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2010年4月

2010/04/30

■節子への挽歌971:話し手の思い

節子とよく議論になったことがあります。
会話において大切なのは、話し手の「意図」か、受け手がその言葉から受け取った「意味」か、という問題です。
私は「意図」そのものにはほとんど価値を認めませんでした。
節子はいつもそれが不満でした。
それでよく夫婦喧嘩にもなりました。

会話に限りません。
行動もそうでした。
節子はよく、私がどういう思いでそうしたかも聞いてよといいましたが、私はそうしたことにはほとんど興味はなく、行動そのものがすべてでした。
言葉での説明には、必ず「嘘」がはいりますから、それを考慮しだすと話がややこしくなるからです。
もちろん日常会話では、そんなことは言いませんが、何か問題が起こった時の話です。

それに「意図」や「思い」がほんものであれば、必ずそれは第三者にも見えるものです。
見えないような「意図」や「思い」はたいしたものではありません。
しかしこうした私の考えは節子にはなかなか受け入れてもらえませんでした。
今から思うと、大人気ない話ですが、それで喧嘩になったりしたのです。

なぜこんなことを思い出したかと言うと、実は最近、いろんな人から私を気遣ってくれるメールや電話があるのです。
もしかしたら、この挽歌は私の思いとはちがって、読者を心配させるものがあるのではないかと、いささか気になりだしました。

案じています、とSさんはメールをくれました。
何を案じているのか、いささか気になります。
今日は電話でOさんが何気なく用事らしき電話をしてくれたのですが、佐藤さんの元気な声を聞けてよかったと言われました。
もしかしたら「用事」は口実かもしれません。
Sさんも心配してたが元気そうでよかったと言ってきました。
私はいつも元気なのですが、危ういシグナルをこの挽歌は発しているのかもしれません。

書き手の思いはなかなか伝わらないものです。
節子の「思い」や「意図」を、もっとしっかりと聴いておくべきでした。
もし節子がこの挽歌を読んでいたら、どう感じているでしょうか。

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2010/04/29

■被害者と加害者の構図

JR西日本の福知山線事故からもう5年が経過しました。
挽歌編にも書きましたが、その事故の被害者のその後をテレビで報道していました。
鉄道事故の場合、被害者を救済する法律がないので、現在はJR西日本が医療費などを保証しているのだそうですが、それに関してはいろいろと問題があるようです。
その番組を見ていて、気づいたのですが、そもそも「加害者と被害者」という構図を問い直すことが必要なのではないでしょうか。

たとえば福知山線事故ですが、この事故の加害者はだれでしょうか。
運転手を加害者と考える人もいるかもしれませんが、彼もまた被害者と考えるべきでしょう。
この事件ではJR西日本の経営者が起訴されましたので、彼らが加害者とされていますが、果たしてそうでしょうか。
ましてやJR西日本という会社を加害者と捉えることはできるでしょうか。
その構図をまずは問い直す必要があります。

加害者と被害者の対立と考えると、利害が相反し、目指すところが変わります。
そこから何か生まれるでしょうか。
同じような事件が繰り返し繰り返し起こるのは、そうした対立の発想に起因していないでしょうか。
加害者と被害者という捉え方ではなく、お互いが被害者と捉えたらどうでしょうか。
そこから「対立の構造」がなくなります。
むしろ一緒になって解決しようという関係が生まれます。
それにそう考えたほうが事態の実相が見えてくるように思います。
対立の構図が入ると誰もが事実を都合よく見ようとしますから、実相は見えなくなります。

これは鉄道事故だけの話ではありません。
もしかしたら、殺人罪のような犯罪においても、そうしたことが言えるかもしれません。
「被害者」がいれば「加害者」がいる、というような単純な発想は捨てなければいけません。
やはりまだ私は、悪しき近代の二元論法から自由になっていなかったようです。
世の中に「対語」などはないのです。

このことに気づいたせいか、私には世界が少し違って見えてくるような気がしてきました。

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■節子への挽歌970:戻らない世界に戻っている

節子
一条真也さんから「葬式は必要!」という本が送られてきました。
一条さんは私の状況を気遣って、この種の本は出版しても送っては来なかったのですが、先日の挽歌を読んで私がもう大丈夫だと知って、送ってきてくれるようになりました。
とはいえ、実はやはり「葬儀」そのものに関してはなかなか読めずにいたのですが、今回はすんなりと読めました。
それを入り口にして、これまで送ってきてくださった何冊かの本も読めました。
もう大丈夫でしょう。

今朝、テレビでJR西日本の福知山線事故で怪我をした乗客のその後を報道していました。
その人は、事故にあって以来、電車に乗れなくなったのだそうです。
しかし友人たちに支えられて5年ぶりに乗ったそうです。
印象的だったのは、車窓からの風景がまったく違っていたと語っていたことです。
それを見ていて、なぜか涙が出てきました。

先日、友人の葬儀に行きました。
そして昨日は葬儀の本を読みました。
福知山線事故の被害者の方とはまったく違うでしょうが、私もまたこうして少しずつ世界を戻しているのです。
しかし風景はまったく違ってしまったことも事実です。
戻らない世界に戻っている、そんな感じです。

いつまでも立ち止まっているなよと友人には思われているでしょう。
私の意識の中では、決して立ち止まってはいないのです。
時間が止まっただけなのです。
そして世界がちょっとだけ変わっただけなのです。
同じ風景なのに、見えるところが違ってきているのかもしれません。
でも、もう昔の風景は再び見えることはないでしょう。
節子とともに、その風景は永遠に消えました。
節子が持っていってしまったのです。
それに耐えなければいけません。
それはそれなりに辛いことなのです。

今日の我孫子は、春になるのを躊躇しているような、そんな天気です。

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2010/04/28

■それでも鳩山さんや小沢さんを支持するのですか

知人から「今の状況でも佐藤さんは鳩山さんを信頼しているのか」と言われました。
もちろん、と応えましたが、正直ちょっと声が小さかったかもしれません。
昨日、検察審査会が小沢さんを起訴相当と結論しました。
今日また誰かから言われそうです。
「それでも小沢さんを支持しますか」と。

いささか気が重いですが、もちろん私は今もなお2人を支持しています。
彼らの果たした役割にはとても大きなものを感じています。
だからこそ2人とも執拗に追い落とされようとしているのだと思っています。
彼らが追い落とされたら誰が利益を得るかは明確だからです。

小沢さんの政策も政治手法も、私は共感できませんし、否定的です。
戦争ができる普通の国にしたいなどという発想は、私には論外です。
昔から好きな政治家ではなく、人気があったころにも否定的でした。
しかし、鳩山さんと小沢さんの組み合わせだからこそ、政権交替という明治政権以来の大挙が実現した、と思っています。
敗戦という大事件にもかかわらず変わらなかった政権交替が実現したのです。
それは2人の大志のおかげです。
「大志」というのはちょっと言いすぎかもしれませんが、賛成するかどうかは別にしてビジョンがあります。
ちなみに田中角栄もビジョン(大志)があった政治家だと思いますので、私は今でも嫌いになれません。
もちろん彼の日本列島改造論の内容は賛成しませんが。

そうした「大志」に比べれば、2人にかけられているお金の嫌疑は、瑣末な問題に思えます。
ビジョンのない人には「問題の軽重」の比較ができませんから、自分のわかることにしか反応しません。
スーパーの商品が1円安いかどうかには反応できるのに、大きな金額の問題は理解できずに損をしてしまう「愚かしい主婦」と同じです。
詳しく話さないと誤解されそうですが、詳しく説明しても理解されないでしょう。
自分がお金にまみれているくせに、何が「カネと政治」だと考えるわけです。
ここでたとえている「愚かしい主婦」、そして「お金にまみれている自分」とは、私も含めた、そしてもちろんこの時評を読んでいる読者も含めた、国民のことです。
そうした「愚かしい国民」が検察審査会を構成しているのです。

古代ギリシアの陶片追放を思い出します。
そうして古代ギリシアは滅びました。

私なら親の遺産をもらったら豪遊し、ほどほどの実績と財産ができたら国政から外れて自治体の首長になったり大学教授になったり政治評論家になったりするでしょう。
「愚かしい国民」のために苦労などしたくないです。
それだけでも、私は2人を尊敬しているのです。

どこか間違っているような気がしないでもないですが、何しろ私もまた「愚かしい国民」すから、それは仕方がないのです。
しかしこれでまた政権交替は失速するかも知れません。
笑っているのは誰でしょうか。

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■節子への挽歌969:死への憧れ

昨日の大浦さんと同じように、この挽歌を読んでくださっている方からメールが来ました。

隠さずに申し上げますが、佐藤さんの挽歌を読んでいると心配になるのです。
それは、以前、彼の日記を読み始めた時に感じた心配ととてもよく似ているのです。
言葉の端々に感じる死への憧れ。
人の強さと人の弱さは対極の離れた場所にあるのではなく、背中合わせだと感じています。
他人ではどうすることもできないものかもしれませんが、佐藤さんの危うさは何故か気に掛かるのです。
彼女は愛する人を自死で失いました。
文中に出てくる「彼の日記」とは、その愛する人の日記のことでしょう。
彼女には私が見えていないものが見えているのかもしれません。

しかし、私には「死への憧れ」はありません。
そもそも「憧れ」という概念がないのです。
Uさん,心配は無用です。
たしかに、節子に会えるのであれば、死にたいとも思います。
しかし、娘たちのことを考えるともう少しは生きていたいとも思います。
節子のための死、娘のための生。
つまり、私にとっては、もはや「生」も「死」も同値なのです。
その意味では、ある意味での「生」は終わっているのかもしれません。
躍動するような生きる喜びは、もはや無縁のものになりました。
ですから「憧れ」はないのです。
まあ、こんなことを書くと、Iさんは、ますます私の危うさを感ずるかもしれません。

弱さと強さは背中合わせどころか、同じものだと思っています。
それに倣って言えば、生も死も同じものかもしれません。
以前、胡蝶の夢のことを書きましたが、どちらが本当なのかと訊かれたら、いまの私もまた返答に窮します。

