お金はあまりありませんが。

10日の時評編で紹介した、初めて新幹線に乗るという群馬のホテルの社長と東京駅で待ち合わせました。
彼は1時間も前に心配で東京駅に着いていたようです。
新幹線に乗れなくても、豊かに生きていけますよ、と彼は言います。
まったくその通りです。
企業の世界と生活の世界の大きな差を感じます。
お金持ちの貧しい世界とお金のない豊かな世界です。

企業にいた頃の私を、「カミソリのように切れるビジネスマン」と書いてくれたライターがいます。
幸いにその本はあまり売れなかったので、誰の目にも止まらなかったでしょうが、そんな時代もあったのです。
その私が、ビジネスの世界から離脱し、生活の世界に移れたのは、節子のおかげです。
節子は、私のカミソリの刃をまあるくしてくれました。
そのおかげで、私の世界はとても豊かになり、生活の人になれたのです。

節子がいたら、最近の私の生き方をどう評価してくれるでしょうか。
まだまだ理屈が多くて、自分を出しすぎるというでしょうね。
節子が元気だった頃、私はいつも節子に注意されていましたから。
先生がいなくなったのが、とても残念でなりません。
注意してくれる人がいないのも残念ですが、なによりも、褒めてくれる人がいないのがさびしいです。

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