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2010/03/24

■官のカネ、社のカネ、民のカネ、自分で汗したカネ

政治とカネの問題が相変わらず騒がしいですが、私にはその意味がよく理解できていないせいか、なんとまあ瑣末な話に振り回されて、大筋を見逃していることかとさえ思えます。
国民とマスコミが、この問題にこれほどひっかからなければ、日本の政治状況は大きく変わったでしょうが、見事にその勢いは「それを望んでいた人たち」の思惑通り、削がれた感じがします。

それはそれとして、昨日、ある会に出ていて、お金にはさまざまな種類があることを感じました。
実は20日に共済研究会のシンポジウムがあり、その基調講演で青山学院大学の本間照光教授が賀川豊彦に関する感動的なお話をされたのですが、そこでも本間さんは「お金には色がないというのは間違いだ」と熱く語っていました。

昨日は地域包括支援センターに関わる委員会でしたが、その事務局は行政に近い機関です。
委員会が始まる前にたわいのない雑談が行われていたのですが、そこで年度末でいろんな人が視察に来るとかいうような話がありました。
その委員会に行くと私も委員手当てをもらえます。
私のように定期収入のない人間にとってはありがたい話なのですが、少し違和感がありました。
それがなんなのだろうかと気になっていましたが、その雑談を聞いていて、本間さんの話を思い出しました。

官のカネ、社のカネ、民のカネ、自分で汗したカネ、それらは全く違うのだと気づいたのです。
そういえば、大企業の経営幹部の人たちの話を聞いていても、やはり違和感を感ずることが多いのです。

湯水のごとくまではいかないまでも、官のお金や社のお金の無駄遣いは私にはとても気になります。
実は私も会社勤務時代はかなりの無駄遣いをしていました。
恥ずかしいかぎりです。

倒れそうなほど汗をかいて働いているのにおカネが回ってこない人がいる一方で、無駄遣いをしながらおカネを懐に入れている人がいる。
どちらが「幸せ」なのかは一概には言えないでしょうが、やはりおかしい気がします。

私はいまもまだ、さまざまな世界と付き合いがありますので、その世界の格差に唖然とすることも少なくありません。
居心地のいいのは、間違いなく、おカネのあまりない世界ですが、そこでの暮らしは結構大変で、居心地がいいなどというと怒られるかもしれません。
私はたぶん両方の「いいところ」を享受させていただいているのでしょう。
ずるい生き方なのかもしれません。

本当は「自分で汗したカネ」を基本にした生活をすべきなのでしょう。
お金を一緒くたに考えていたために、汗したカネの価値への理解が不足していたと最近思うようになっています。
おカネの世界はやはり奥が深いです。

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