昨日の大浦さんの言葉は「死ぬことで、その人は永遠に生き続ける」でしたが、
人は永遠に生き続けるからこそ、その生の一部として、死があるのかもしれません。

と書いてきて、書けば書くほど、死への危うさをUさんに感じさせるような気がしてきました。
火のないところに煙は立たないというたとえもあります。
やはり危うさがあるのでしょうか。
少し生き方を見直してみましょう。はい。

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2010/04/27

■節子への挽歌968:「死ぬことで、その人は永遠に生き続ける」

久しぶりに金沢の大浦さんからメールが来ました、
いつもこの挽歌を読んでくださっているそうですが、そういう人がいるのを時々忘れてしまいます。
私はともかく「書く」ことしか考えられないので(時評編は少し読み手を意識しますが)、読み手が頭から抜け出てしまう傾向があるのです。
書くことで鎮魂できるタイプなのです。
ですから、私と同じような立場の人の挽歌を読むのが、正直、あまりできないのです。
自分で書く分にはいいのですが、ほかの人の記事は逆に生々しすぎて、心が揺らぎすぎてしまうのです。
ですから、この挽歌を読んでくださる同じ立場の人にはとても感謝しています。
勝手な言い方ですが、読んでもらえることで、私は現世につなぎとめられているのかもしれませんから。

大浦さんは娘さんを先に見送ったのですが、そのことは以前書かせてもらいました
いまもなお大浦さんは娘さんと一緒です。

佐藤さん
毎日ブログでお目にかかっている大浦郁代&母です。
佐藤さんが「挽歌」を続けられているので、止めるわけにいかず、私も続けています。
ということは佐藤さんが・・・いや、節子さんが書かせているのですから、
節子さんが「mikutyanの日記」を支えて下さっているのですね。
お礼をいわなくちゃあと常々思っていましたところ・・・・・なんと
佐藤さんのブロブのカウントナンバー399999(午後9時24分25秒?)をキャッチしました。
「mikuちゃんから thank you」 をプレゼントさせてくださいね。
写真が添えられていました。
Counter

大浦さんは私とは違って、読むことと書くことのできる人です。
大浦さんは読みながら書くことで、生のエネルギーを育てているのです。
そして最後にこう書かれていました。

最近であった言葉。
「死ぬことで、その人は永遠に生き続ける」
今の私にもとても素直に受け容れられる言葉です。
「mikutyanの日記」は、とても明るく、大浦郁代&母が生き生きと伝わってきます。
私の挽歌とは大違いですが、この挽歌もきっとそうなっていくでしょう。
そうなりたいとは、思ってはいるのですが。

追記(2010年4月27日午後3時45分)
大浦さんがブログにこの挽歌のことを書いてくれました。
http://d.hatena.ne.jp/mikutyan/20100427

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■思考の枠組みから抜けられない

様々な人がいて、複雑な人の世で生きていくためには、「発想」の枠組みを共通する必要があります。
問題にぶつかった時、その都度、考えていたら、おそらく人の脳や心身はそう長くは持たないでしょう。
ですから私たちは「常識」を育てて、思考を縮減してきました。
しかし、時代が大きく変わろうとしている時には、それが足かせにもなります。
そして、社会や文明は崩壊します。
生物種のレベルで言えば、種の絶滅が起こります。

かつて民主党が高速道路無料化を打ち出したときの社会の反応は冷ややかでした。
減収となり、そんなことはできないとみんな反応しました。
私は長い目で、そして広い視野で考えたら増収(金銭だけではありません)になると思い、賛成でした。
しかし、民主党自体が実はそう思っていなかったことが、政権党になってわかりました。
中途半端な無料化は費用がかかり逆に減収になるでしょう。
これは、常識にとらわれて発想を転換できなかった典型的な事例です。

名古屋の河村市長の市民減税や議員半減なども、多くの人は常識で考えて、やりすぎだと思います。
私はもっとやっていいと思いますが(目標は税金ゼロで、議員も無報酬、つまり定員ゼロです)、名古屋市民でさえ、それはやりすぎだと反応しています。
常識に縛られている結果だろうと思います。

普天埋問題もそうです。
思考の枠組みから抜け出れば、解決はいとも簡単なのです。
小さな常識、これまでの問題の立て方をしている限り、たいしたことはできません。
今の社会はどこかおかしいとみんな言います。
しかし自らの生き方を変えようなどとは思いません。
所詮は、これまでの常識に依存して思考の枠組みから抜け出られないのです。

社会を統治する人たちや社会の恩恵において「割り勘勝ち」している人たちは、それを支えている思考の枠組みから抜ける必要はありません。
その思考で豊かさを享受しているのですから。
しかし9割以上の人たちは、むしろ「割り勘負け」しているでしょうが、その人たちもが思考の枠組みに従順です。
なぜそうなるかといえば、マイナス思考で考え、そのほうが「今よりも悪くならない」と消極的に納得するからです。
どんなものであろうと、今の状況を捨てることはリスクを伴うからです。
そのおかげで、社会は成り立っているわけです。

新聞やテレビでいろいろの報道を見ていえて、いつも「現在の思考の枠組みの中でしか問題が設定されていない」と感じます。
私自身はそうならないように、意図して、常識や思考の枠組みからの呪縛を忌避しています。
長年そうやって生きていると、自然とそれが身つきます。
ですからたぶん多くの人と思考の枠組みが違いますが、それでもそれなりに生きていけます。
いやむしろそのほうが楽な生き方かもしれません。

思考の枠組みを一度はずして、王様の裸を指摘した「こどもの眼」で、社会で起こっていることを見直してみると、いろいろな気づきがあります。
有識者といわれる人たちが、思考の枠組みの囚われ人であることもよくわかります。

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2010/04/26

■支え合う本性

今朝、駅に向かう途中で出会ったことです。
交差点をわたりかけた70代の男性が突然倒れました。
私は交差点から30メートルくらい離れたところにいたのですが、とっさに走り出しました。
交差点の反対側からの夫婦も走りよりました。
通りがかりの自動車から2人の人がおりてきました。
10人近い人が集まりました。
声をかけても反応がありません。
道路上ですから危険ですが、むやみに動かしてはいけないと言いあいながら、それぞれのやり方で動き出しました。
一人の人が携帯電話で救急車をよびました。
15分ほどで救急車が到着しましたが、その頃には倒れた方も意識を取り戻しました。
まあ、それだけのことです。

今日の挽歌編で、大阪での「ささえあいついながり交流会」のことを書きました。
そこで「ささえあうつながり」がなくなってしまったという話になりましたが、決してなくなってはいないのです。
「こと」が起これば、みんな支え合うのです。
問題は、その「こと」が見えなくなってきてしまったことです。
見えないから支えようがないのです。

支え合いの一歩は、自らの弱みを見せることです。
あるいは周りの人の問題がもし見えたら、それに手を貸すことです。
それもできる範囲でいいのです。
「支えること」と「支えられること」は同じことなのです。
ですから、支え合う関係をつくるのは、簡単なことなのです。

昨日の交流会で発言のあった、もしかしたら精神病と判定されるかもしれない人から電話がありました。
昨日の会にも参加していた知人に関する話をしてくれました。
私の知っていることでしたが、彼女はその人のことを心配していたのです。
彼女もまた、しっかりと他者への支え合いを考えているのです。
他者を思いやれるかどうかが、もし生命としての正常さの基準であれば、彼女は健全です。

精神病を患っているのは、だれでしょうか。
人々の心身の中にある「支え合う本能」を閉じ込めている社会そのものが問い直されなければいけません。
その社会で「正常」に生きている人が、もしかしたら「精神病」患者なのかもしれません。

そしてたぶん私もまたかなり「病んでいます」。
病んでいなければ、こんな生き方はできないでしょう。
そんな気がしますが、この病とうまく付き合いながら生きていこうと思っています。

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■節子への挽歌967:それぞれにみんな重荷を背負っている

節子
昨日は大阪で、「ささえあいつながり交流会」をやってきました。
私がかかわっているコムケア活動と自殺のない社会づくりネットワークとを重ねる形で開催しましたが、中心になって企画運営してくれたメンバーのおかげで、25人の人が集まり、3時間という長い時間があっという間に過ぎました。
半分ほどは私にも初対面の人ですが、会場の空気のおかげでみんな自分を開いてくれました。
それを聴いていて、人はみんなそれぞれに重荷を背負っていることを改めて実感しました。
私が取り組んでいるコムケア活動は、重荷をできる範囲で背負い合おうという活動です。

身近な人が自殺した人の話、兄弟げんかして口も聞かなくしていた兄が事故死してしまった話、などなど、普通であればとても「重い話」がたくさんでてきましたが、どんな話を聞いても私は最近、そこに人生の豊かさを感じるようになってきました。
誤解されそうな言い方ですが、悲しさや辛さをもちろん前提にしての話です。

参加者の一人の方が、来週病院に行って診察を受けるのですが、それで私は精神病者といわれるかもしれませんと話してくれました。
精神病などと医師に診断されても、気にしないでいい、みんな同じようなものなのだからと、私は気楽に反応してしまいましたが、重いテーマをそんな形で明るく話し合うのが、支え合いサロンで私が心がけていることです。
これは節子との40年の人生で、学びあってきたことです。

ちなみに、その人は、隣の人の発言を聞いた後、「私には何をいっているのかさっぱりわからない」とも発言しました。
そういわれた人は驚いたことでしょうが、聴いていて「裸の王様」の寓話を思い出しました。
所詮、私たちはみんな「裸の王様」なのです。
これまた誤解されそうな言い方になりましたが、こういう「アクシデント」があるので、サロンはとても面白いのです。

多重債務と自殺の問題に関わっているご夫妻も参加されました。
なぜ関わっているか、そこにも背負った重荷がありました。
でも夫婦で活動されているのが、とてもうらやましかったです。
東京で出会った若者のお父さんまでもが参加してくれました。
「重荷」を背負い合っていくと、世界はどんどん広がっていきます。
そのうちに彼岸にもつながりがもっと深まっていくでしょう。

