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2010/03/29

■節子への挽歌939:悲しみと一人で向き合うこと

節子
この挽歌は、節子と私自身に向けての独白なのですが、公開の形をとっているので、読者からメールが届くこともあります。
なかには私と同じように愛する人を見送った人もいます。
挽歌に対する読み方は、それぞれにまったく違いますので、私が戸惑うこともあれば、思いをつなげられることもあります。
先週も以前から時々メールをくださる方から、最近の記事に関してメールが届きました。
今日は、そのメールを節子にも聞かせたいと思い、紹介させてもらうことにしました。

いつも、挽歌を読ませて頂いています。
挽歌に書かれていることは、共感や発見、そして私の知らなかった世界の扉をノックしてくれるようなものもあり飽きることはありません。
彼を送って8ヶ月になりますが、私と同じ頃、佐藤さんはどんな心境でいらしたのかと、過去に遡って読ませて頂くこともあります。

最近、佐藤さんの挽歌で励まされたことがあります。
それは、この悲しみは、誰とも共有できない、ということです。
もし共有できる人がいるとしたら、それは旅立ってしまった愛するその人しかいないのだと思いました。
悲しみと一人で向き合うことは、何も特別なことではないのですね。
佐藤さんが、誰とも悼み合っていないのを感じるにつけ、
一人で向き合うことを、当り前に感じられるようになりました。

この人は私よりもずっと若い女性です。
彼女は、私が「誰とも悼み合っていない」と言います。
そう言われて、そのことに私自身初めて気づきました。
実は、心のどこかに「誰かとこの気持ちを共有したい」という意識があったのですが、このメールを読んで、私もまた吹っ切れたような気がします。
考えてみると、誰とも「悼み合えない」ほどの特別の人に出会えたことの幸せに感謝すべきかもしれません。
そしてもし、人の別れが避けられないものであるならば、心を込めて見送り、悼み続けることができることにもまた感謝すべきかもしれません。

読者からのメールに、私も励まされることもあるのです。
節子
この人が言うように、悼み合えるのは節子だけなのでしょうね。
あなたも私を悼んでいますか。

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妻への挽歌05」カテゴリの記事

コメント

初めて投稿いたします 挽歌939 同じ思いです  この悲しみは 同じように連れ合いを失くした人であっても その人それぞれの悲しみであって 決して 共有できるものでないことを 実感しています そしてこの悲しみは いつまで続くのでしょうか よく 女性は夫を失くした後 立ち直りが早く 元気に新しい生活を謳歌すると言われますが 信じられません 夫が逝ってから 265日たちますが 悲しみは益々深くなり 何をしても 終着点は 夫です それでも 狂いもせず 日常を 現実を生きている自分が不思議でなりません 難病にも負けず必死で生き抜こうとしている人々をテレビで見ると 自分の生を 粗末に考えてはいけないとは思うのですが 感情はいつまでいきていなければならないのだろうか 早くそばに行きたい もう一度会いたいと思うばかりです 強い人間だと思っていた自分が ほんとはこんなに弱い人間で 夫がいたから強く生きて来れたんだと今にして知りました
まとまりの無い投稿で失礼しました  

投稿: 山崎弘子 | 2010/04/02 14:41

山崎さん
ありがとうございます。
ほんとうに生き続けられているのが不思議です。
でも、それもきっと、妻の思いであり、妻によって生き続けられているのだと、最近実感しています。
めげると、妻が出てきます。

>夫がいたから強く生きて来れたんだ

そうですね。
私もそうです。

でもまた必ず会えると思うと、心がやすまります。
その時まで、素直に、自然に、生きようと思っています。
妻といつも、一緒に。

投稿: 佐藤修 | 2010/04/03 07:39

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