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2010/03/03

■自己と非自己

いまある組織のリノベーションに関わっていますが、そこではトップに権限と責任が集中しすぎてしまったために、時代の変化に柔軟に対応できないまま業績がダウンしてきてしまっていました。
関係者みんな善意の人なのですが、その善意さがマイナスのスパイラルになっているように思います。
こういう組織は決して少なくありません。

免疫のことを前回書きましたが、免疫とは要するに自己に「非自己」を取り込むことといっていいでしょう。
これは多神教の世界の文化です。
一神教の世界観からは出てきません。
一神教の世界で育ってきた近代の組織は基本的にピラミッド型です。
一元的なリーダーシップと強い規範が組織を管理していくスタイルです。
その組織原理が、いま見直され出しています。

会社時代に私が考えていたことは、異質性をどれだけ包摂しているかが組織の強さを決めていくという考えでした。
そこでは「したたかさ」と「しなやかさ」がポイントになりますが、会社時代にそのことをしっかりと共有できていた人は残念ながら一人しかいませんでした。
異質性の排除が組織管理であり、それこそが「強い組織」を作ることだと思っている人が、当時も少なくなかったのです。
おそらく「強い機械」はそうでしょうが、人間が生みだす組織は、異質性が多いほどたぶん豊かで強くなっていくはずです。
そしてなによりも、持続可能性が高いでしょう。
ただ残念ながら、そうした多様な異質性を束ね、シナジーをあげていくのが難しいために、実際にはそう簡単にはいきません。
20年近く前に書いた「脱構築する企業経営」という小論では、その一つのスタイルとして「マネジメントフリー」を提唱しましたが、あまりに中途半端な議論だった故にあんまり評判は良くありませんでした。

冒頭の善意の人たちの組織ですが、見えてきたのは、「善意」は「悪意」と同じことだということです。
にもかかわらず、善意はなんとなく「いいもの」と肯定的に受け止められます。
そこに大きな落とし穴がありそうです。
「善悪」という評価規準を捨てる必要がありそうです。
善悪を決めた段階で、すでに自らの生き方は決まってしまいます。

免疫を考える場合の自己と非自己を分ける最初の時点が大切なのです。
そこででてくるのが、たぶんオートポイエーシスの発想です。
その議論では、自己も非自己もなく、ない外の境界は消滅します。
まさにクラインのつぼの世界なのです。
事実、起業時点の企業やNPOには、自己も非自己もないでしょう。
そこまで考えると、組織とは一体なんなのだろうかと、問題はますます深まってしまいます。
今日もまた書こうと思っていたこととはまったく別の方向に話が広がってしまいました。
いくつかのキーワードを出させてもらいましたが、少しずつ話を展開させていこうと思います。
時評とはちょっと言えなくなってきてしまいましたが。

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