夜、帰宅すると、娘が、○○さんから電話があって「佐藤修さんが電話に出ないのが残念です」といわれたと伝えてくれました。
大阪で会った「精神病者」になるかもしれない人からでした。
彼女にはもしかしたら時空間意識の呪縛はないのかもしれません。
今まで大阪で会っていたのだから東京に電話しても私が電話に出るはずはないのですが、彼女はそうは考えなかったようです。
一笑に付すのが普通の対応でしょうが、最近、そうした「普通の発想」にいささかの疑念を抱きだしています。
私ももしかしたら、「精神病者」と診断されるかもしれません。
困ったものです。

それにしても昨日は、たくさんの「重荷」を感じて疲れました。
それをシェアしてくれる節子がいないので、最近は時々ダウンしてしまいます。
しかし「重荷の重さ」と「人生の豊かさ」は、もしかしたら比例しているのかもしれません。

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2010/04/25

■節子への挽歌966:「こんなつらい思いは、誰にも味わってほしくない」

節子
節子のことをとても心配してくれていた黒岩さんの新しい本が6月に出版されるそうです。
『古書の森逍遥』です。
黒岩さんでなければ書けない本です。
黒岩さんのブログによれば、220冊の本を取り上げているようです。
そのすべてに、黒岩さんは心を通わせているはずです。
そんなことは黒岩さん以外にできるはずがありません。
黒岩さんほど、本が好きな人も少ないかもしれません。

その黒岩さんの先週のブログです。

自分が病気になると、他の人の健康がとても気にかかる。
(中略)
昨年の秋の出来事で、ほんのささいなことで人間は不幸のどん底に陥ってしまう、ということがわかってしまった。
もうこんなつらい思いは、誰にも味わってほしくない。
昨年の秋の出来事。
節子と同じく、突然に病気を宣告されたのです。
黒岩さんのブログを読むのは辛いですが、その文字の後ろに興福寺の阿修羅像が見えるような気がします。

「こんなつらい思いは、誰にも味わってほしくない」
節子もまったく同じ言葉を語っていました。
それを思い出しました。
黒岩さんにも味わってほしくない、と節子は思っていたでしょう。

『古書の森逍遥』はとてもいい装丁の本になりそうです。
不死身だった阿修羅のご加護を、毎朝、節子の前で祈っています。

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2010/04/24

■節子への挽歌965:書庫から節子の結婚前の日記が出てきました

節子
書類の整理を始めました。
これまで何度か挑戦して、その都度、途中で放棄していたのですが、万一何かあったら残されたものに迷惑がかかります。
それで転居以来、片付けたことのない小さな書庫の資料から整理を始めました。
実にいろいろなものが出てきました。
なんと私の大学の入学許可証なる書類まで出てきたのです。

私たちは結婚以来、数年の間はよく転居しました。
滋賀で結婚し、最初の家は自分たちで探した狭い借家でした。
滋賀県の瀬田町神領でした。
たしか半年で、大津市石山にある社宅に入れました。
入った途端に東京に転勤、小平市の回田のアパートに転居したら、すぐに小金井市の社宅に入れました。
そこからなぜか吉祥寺の社宅に移り、さらに保谷市の社宅へと、転々としていました。
たしか1年に2回転居したこともあります。
ですから引越しのために箱に詰めたものをそのまま次の転居先に送ったこともありました。
それにしてもなぜ何回も転居したのでしょうか。
今となっては理由をまったく思い出せませんが、私も節子も転居好きだったのです。

しかし転居しても荷物の整理をあまりしないのが、私の悪癖です。
段ボール箱につめたまま放置していたのですが、それを今の家に来た時に、これが終の棲家ということで、すべてを箱から出してしまったのです。
その整理が面倒で、すべてを小さな書庫の書棚に詰め込んでいました。
そしてこの10年、捜し物をしながらそれをかき回していたので、さまざまなものが見事に交じり合ってしまっているわけです。
節子と一緒にその整理をしたら、きっと楽しくなったでしょう。
何しろ思わぬものが出てくるのですから。

節子の若い頃の日記まで出てきました。
几帳面に普通のノートにびっしりと書いています。
私も初めて読む日記です。
まだ読む気にはなれませんが、偶然に開いた頁に、私に会う前に付き会っていた男友達からの手紙のことが書かれていました。
その人の名前は、節子から何回も聞いています。
節子はその人と結婚するつもりだったのです。
その人と結婚していたら、こんなに早く逝かなくてもよかったかもしれません。
過去を振り返って、「もしも」を考えても意味のないことですが、「もしもあの時に」と考えてしまうことが少なくありません。

そんなことを考え出していたためか、整理は一向に進みません。
山のような書類の前に途方にくれています。
この書類の山は、節子と重ねてきた人生の記録だと思うと虚しさに襲われます。

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2010/04/23

■節子への挽歌964:「花や鳥」

節子
なかなか春が来ません。
まさか節子がいたずらしているのではないでしょうね。

春は来ませんが庭の花は次々と咲き出しています。
節子がいた頃に比べるといささか華やかさはありませんが。
そういえば、いま我孫子の駅前の花壇は花がたくさんです。
今年からチューリップも加わっていました。
それを見て、先日お墓に来てくれたのは、花かご会のみなさんだとわかりました。

花が咲き出したのに春は来ない。
レイチェル・カーソンは「沈黙の春」で、春が来たのに花が咲かない未来を警告しましたが、今年の春は私の心情を映し出しているような気がしないでもありません。
「沈黙の春」では、鳥のさえずりもないと書かれていましたが、最近は朝、鶯が元気にないています。
まさか節子ではないでしょうね。

節子は、花や鳥になって時々戻ってくると書き残しました。
なぜ「花や鳥」なのでしょうか。
人間になって戻ってきてほしいものです。
この頃、つくづくそう思います。
なぜ「花や鳥」なのだろう。
あるいは「千の風」なのだろう。
もし私ならば、そんなものに変わることなく、人のまま戻ってこようと思うはずです。

あの凄絶な闘病生活の中で、節子は来世に何を見たのでしょうか。
この頃、なぜかそんなことを考えるようになりました。
おそらく節子は、彼岸の自分を見ていたはずです。
確証はありませんが、確信はあります。
その節子が「花や鳥」というのであれば、そうなのでしょう。

植木市で節子が買ってきた庭のつつじが見事に咲いています。
華やかに、しかしどこかもの哀しげに。

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■高速道路料金騒動

高速道路料金で政府がぶれているという報道が盛んに流されています。
私には極めて不条理な「言いがかり」としか思えません。
流れはこうです。

行政府としての政府が方針を決めた。
立法府を構成する国民の代表である民主党がそれに異を唱えた。
それを受けて首相が見直しを表明した。
首相と話し合った担当大臣は、内閣としての方針は見直さないが、国会での議論を踏まえて見直すことはあるという「当然」のことを表明した。

私には、どこにも「ぶれ」も「矛盾」も見つかりません。
問題を起こしたいマスコミが、難癖をつけたがっている自民党とのこれまの馴れ合いの流れで騒いでいるだけでしょう。

ただこれだけの話です。
民主党と政府を混同してはいけません。
長いこと政治を私物化してきた自民党政府はもう終わったのです。
せめてマスコミの関係者やテレビに出るくらいの人は、中学生の社会科の教科書くらいの知識はもってほしいものです。
まあそんなことをやっていたら、テレビには出られないでしょうが。

もちろん鳩山さんの言葉づかいにはいささかの未熟さがありますが、だからこそ私は鳩山さんを信頼しているわけです。
言葉の上手い人には内容がないものです。
私自身、中身のないのに発言しなければいけない時には言葉で飾りますから。

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2010/04/22

■節子への挽歌963:「で、何を言いたいの」

むすめが、会話していて男性は「で、何を言いたいの」というのが駄目なのだとテレビで話題になっていたと話してくれました。
実はこれは、私が節子によく問いかけた言葉なのです。
そう言うと、節子はいつも怒りました。
結論ではなくて、その経過をきちんと話したいのよ、と。
しかし私は経過などどうでもよくて、結論を早く知りたいタイプなのです。

でも実は、今から考えるとこれはおかしな話です。
最近私が重要視しているのは、結果ではなく経過なのですから。
もしかしたらこれは節子の影響でしょうか。

女性と男性とは話し方のスキームというか、構造が違うのかもしれません。
あるいは、時間の流れ方が違うのかもしれません。
結婚してしばらくしてから、私たちは話し方でよく喧嘩をしました。
スキームや言葉の意味合いが違うために、会話が成り立たないことが少なくなかったからです。
まあ深く考えなければなんでもないのですが、結婚した以上、私は同じ世界を早く創りあげたかったから、私がかなりこだわったのです。
節子は苦労したはずです。
「○○さんから、佐藤さんのような難しいことを言う人と結婚するから苦労するのよ」と言われたわと節子から聞いたこともあります。
私は決して「難しいこと」にこだわったわけではありませんが、大学を卒業したての頃の私はそれなりに理屈っぽく、言葉の使い方こそが心を合わせる最も効果的な方法だと考えていたのです。
それはたぶん正しかったと思います。
時間はかかりましたが、私たちの世界はほぼ完全に重なったのです。

しかし、残念ながら、「で、何を言いたいの」論争はなくなりませんでした。
節子もかなり頑固で、自分の話し方のスキームを変えませんでしたから。
修は人の話を聴かない、と節子はいつも嘆いていました。
もう少しきちんと聴いていればよかったと思います。
私に対する不満は、いろいろとあっただろうなと、今頃になって反省しています。

もし節子がこの挽歌を読んでいたら、きっと「で、何を言いたいの」という記事が少なくないでしょうね。
これもまた、節子が私に乗り移ってしまったからかもしれません。
困ったものです。

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■事業仕分けへの違和感と期待

事業仕分けがまた始まりました。
とても良い活動だと思いますが、違和感は「仕分け人」の選び方と「評価者」です。
まず「仕分け人」ですが、官選ですから私の感覚では、みんな同じ土俵の上の人です。
同じという意味は、「権威に生きている人たち」という意味です。
これについては書き出すとどこに向かうかわからないので差し控えます。

