■節子への挽歌941:変わった者だけが気づく変化
節子
今日は神様がお休みのようです。
パソコンの前に座ったのに、書くことが浮かびません。
まあ、こういう日もあります。
先週のサロンに参加してくれた中村さんが、またやってきました。
一昨日のことですが。
そしてこう言いました。
佐藤さんは変わってしまったのではないかと思っていたが、変わっていないので安心しした。
こういう言葉は、中村さんが初めてではなく、何人かの人から言われています。
みんな私がどう変わったと思うのでしょうか。
この挽歌を読んでいると、悲しみにうちひしがれて、取り付きようがないと思うのでしょうか。
そう思われても仕方がありません。
この挽歌は、読む場所にもよりますが、「節子、節子、とうんざりだ」と思う人もいるのです。
節子を見送ってから、私のオフィスに来る人も少し変わりました。
以前はよく来ていた人が来なくなったり、あまり来なかった人が来るようになったりです。
以前と同じように、相変わらずやってくる人もいますが、その後、まったく音沙汰のない人もいます。
もう私が別の世界にいってしまったと思われているのかもしれません。
しかし、中村さんが言われたように、たぶん何も変わっていないのです。
いや、こう言ったほうがいいかもしれません。
あまりに大きく変わったので、だれにもその変わり様はわからないのです。
変わったのに変わらない。
そんな状況なのです。
心配で会いに来られない人がいたら、ぜひ会いにきてください。
以前とまったく変わっていません。
変化にもし気づく人がいたら、きっとその人も変わったのでしょう。
変わった者だけが気づく変化、そういうものもあるのだろうと思います。
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