評価者ですが、仕分け人と評価者が同じところに違和感があります。
それでは評価の正当性に説得力がありません。
ノーベル賞受賞者たちが権威をかさにきていい加減な異論を捉えただけで腰砕けになるようではどうしようもありません。
そして仕分け結果と実行とはかなり乖離が生まれましたが、これも評価に正統性がないためです。

仕分け人は問題をできるだけわかりやすく「見える化」し、その上で、評価を公募したらどうでしょうか。
その中に、当該事業に関わる人たち(組織であればその成員や関係者)の評価も集めたらいいのではないかと思います。
つまり仕分け作業を公開するのではなく(それだけではパフォーマンスになりやすいです)、その結果を公開し、税金の負担者である納税者に評価させるということです。
技術的に難しいという人がいるかもしれませんが、おそらく簡単な仕組みをつくれるはずです。
そのためにこそITは活用されるべきです。
いずれにしろ大切なのは、行政の透明化です。
それが仕組みとして行き渡れば、無駄はなくなっていくでしょう。
消費税(ちなみに私は消費税大増税論者ですが)などなくても十分にやっていけるはずです。
その点で、この活動は画期的です。

さらにこの制度が形式的なものにならなかったのは、枝野さんと蓮紡さんのおかげではないかと思います。
この2人のおかげで、私は政治家への僅かな期待を持続させています。

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2010/04/21

■節子への挽歌962:節子の味

節子
最近、筍(たけのこ)三昧です。

今年最初の筍は、福岡の蔵田さんが送ってくれてのですが、私が筍好きなのを知って、敦賀の義兄がどっさりと送ってきてくれたのです。
あまりに多かったので少しおすそ分けしたのですが、またどっさりと届きました。
ユカがはんばって、いろいろとチャレンジしてくれています。
筍の煮物はもちろんですが、筍の生刺身、湯がいた筍刺身、焼き筍、筍のお吸い物、竹のもの中華風野菜炒め、筍ご飯など、もう毎日が筍尽くしで、さすがの筍好きの私もいささか飽きてきました。
しかしユカががんばっているので、食べないわけにはいきません。

ユカの筍の味付けはまだ節子とは違います。
筍にかぎりませんが、節子から娘になって、味付けは微妙に変わりました。
それは仕方がないことですが、時に節子の味付けが懐かしくなります。
もっともユカからどんな味だったのかと訊かれても答えることはできないでしょう。
自分でももうわからなくなってきていますから。
デモや張「節子の味」というのが、記憶のどこかにあるのです。

こうしたことはいろいろとあります。
娘たちはとてもよくしてくれますが、やはり節子とは違いますから、ついつい「節子だったら」などと口に出してしまいます。
娘たちももう慣れていますので、聞き流してくれますが、最近、娘たちもまた「節子がいたら」というのです。
もっともそれは節子を褒めているということばかりではありません。
節子がいたら違った方向に行くというような意味で使われることもあるのです。
まあ良い意味でも悪い意味でも、節子はわが家の文化を先導していましたから。
それこそが「節子の味」だったのです。

しかし、わが家の全体の雰囲気はまだ「節子の文化」を保っています。
まあ節子がいた時よりも良くなったものも悪くなったものもありますが、節子がまだ家の隅々にまで残っています。
だからこそ、私はおかしくもならずに、生きているのかもしれません。

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■政治家の誠実さ

普天間移設問題をめぐり、「鹿児島市内で平野官房長官と会ってほしい」という政府からの要請を、伊仙町の大久町長は断りました。
新聞によれば、同島で開かれた反対集会に約1万5000人が集まったことを挙げ、「決定的な民意だ。協議の余地はない」と返答。平野長官については、3月末に3町長が上京し、長官と面会した時のことを引き合いに出し、「私たちがせっかく行ったのに『徳之島の〈と〉と言ったこともない』と(言われた)。そんな不誠実な方に会う気は全くない」と不信感をぶつけたそうです(読売新聞)。

この言葉に出てくる「不誠実な方」という言葉に共感を持ちました。
これまでもそうですが、平野官房長官の不誠実さは度を越していると思います。
平野さんは私の知人の友人だそうなので、あまり言いたくはないのですが、この人のおかげで鳩山政権はおかしくなってきているように思います。
私が感じていたのも、誠実さの欠如です。

人にとって大切なことは何かと問われれば、私は「誠実さ」をあげるでしょう。
誠実というのもわかりにくい言葉ですが、私の場合は、「嘘をつかない」と理解しています。
政治家には狡猾さが必要だと言いう人もいます。
時に嘘をいわないといけないこともあるという人もいます。
しかし政治家は政治家である前に人でなければいけません。

外交上、言えないこともあるという人もいます。
しかし、言わないことと嘘をつくこととはまったく違います。
もっと正確にいえば、言わないことはある意味での情報発信をしています。
それを受け手が勘違いしてしまえば、結果的に嘘を言ったことにもなりかねませんが、もし誠実な人であれば、相手に勘違いさせるような沈黙はしないでしょう。
それが「誠実」と言うことだと思います。

政治は信頼があってこそ成り立ちます。
経営もそうです。
さまざまな人たちの生活に大きな影響を与える権限を託された人は、何よりも誠実でなければいけません。
そうでなければだれも信頼しないでしょう。
しかし、最近の政治家も経営者もあまりに不誠実です。

ところで、「友愛」と「誠実」はどうつながるのでしょうか。
私にとっては、同義語なのです。
だからこそ平野官房長官の不誠実さは残念です。
誠実に対応していけば、おそらくすべての問題は落ち着くところに落ち着くのですが。

平野さんはきっと悪い組織環境で育ってきたのでしょう。
鳩山さんとはあまりに違います。

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2010/04/20

■節子への挽歌961:「逢びき」

この数日、いささかがんばりすぎたので、今日の午後は自宅でゆったりしていました。
本を読みながらCDを聴いていたのですが、たまたまそのなかに「逢びき」が入っていました。
ユカが、わが家の自動車のCDでよく聴いていた曲で、節子も私も好きな曲でした。
無性に日本語で、それが聴きたくなって、ユーチューブで探してみました。
金子由香利さんの「逢びき」が見つかりました。
よせばよかったのですが、聴いてしまいました。

やめられなくなって1時間以上繰り返して聴いてしまいました。

行き交う人の波にかこまれても
なぜかさびしくてやりきれない
まさに私の心情です。
どんな希望があるだろう ふたりには
わたしたちの未来にはなにもない

未来という世界がなくなったのは事実です。
私の中ではもう時間はとまっているのです。

いとしいひとよ、わたしには
あなたのいない世界は考えられない
その世界に生きていることに現実感が出てこないのは仕方がありません。
現実感のない生を、今私は生きているような気がします。
それはこの挽歌にコメントをくださった方にも共通しているかもしれません。
金子さんはこう歌います。
あなたのいない世界に帰れるなんて
私が死んでしまうことを意味するもの
それがとても共感できるので、いまの生はいったいなんなのかと悩ましいわけです。

まあ文字にしてしまうと退屈ですが、よかったらユーチューブで聴いてみてください

この曲は、人目をしのびながら逢びきを重ねる恋人たちの歌ですが、実に見事に私の心情に重なるのです。

愛する人がいるのに会えない、という点において同じのです。
違いは、次の一節です。

人目をしのびながら会うことには
もうこれ以上たえてはいけそうもない
私からすれば、なんとぜいたくなことでしょうか。
久しぶりに涙がとまりませんでした。
このCDを手に入れるべきかどうか迷います。

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2010/04/19

■節子への挽歌960:ネット世界で生きている節子

節子
この挽歌を読んで湯島に会いに来てくれた人がいます。
節子よりもずっと若い女性ですが、私と同じく愛する人を見送ったのです。
その方がメールを送ってきてくれました。

挽歌を読んでいると、奥様は佐藤さんと一緒にいらっしゃるイメージなのです。
佐藤さんのお写真はプロフィールにありましたし、奥様のお写真も挽歌の中で拝見していますので、私にとっては、佐藤さんも奥様も同じ距離感だったのです。
失礼ながら「多分、奥様は私と似ているな」と、奥様の性格まで挽歌から伝わってきていて、私の中で「佐藤さん」という人が出来上がっているのと同じように、「節子さん」という人が出来上がっていました。
その方はネットの世界で、私たち夫婦と知り合ったわけです。
そしてそこには節子もいるのです。
不思議な気がしますが、私には何だかリアリティがあるのです。
続けてこう書いてくれました。
オフィスのドアを開けたとき、当然のことながら佐藤さんお一人なのですが、変な違和感がありました。
頭で、奥様がいらっしゃらないことを納得せざるを得ませんでした。
そして最後はこうです。
奥様がいらっしゃらないことを、この目で確かめてしまったにも関わらず、
相変わらず、挽歌を読むと佐藤さんと奥様はいっしょに存在しています。
挽歌を書き続けてきてほんとうによかったと思いました。
ネットの世界では、いまだ節子は私と一緒にいるのです。
少なくとも、そう信じている人が一人はいる。
とてもうれしいことです。
これからも毎日、節子と話しながら、この挽歌を書き続けないといけません。

ところで、このメールにはもうひとつのことが書いてありました

。(この挽歌の)最大の魅力は、自分自身への正直さです。
お会いする前も、お会いした後も、全く印象が変わらず、佐藤さんの正直さは確信へと変わりました。
これ程までにネットと現実とのずれがない方というのは珍しいのではないかと思うほどぴったりと一致していて驚いています。
ネットの世界には節子がいる。
現実の世界には節子がいない。
しかし、私には「ネットと現実とのずれがない」と言い切っています。
さてこれをどう受け止めるべきか。
悩ましい問題ですが、昨夜、解決しました。
現実にも節子はいるのです。
たぶん私にだけ見えないのでしょう。
映画「シックスセンス」を思い出しました。
節子はきっと私のすぐ近くにいるにちがいないのです。
ですから私は今もなお素直に安心して生きていけるのでしょう。

節子にきちんとした結婚指輪をあげなかったことがとても悔やまれます。

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2010/04/18

■節子への挽歌959:置いていかれた人のさびしさ

久しぶりに墓参りに行きまた。
3月末のお彼岸以来、さぼっていました。
ところがお墓にいったら、きれいなチューリップなどの花が供えられていました。
最近、私がこなかったので、節子が自分で花を供えたということも考えられないわけではありませんが…、いや、やはり考えられませんね。
どなたが来てくれたのでしょうか。

わが家ではお墓には基本的にいわゆる「仏花」は供えません。
洋花が多いのですが、ともかく明るい花を中心に選んでいます。
お墓に供花してくれた人もそれを知っているようで、真っ赤なチューリップとやさしい小さな花が中心でした。

いずれにしろ、こうしてわざわざ節子のお墓参りに来てくれる人がいるとは、節子は幸せです。
先日、ばばさんの葬儀で、友人の方が「私たちが思い出している限り、ばばさんは生きている」と話していました。
そのことを思い出しました。

節子は私にとっては「特別の人」であり、忘れようもありません。
しかし、節子以外にも時々思い出す友人がいます。
この歳になると見送った友人は決して少なくありませんが、不思議と思い出す人は決まっています。
私の場合は3人の友人をよく思い出します。
格別に親しかったわけではありませんが、その3人とは今生で一緒にやることが残っていたような気がするのです。
3人とも、まだ若かったのです。
そして、みんな突然に逝ってしまいました。

お墓に来てくれた人も、もしかしたら節子と何かをもっと一緒にやりたかった人かもしれません。
そういう人を置いて、先に逝ってしまう人は、本当に罪つくりです。

今日はお墓で節子に少し文句を言ってきました。
節子には罪はないのですが、やはり罪つくりの話です。
置いていかれた人のさびしさを節子はわかっているでしょうか。

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2010/04/17

■日米安保条約第10条

あるメーリングリストで、日米安保条約第10条が話題になっています。
それを読んでいて、昔のことを思い出しました。

私が大学に入ったのは1960年、安保闘争が一番盛り上がっていた年です。
ノンポリの高校生だった私は、そこで鮮烈な洗脳を受けました。
連日、新安保条約締結に反対する国会デモが繰り返されましたが、それはいまでは全く考えられないような動きでした。
日本の社会はまだダイナミックに動いていたのです。
6月には入り、デモに参加していた樺美智子さんが圧死するという事件が起きました。
学生デモはますます盛んになり、ノンポリの私も何回か国会デモに参加しました。
しかし、何かもう一つ熱中できませんでした。
全学連のアジテーションに辟易していたのと混乱した社会の中に物語が見えなかったからです。
続いて社会党の浅沼さんが刺殺され、状況はますます生活者の世界を離れていきました。
私も次第にデモには参加しなくなりましたが、社会の不条理に対する怒りや思いは、そのおかげで深まったような気がします。
その頃、私がデモに参加しなかった理由に上げたのが、日米安保条約第10条でした。

日米安保条約第10条はこういう内容です。

この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。
 もっとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する
時の流れに抗してまでいま条約批准を妨げるよりも、10年後に廃棄すればいい。
これが私の考えでした。
その当時から、私はプロセスとビジョンを大事にしていました。
条約破棄よりも、条約破棄を目標にして社会を変えていくことのほうが大事だと考えたのです。
その頃から私の時間軸はかなり長いものでした。
能力を超えて急ぎ過ぎると、必ずさらに悪い結果になるものです。
事実、その後の全学連は悲劇的な終末を迎えます。

この日米安保条約第10条を活用することができれば、問題は簡単に解決します。
鳩山首相はその手を使えないでしょうが、もしかしたら使いたがっているかもしれません、
これを使えるのは、おそらく鳩山首相しかいません。
それを止めているのは、私たち国民です。
50年前を思い出します。
何も変わっていないのです。

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■節子への挽歌958:ペレの涙

節子
朝起きたら隣家の屋根が雪で白くなっていました。
4月に雪。地球は温暖化ではなく寒冷化が進んでいるという説もあるのですが、いずれにしろ最近の気候は不安定です。
不安定なのは気候だけではありません。
アイスランドの氷河の火山が噴火し、その火山灰が欧州各地を覆い、主要空港の閉鎖や飛行禁止措置が出されています。
ちょっとした噴火でこれだけの影響を受けるのですから、やはり人間のやっていることの小ささを感じます。

火山といえば思い出すのがハワイのキラウェアです。
キラウェアについては以前も書きましたが、実は3日前になぜか「ペレの涙」を思い出したのです。
挽歌を書こうと思いパソコンに向かった途端に思い出したのが、ペレの涙です。
でもその後に続く言葉が出てきませんでした。

ペレの涙はキラウェアの火口周辺に散在しているガラス状になった火山弾の破片です。
その名前がとても印象的で、私も節子もすぐに覚えました。

ペレは、炎や稲妻などを司る女神だそうです。
大地から生まれたペレは、美しいが負けず嫌いで気性の激しい女神です。
ポリネシアの神話によれば、火山を求めて、ハワイ諸島を渡り歩き、最終的にはハワイ島のキラウェア火山の火口に住んだそうです。
キラウェアの噴火は彼女の怒りで、溶岩はその一部だと言われています。
火山が噴火すると、ハワイの人は「ペレが怒っている」というそうです。

節子と一緒にキラウェアに行った時に、ペレの涙をこっそり拾ってきてしまいましたがそうすると祟りがあると言われています。
節子と切り離されたのは、ペレの怒りでしょうか。
そのペレの涙は、わが家のどこかにあるはずですが、節子との思い出のあるものにはいまだあまり手をつけたくないため、そのままです。
やはり悪いことをしてはいけません。

雪はまだ降っています。
今年の寒さは節子がいないせいではないかと一度思ったことがあるのですが、これは節子の涙でしょうか

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2010/04/16

■節子への挽歌957:「納得できる人生」の犠牲

節子
昨日の時評編に書いたのですが、Nさんが定年で役所を辞めました。
その通知に書かれていた文章についつい感激してしまい、時評編に書いたのですが(「納得できる人生と常識的な人生」)、やはり挽歌編にも書きたくなりました。
昨夜、いろいろと考えているうちに私たちのことともかなり重なってきたからです。

Nさんはわが家にも来てくれたことがあるので、節子も会っていますし、節子と2人でその町に出かけた時にも、そこでもお会いしています。
最後に来てくれた時は、節子はあまり調子がよくなかった頃でしたが、とても長い自然薯を持ってきてくれましたね。

そのNさんが、昨日も書いたように「お蔭さまで納得できる形で公務員生活にピリオドを打つことができました」と書いてきてくれたのです。
節子が元気だったら、退職を祝って、一緒に食事でも誘いたい気分です。
お互いに共通の話題は山のようにありますから。

昨日も書きましたが、私もまた「納得できる人生」を選んで会社を辞めました。
その経緯は当時ある雑誌に頼まれて寄稿しましたが、おそらく私の気持ちを知っていたのは節子だけだったでしょう。
節子は理解するというよりも、私の思いに「共振」してくれました。
その後の私の生き方は、その節子との共振によって始まったのです。

しかし、もし私がそのまま会社に残っていたらどうだったか。
節子は苦労せずに、病気にもならなかったかもしれません。
高給取りのサラリーマンの奥さんとして、華やかな生活もできたかもしれません。
ちょっと贅沢なレストランで食事ができたかもしれません。
スーパーの安い洋服ではなくブランド品をたのしめたかもしれません。
私が辞めてしまったために、節子も娘たちも人生を変えてしまったかもしれないのです。
なにしろ収入が一時期、ゼロになったのですから。

私自身は「納得できる人生」を過ごすことができました。
誰からも指示されることなく、納得できない仕事は受けませんでしたし、仕事の進め方もいつも自分で決められましたから、これ以上の幸せはありませんでした。
しかし、節子や娘たちはどうだったか。
迷惑を受けたのかもしれません。
自分が納得できる人生を送ろうと思うと、周辺にはそれなりの迷惑をかけてしまうのは皮肉な話です。
だから人は妥協した「常識的な人生」を選びやすいのです。

それでも、常識的な人生を選ばなかった私に、節子は満足していたと思うのですが、
今となっては確かめようもありません。
Nさんの手紙を、節子と一緒に読みたかったと、つくづく思います。

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2010/04/15

■減税こそが政治の役割

名古屋市の河市長は日本記者クラブでの記者会見で、「減税こそが政治の役割で、日本社会を変える第一歩だ」と話したそうです。

減税こそが政治の役割。
私がずっと思っていることでもあります。
現代の政治は税金によって賄われています。
ということは、政治の基本は税金を集めること、増税といってもいいかもしれません。
私たちも政治のためには税金を納めることが必要だと考えています。
なぜ「統治者」に税金を納めなければいけないのか、などと考える人はいません。
税金を納めていない人は、フリーライダーだと非難されかねません。
でもそれって正しいでしょうか。
どこかおかしくないでしょうか。

河村市長の発言の意味は、そうしたこととは別次元の話なのかもしれませんが、「減税は政治の役割」という言葉には様々な示唆があるように思います。
いまの社会から恩恵を受けている人は、今の体制を維持したいと思うでしょう。
社会秩序の維持のために資金を提供することは理にかなったことです。
しかしいまの社会の恩恵を受けることの少ない人は、今の社会を変えたいと思うでしょう。
社会秩序変革のためであれば資金や労力を提供してもいいと思うでしょう。
しかし現体制維持のために税金を払うことは理にかなったこととはいえません。
まあそうしたことの不幸な現われが、たとえば今タイで起こっていることです。

税金は政府維持のためではなく、社会体制変革のためにも使われると言われるかもしれません。
現に今回の民主党政権への交替で、多くの人はそれを期待したと思います。
しかし、残念ながら社会秩序はそんなに簡単に変わるはずはありません。
税金のほとんどは、政権交替にもかかわらず、現体制を維持するために使われるからです。
つまり税金とは体制を維持するための資金なのです。
ですから体制を大きく変える時には税金をなくすことが不可欠なのです。
今回の政権交替も、その背後には税金が大幅に不足していることがあることはいうまでもありません。

減税を志向する政治と増税を志向する政治は、まったくパラダイムが違うのです。
さらにいえば、そこでの「税金」の意味合いも全く違っているはずです。
こうしたことを考えさせてくれるという意味で、河村市長の言動は示唆に富んでいます。
私たちはもっと彼の言動に関心をもつべきです。
東国原さんのような増税政治の走狗に騙されてはいけません。


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■納得できる人生と常識的な人生

とてもうれしい手紙が来ました。
最近ややへこんでいたのですが、この手紙がうれしくて、元気が戻ってきそうです。

手紙は、この3月に定年で退職した、ある自治体の職員からです。
天下りなどはしないようです。
これからは「一市民としての立場で我がまちと向かい合い関わっていきます」ということです。
その通知の後に、手書きで次の文章が書かれていました。

佐藤さんとの出会いによって、僕の行政マンとしての考え方を一変させることができました。
お蔭さまで納得できる形で公務員生活にピリオドを打つことができました。
少し涙が出そうになりました。
その人は、これまでに私が会った最高の行政マンだったからです。
しかし、もしその人が私に会わずにいたら、もっと出世できたのではないか、あんなに苦労しなかったのではないかという思いもあるのです。

だれも知らないことでしょうが、その人は市長からあることを頼まれた時にわが家に跳んできました。
そして、自分には引き受けられないので辞表を出そうと思うと言ってきたのです。
その時に、人の考え方に関わることの責任の重さを感じました。
念のために言えば、その人は私に会わなくとも、同じ人生だったかもしれません。
それに私がその人の考え方に影響を与えたなどとも思いません。
そもそもその人はしっかりした「公務員観」をお持ちでしたから。
しかし私に会ったがために、もしかしたらもう一つの選択肢を選ばなかったのかもしれないのです。

もう一つの選択。
それは「常識的な人生」です。
その選択をしていたら、副市長になって地域のためにはむしろよかったかもしれません。
そう思うといささかの反省もあります。
人生には常に迷いがあるものです。

私もまた、納得できる人生を選んで会社を辞めました。
それがよかったことなのかどうかは、今にして思うとわかりません。
家族には迷惑をかけたかもしれません。
しかし、もう一度人生を繰り返したとしても、たぶん同じ選択をしたでしょう。

その手紙を今日は何回も何回も読み直しました。
やはり涙が出てきてしまいました。

納得できる人生には、犠牲もまた多いものなのです。

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■節子への挽歌956:共働き

私の言葉遣いは少し常識からずれていることがあります。
言葉にはその人の文化が象徴されますから、私は自分の納得できる言葉の意味で語るようにしています。
これは学生時代からの生き方です。
ですから最初節子は戸惑ったはずです。
彼女が知っていた常識的な意味と私の言葉の意味とは、時に微妙にずれていたからです。
まあさりげなく付きあっている限りではあまり不都合は起きないのですが、生活を共にすると時に戸惑うこともあったかもしれません。
そのための夫婦喧嘩も決して少なくありませんでした。

昨日書いた「共働き」もそうした言葉の一つです。
もっとも最近は「共稼ぎ」などという言葉は、ほぼ死語に近いでしょうが。

私はずっと「共働き」でした。
節子が専業主婦だった頃から、私の意識は「共働き」でした。
一般的に、夫と妻が別々の仕事をもつ場合を「共働き」というと思いますが、私はそれを「別働き」と称していました。
もう30年前の話です。

会社で私は25年間勤めましたが、その間も私の意識は共働きでした。
私が仕事に打ち込めたのは節子のお陰であり、節子の支えがあればこそ、仕事に集中できました。
それに私の仕事はいろいろと考えたり、調査したり計画したりする仕事が多かったのですが、その時に節子の言動や考えがとても参考になりました。
いろいろな意味で共働きだったのです。
こういう言い方をすると「内助の功」(これはまさに死語でしょうが)を思い出すかもしれませんが、それとは全く違います。

もし夫婦が人生を共に歩んでいるとすれば、そのそれぞれの仕事もまた共に生み出しているものだと考えるべきでしょう。
人が1人でできることに比べて2人でできることは2倍ではありません。
私の感じでは5倍や10倍になります。
共働きとは、実は人の能力を活かし生活を豊かにする仕組みなのではないかと思います。
私の人生が豊かなのは、節子との共働きのおかげです。
そう今でも思っていますし、今もなおその共働き関係は続いているのです。

共働きは物理的な分業とは違います。
あえていえば、精神的な協業なのです。

だんだん挽歌ではなく時評っぽくなってきました。
この続きは時評編に譲りましょう。
今日の挽歌で書きたかったのは、今もなお私は節子とともに仕事に取り組んでいるということです。
節子の発想は、いまもなお私の判断の大きな部分を占めているような気がします。
そしていろいろな仕事ができるのは、間違いなく節子のおかげなのです。
節子と共にあることに感謝しています。

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■節子への挽歌955:私の言動の中にいる節子

節子
うっかりして、昨日、挽歌を書くのを忘れてしまいました。
昨日は、朝から湯島に相談客が多く、帰宅も遅かったので疲れきって、お風呂に入ってすぐ寝てしまいました。
昨日は4人の相談でした。
相談に答えるよりも、勝手なことを話しているだけのような気もしますが。
しかし、アクティブに応えるようにしていますので、それなりに疲れます。
むかし横で聞いていた節子は、内容が全く違うのに、よく頭を切り替えられると感心してくれましたが、昨日も、アート、経営、医療、農業と問題はさまざまでした。

挽歌を忘れたとはいえ、節子を忘れていたわけではありません。
誰と話していても、時々、節子が出てきます。
というか、私の発想の中にすでに節子がいるのです。
人生の三分の二を一緒に暮らしていると、考えることにおける自分と伴侶との境界はあいまいになります。
それは家事や家族のことだけではありません。
仕事や社会活動の面でも、言動は融合され、共進化してきているように思います。
人の脳は開かれており、他者とつながっていることを実感します。
節子と私の思考は共有化され、そのどれが私本来のもので、どれが節子本来のものかさえ、いまではわかりません。
節子はいなくなりましたが、その脳はまだ私の中にいます。

私の発想はかなり柔軟だと思いますが、それは複数の視点で発想できるからです。
言動が自然と共有化される伴侶を持てたことが、いまの私の生を支えていることは間違いありません。

昨日のように、かなり専門的な話題になっても、そうした複数の視点は生きてきます。
ですから私はいまも「共働き」生活なのです。
「共働き」というと誤解されそうですので、これは改めて書くようにします。

挽歌は毎日1回と決めており、その番号が節子を見送ってからの日数ですので、今日は挽歌を2回書くことします。
そうしないと番号と日数がずれてしまいますので。

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2010/04/14

■お金が見えなくなりつつあります

昨夜、友人と食事をしたのですが、支払いの段になって、お金を持っていないことに気づきました。
そのため、ご馳走するつもりがご馳走されてしまいました。
もちろんカードで支払うこともできたのですが、もたもたしているうちに友人が支払ってしまいました。

帰りの交通費はあるか、と友人は心配してくれました。
彼は私の「生活力」を全く信頼していないのです。
しかし、スイカがあるので、現金がなくとも問題なしです。
それに、スイカがあるために、お金の無いことに気づかずに大久保まで来れたのです。
要するに、お金がなくとも、電車には乗れるのです。

あるスーパーでもスイカが使えます。
そこで買い物をいくらしても、現金は不要です。
ですからそこでは何でもが無料のような錯覚になってしまい、娘たちと行くとついつい無駄な物まで買物かごに入れてしまっていました。
感覚が麻痺するのです。

いずれにしろ、最近はお金が無くとも暮らしていけるのです。
もちろん、どこかでスイカやカードに現金を振り込まないといけないのですが、それも銀行から自動的に振り込まれる仕組みになってきていますから、現金のやりとりを自分ではなにもしなくても大丈夫なのです。
これは「便利」なことなのでしょうか。
金融業者や国家にとっては便利であることは間違いありません。
しかし、こうして「お金」が見えなくなっていくとしたら、生活者にとっては恐ろしいことなのではないかという気がします。

仕掛けは見えないほど、効果を発揮します。
お金はどんどん見えなくなることで、社会を変質させているのです。
こうしたことに関しては、とても示唆に富む講演をされている方がいます。
関曠野さんですが、その講演録をある人から教えてもらいました
ぜひみなさんもお読みください。
世界の見え方が変わってくるはずです。
私はベーシック・インカムには否定的でしたが、この講演録を読んで、自分の視野の狭さと浅さを反省しました。

ところで、先ほどの友人にご馳走になってしまった話からのもう一つの教訓です。
お金がなくても友だちがいれば、暮らしていけるということです。
人は誰でも「何か」を持っています。
それを支え合って活かしていけば、たぶんみんな暮らしていけるのです。
アマルティア・センの発見は、食べ物が無くて飢餓が発生するのではなく、友だち関係(人のつながりの仕組み)がないために飢餓は起こることでした。
私もそう思います。
世界中のみんなが友だちになれれば、タイのデモも起きません。
ホームレスなど発生しようも無いのです。
なにしろ日本には空き家があふれていますし、タイには豊かな自然があふれているのですから。

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2010/04/13

■節子への挽歌954:生を突然に打ち切られる

節子
相変わらず、人の死を伝える報道が毎日続いています。
ポーランドの大統領夫妻は飛行機事故で亡くなりました。
タイで取材していた日本のカメラマンがデモに巻き込まれて死亡しました。
なんで人は死ぬのでしょうか。

しかし、考えてみると、人の生は常に死と隣り合わせです。
なぜなら、死があればこそ生があるからです。
ポーランドの大統領夫妻は、まさか飛行機が墜落するとは思わなかったでしょうし、取材中の村本さんも銃撃のさなかにいたとしても、おそらく自らの死はあまり実感しなかったのではないかと思います。
死を実感した時には、もしかしたら死が不可避のものになってしまった時なのではないか、そんな気がします。
その現世における「一瞬」は、もしかしたら当事者には長い時間かもしれませんし、あるいは時間軸の流れを超えるものなのかもしれません。
時間軸を超えられるのならば、なぜ死を避けられないのか、それは避けられないがゆえに与えられたものだからです。

あまり思い出したくないので、叙述的には書く気にはなれませんが、そんな思いを節子を見送った後、何回ももちました。

私もこの次の瞬間に死に見舞われるかもしれませんが、おそらくその瞬間にいたるまで、そんなことなど微塵も考えないでしょう。
そんな気がしてなりません。

人は死ぬのではありません。
生を突然に打ち切られるのです。
彼岸に立てば、それはしかし、さまざまな事柄の一つでしかないのです。
打ち切られるのではなく、始まりかもしれません。
時間軸のない世界の事物の生成とはどんなものなのでしょうか。

ばばこういちさんの葬儀に行ってきました。
私にとっての葬儀の風景は、以前とは全く違ったものになってしまっていました。
永六輔さんたちが、また「お別れの会」を企画しているそうですが、私はお別れなどする気はないので参加はしないでしょう。
生者のためのお別れの会は、どうも好きになれません。

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■人は他者とつながりたいのか

私がNPOやボランティア活動に関わりだしたのは、会社を辞めてからですが、そこで感じたのは、「社会活動」に取り組んでいるとばかり思っていた、そういう組織やそのメンバーの人たちが意外と閉じられていたことです。
会社時代には、会社があまりに社会に対して閉じられていることに違和感が強まり、「開かれた企業」という小文を朝日新聞に寄稿させてもらったこともあります。
それを実際に自分の勤めている会社で実現しようと社長に提案して、企業文化変革プロジェクトに取り組ませてもらったわけですが、見事にそれに挫折し、会社を辞めた後、関わった住民活動や市民活動でもまた同じ経験をしてしまったわけです。
組織とは閉じられたものだ、という考えに立てば、それは当然のことなのかもしれませんが、そうした組織論を打破すべき時期に来ていると思います。
会社を辞めて21年、私がずっと取り組んでいるのは、そのことです。

10年ほど前に、「ひらき、つながり、支えあう」という理念に基づいて、さまざまな活動に取り組む人たちの緩やかなつながりの輪としてのコムケア活動を始めました。
そのおかげで、私はたくさんの人たちと知り合いになりましたし、そうした人たちにさまざまな形で支えられています。
しかし、みんなはどうでしょうか。
恩恵を受けているのは、私だけではないのか。
みんなは私のためにつながりを育てているのではないかと思うことがあるのです。
たとえば、ある集まりをやって参加者が少ないと私がついつい声をかけてしまいます。
そうすると参加してくれるのですが、私のために参加してくれているのではないか、そんな気がすることがあるのです。
なぜなら、そこで出会った人たちのつながりは、さほど深まっていきませんし、新しい集まりが生まれていくことはあまりないからです。

それに、そもそも人は他者とつながりたいなどとは思っていないのではないかと思うこともあります。
事実、少なくとも私はどこかでそういう気持ちがあります。
人とつながることは、わずらわしく、哀しいことの原因にもなるからです。
でも、つながらないと、これまたさびしい。

昨日も書きましたが、最近、毎週2回前後の集まりをやっています。
みんな迷惑しているのではないのか。
そんな気がしてきました。
独りよがりの生き方は変えなければいけません。
少しまた生き方を変えたくなってきました。
これこそが、独りよがりなのでしょうね。

悩ましい毎日です。

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2010/04/12

■モチベーション

友人から手紙が来ました。
彼はメールもやっていますが、手紙が大好きなのです。
それも、お気に入りの万年筆で書く手紙です。
たしかに彼の手紙にはいつもぬくもりがあります。

その手紙の書き出しは、「お金のない社会研究家の佐藤修へ」でした。
そして送ってきてくれたのが、お金不要の生活をしている人の雑誌記事でした。
これで2回目です。

どうも誤解されているようなのですが、私は「お金がない」のではありません。
あえていえば、世界中のお金もまた自分のものと思っているようなところがあります。
これは法頂さんの本から教えてもらったことです。
自分の私的所有観念をなくせば、この世のすべてのものは自分のものと思える、と。
損得判断も、小さな自分の世界を少し外れただけで全く違ってきます。

で早速、その友人には「お金はありあまっている」ことを伝えたのですが、その手紙の最後にもう一つ指摘がありました。
私は最近、週に2回程度のサロンやフォーラムをやっています。
それに毎回のように付き合ってくれている人も少なくありません。
その案内や報告をあるメーリングリストに出していますが、それをみた彼の会社の友人が、この人たちのモチベーションは一体なんなのだろうかと不思議がっているそうなのです。

確かに毎週土日をサロンやフォーラムや集まりで埋め尽くしていると、時に休みたくなることもあります。
しかし考えてもみてください。
多くの企業人は、そしてその感想を述べた人は、毎週5日も組織で働いているのです。
私にとっては、そのモチベーションこそ不思議です。

視点を変えると、世界は全く違って見えてきます。
そんなことを彼の手紙で改めて思いました。

政治家も少し視点を変えるといいのですが。

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■節子への挽歌953:インシデントの世界

昨日、落椿は俳句の春の季語だということを書きました。
その椿がまだ落花せずに咲いているせいか、今日もまだ春とは遠い寒い日です。
その上、雨です。
とても哀しく、とても寒く、とてもさびしく、いささかの不安に心身が萎えるような日です。

俳句で思い出したのですが、ロラン・バルトという人がいました。
その著作は私には歯が立たず、読んだことはないのですが、その書名は魅惑的です。
たとえば、「零度のエクリチュール」「表徴の帝国」「偶景」、そして「記号の国」。
記号の国とは、日本です。
そしてその象徴が俳句です。

ある雑誌からの孫引きですが、バロンはこう書いているそうです(「談」87号)。

「偶発的な小さな出来事…、日常の些事、アクシデントよりもはるかに重大ではないが、しかしおそらく事故よりももっと不安な出来事、日々の織物にもたらされるあの軽いしわ」。
その言葉を紹介している今福龍太さんは、こう語っています。
ごく些細な出来事、ささやかな、取るに足らない出来事。そうした「インシデント」はそのまま消えるのではなく、そのまま人々の感情、真理、感覚の深いところにいつしか入り込み、作動し、働き続ける。
そこにあるのは、ゾーエに突き刺さるリアリティです。
今福さんはつづけてこう語っています。
たとえば、枝に残っていた枯れ葉がたまたま自分の見ている時にその最後の1枚が落ちて、ひらひらと螺旋を描きながら地面に落ちるという偶発的な出来事。これこそをインシデントと呼ぶわけです。自分に物理的な被害を及ぼすものでは全くない。にもかかわらず、交通事故よりもはるかに深く繊細なかたちで、私たちの心を射貫き、突き刺すような情動を生む可能性がある。
今福さんは、歴史が語るアクシデントと生活の中での主役であるインシデントを対照しているのです。

節子がいなくなってから、私もまた、アクシデントの世界ではなく、インシデントの世界で生きていることを強く実感するようになりました。

和室からわずかに見える庭の椿がいつ落花するのか。
それがとても気になってきてしまいました。

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2010/04/11

■節子への挽歌952:つばき

節子
気がつかなかったのですが、庭のつばきが大きな花を一輪だけつけていました。
葉っぱの影に咲いていたため、気がつかなかったのです。
いつもは複数の花が咲くのに、なぜか今年は大きな花が一つだけでした。

先日、ある人と歩いていたら、道沿いに咲いていた椿の花をちぎっていた人がいました。
一人の人は、なんとひどいことを口にしたのですが、もう一人の人があれは落花しそうな花をわざととっているのだと教えてくれました。
その人の地方では、椿のことを「首切り花」とも言うそうです。
その表現ははじめて聞きましたが、椿は花びらが散ることなく、花そのものが丸ごと落ちるため、首が落ちる様子を連想させ、病気の入お見舞いには使わないということは聞いていました。
それに「落椿」(おちつばき)という春の季語もあります。
椿の花は、どこか高貴で、凛としていて、私は大好きなのですが、花びらが枯れてきたり、無残に散乱した落椿は、できれば見たくない光景です。
それを知っているかのように、葉の陰でこっそりと咲いている椿は、いろいろ感じさせるものがありました。
迷いましたが、写真を撮ってしまいました。
盛りを過ぎた、老花の一輪です。
どうしても、節子に重なって見えてきます。
Tsubaki

俳句では、落椿は春の季語です。
この一輪が落花したら、節子のいない3回目の春が始まります。

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■沖縄返還「密約」文書はどこにいったのか

東京地裁は 沖縄返還「密約」文書の存在を認めたうえで、国側の対応について、「調査が不十分で、国民の知る権利をないがしろにしており不誠実だ」として請求をすべて認め、不開示とした外務、財務両省の決定を取り消し、開示を命じる判決を出しました。
原告の西山さんさえ驚いている判決ですが、普通の感覚からすれば、至極当然の話です。
しかし、調査委員会を設置して調査に当たった岡田外相は不満のようで、記者会見で、外務省の調査で文書が見つからなかったことに触れた上で、「納得いく判決では必ずしもない」と述べ、控訴を示唆したといいます。
そのあたりの事情はよくわかりませんが、文書が存在していたことは明らかであり、今尚その文書が存在する可能性もまた高いと思うのが普通のように思います。

ところで、これに関して、こんなことを体験しました。
ある事情通の人が先月やってきて、密約文書の話になりました。
その人の話によれば、いつ、誰が、なぜ、文書を破棄したかはの話はその世界では既に流れているようです。
私も名前まで聞きましたし、理由も聞きました。
もちろんそれが正しいかどうかはわかりませんが、外務省の中から出ている話のように感じました。
つまり、事実を知っている人は少なくないのではないかと思います。

私がそう思うのは、何もこの事件に限りません。
行政だけもなく、企業の事件でもよくある話です。
これまでも何回か具体的に書いたことがありますが、徳団に事情通でもない私ですら知っていることが、調査している人たちに知られていないはずはありません。
なぜそれが問題になったり、報道されたりしないのでしょうか。
そこにこそ、社会の不思議さがあります。
人は見たいことしか意識しないのと、見慣れたことは事件などと気づかないのです。

20年ほど前に、富士吉田の市長と話していて、毎日素晴らしい富士山が見えてうらやましいです、と言ったら、市長はあまりにも当たり前にそこに富士山があるので、そんなことを思ったことはないです、と答えてくれました。
まあ会話上のあやではしょうが、半分は事実かもしれません。
人は見慣れてしまうと見えなくなってしまうのです。
そしてまた見慣れていないものも見えないのです。

私たちが見えているのは、いったい何なのでしょうか。
要するにほとんどのものが見えていないのです。
だからきっと、みんな平和に生きていられるのでしょうね。
世界が見えてくると、平和ではいられなくなるのです。

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2010/04/10

■節子への挽歌951:訃報

節子
放送ジャーナリストのばばこういちさんの訃報が届きました。
昨年お会いして以来、あまり体調が良くないことは聞いていましたが、まさかそれほど悪いとは思っていませんでした。
とても残念です。

ばばさんは武田さんの紹介で知り合いました。
ばばさんもまたドラマティックな人生を送られた方です。
たしか1970年代だったと思いますが、テレビの「アフターヌーンショー」で、ばばさんは「なっとくいかないコーナー」というのをやっていました。
生活者にとって「納得がいかない」おかしな問題を取り上げて、それを解明し、正す番組でした。
節子はその番組のファンでした。
何しろ節子は「正義の人」でしたから、納得できないおかしなことには黙っていられないタイプの人でした。
だから、そうしたことを小気味よく正すばばさんが好きだったのです。
私がまだ、ばばさんと知り合う前の話です。

私がばばさんと知り合ったのは、会社時代に情報研究会をやっていた時です。
リンカーンクラブの武田さんの紹介だったと思いますが、以来のお付き合いです。
ばばさんも、節子とどこか似ているまじめな「正義の人」でした。
節子もばばさんには会っていますが、むしろ記憶に残っているのは、ばばさんの奥様です。
たしか日本橋丸善で開催されていた小林文次郎さんの手染め展を見に行った時でした。
小林さんは、私もお会いしたことがありますが、ばばさんご夫妻とお付き合いがあり、その展示会でばばさんの奥様と節子は会ったのです。
節子が再発してから一度だけ私はばばさんの司会しているテレビに出演しました。
テーマが病院だったため、断れなかったのです。
スタジオに来ていた奥様から、再発した節子を置いて、こんな番組に出ていていいのかと言われたのがとても印象に残っています。

節子の見送りにもばばさんは来てくれましたが、その時はまだ元気でした。
私よりも元気だったはずです。
そのばばさんが逝ってしまいました。

訃報を伝えてくれた武田さんが、こうしてだんだん抜けていくのだね、と言いました。
悲しいというよりも、それが自然なのだと、この頃思えるようになってきました。
思い切って、今回は葬儀に出かけようかと思います。

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■新党の何が新しいのか

平沼新党とか首長新党とか、なにやらまた新党ブームです。
その名前も極めてお粗末です。
「みんなの党」ができたときは、小学校の政治ごっこでもあるまし、あなたには思想がないのかと、渡辺さんを見限りました。
この程度に人が政治を担っているとは、まさに政治ごっこです。
しかし、そのみんなの党の人気があるという世論調査を知って、驚きました。
ところがこんどは、「たちあがれ日本」です。
おいおい、あまりに安直ではないかと、これはもう笑い話です。
以前、「老人党」という映画がありましたが、「老人党」のほうがよほど誠実です。
せめて「たちあがれ政治家党」あるいは「たちあがれ自分党」にしてほしかったです。

郵政民営化に最後まで反対して自らを律した平沼さんには、私は敬意を感じていました。
それがよりによって、与謝野さんと組むとは、がっかりです。
ただ人数を確保して、政党を作ることが目的になっている結果でしょう。

政党の作り方によって、その人の思想や姿勢がわかります。
首長新党も、いかにもです。
理念や思想で集まるのではなく、金と話題で集める新党には期待できません。

前にも書きましたが、そもそも「政党の時代」は終わったのです。
政治家の役割を終わった人たちの新党遊びには、私は全く感心がありません。
それにしても若手はなにをしているのでしょうか。
全く見えてきません。
いま立たずして、いつ立つのでしょうか。

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2010/04/09

■節子への挽歌950:節子は海棠を見ているでしょうか

節子
あなたが手賀沼公園の植木市で買ってきた庭の海棠(かいどう)が咲きだしました。
地植えしたので毎年成長しています。
桜も梅もきれいですが、それらに比べて海棠はなんとなく見る人に媚びるような強さがあります。
しかし、海棠の花言葉は「温和」だそうです、
少し違和感があります。
桜の美しさに比べ、海棠は少し品が落ちます。
海棠のもう一つの花言葉は「美人の眠り」だそうです。
これも、とても違和感があります。
Kaidou


海棠は中国で好まれた花のようです。
たしかに海棠の持つ雰囲気は、日本よりも中国につながっています。
中国の絵柄には、海棠のほうが似合いますし、中国の麗人には海棠の華やかさが似合っています。
節子の雰囲気とはちょっと違うような気もしますが、節子も私も海棠が好きでした。
でも鉢物は何回か枯らしてしまったような記憶があります。
それで近くの植木市で買ってきたのです。

わが家の近くにある手賀沼公園では、毎年、植木市がありにぎわいます。
節子が元気だった頃は、毎年、それにつき合わせられました。
私はどちらかと言えば、運搬役でした。
私の好きな花木と節子の好きな花木は、必ずしも同じではありませんでしたが、世話をするのは節子なので何を買うかは節子に決定権がありました。
私の好きな花木も選ぶようにしてくれましたが、いま残っているものを見ると、やはり節子好みのものが多いような気がします、

しかし節子が本当に好きだったのは、草花でした。
さびしそうに咲く山の野草も節子は好きでした。
もしかしたら、節子は草花の手入れが好きだったのかもしれません。
庭で土いじりをしている節子は、いつも楽しそうでした。
私がお茶をいれて、そろそろ止めておやつにしようよ、といっても、なかなか入ってきませんでした。
その節子がいない庭は、花がいくら咲いても、さびしいです。
花の世話が大好きだった節子は、いまも彼岸で花の世話をしているそうですが、たまにはわが家の庭にも戻ってきてほしいです。

海棠は咲きましたが、庭は相変わらず、さびしいままです。

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2010/04/08

■節子への挽歌949:古代への関心がなくなってきました

節子
新聞に「倭の正体」という本の広告が載っていました。
以前なら、倭などという文字を見ただけですぐに書店に注文していましたが、その気にもなりません。
そこで気づいたのですが、この頃、古代に対する関心が薄れてきています。
それと同時に、本を買わなくなってきました。
なんとしたことか。

関心が薄れたのいは、古代史だけでしょうか。
どうもそれだけではありません。
新しい知識を得ることに興味を失っているような気もしてきました。
「新しい知識を身につけて、それがいったいなんの意味があるのか」
そんな風に思っている自分がどこかにいるのです。

なんでもかんでも節子につなげるのは間違っているかもしれませんが、こういう気分になったのは節子がいなくなったためではないかという気がします。
節子がいなくなったために人生の有限性を実感してしまったのです。
以前は自分の人生には終わりはなく、いつまでも前に進んでいくような気になっていましたが、私の半分の人生が終わったいま、残りの半分が終わることも実感できるようになったのです。
そうなると新しい知識を得ても、それは知識で終わってしまいかねません。
それでは学ぶ意味もない。
知識は何らかの意味で活用(古代史であれば、その場所に行ったり自分の論理を創りあげたり)できてこそ、学ぶ意味があります。
でもその時間はもうありそうもありません。
少なくとも今は読まないけれどとりあえず買っておこうという本の買い方はなくなりました。
私がいなくなったら、娘たちは残された本を処分するのが大変でしょうし。

節子は、私と違って古代史にはあまり興味がありませんでした。
ギリシアに行っても、エジプトに行っても、私と違って、遺跡は観光の対象でしかありませんでした。
遺跡よりもカナダやアメリカの雄大な自然景観を観光に行きたがっていましたが、私の好みで遺跡ばかり付き合わせられていたのです。

節子がいなくなった今、どうして古代への関心が薄れてきているのでしょうか。
いまならきっと地中海で歯なくて、カナダ旅行を優先させたでしょう。
これもまた節子が半分乗り移っているためでしょうか。

なにやら少し不思議な気持ちがします。

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■被害者と加害者の関係その2:ケアと犯罪

前の記事の続きです。

前の記事で、ケアという言葉を使いましたが、このブログでも何回も書いているように、ケアは一方的な行為ではなく、双方向的な関係性です。
ケアする人とケアされる人がいるわけではありません。
ケアしあう関係があるだけです。
私は、犯罪にもまた、そうしたことがいえるような気がします。
視点を変えれば、加害者もまた被害者なのです。
被害者を加害者というのは適切ではないかもしれませんが、大きな視野で考えればその側面もあるように思います。

ケアはなぜ双方向になるのかといえば、弱みや痛みを顕現化することによって、他者にケアする気持ちを起こさせるからです。
そのおかげで、私たちは他者をケアする機会を得られ、自らをケアできるのです。
これが最近このブログで少しずつ書き出している、サブシステンスの意味なのではないかと思います。
ケアすることがなぜサブシステンスなのか。
それは他者とのつながりを生みだすからです。

それが切れた時、どうなるか。
そこに「犯罪」とされる関係の素地が生まれるような気がします。

犯罪は、統治のために権力(制度)が作り出すものですが、それは同時に生きていくためにみんなが許容する「支え合いの仕組み」からはみ出した現象とも言えます。
発生してしまった犯罪(事故)をどう処理するかという問題と、被害者を発生させるような犯罪(事故)をどう未然に防止するかは、実は全く次元の違う話ですが、それが堂も混同されているような気がします。
刑務所の仕組みはどう考えても、おかしな仕組みですし(同じ「犯罪者」を一か所に集めて、普通の社会生活とは違った生活をさせることで、更生ができるとは思えません)、裁判もまたおかしいです(権威に依存した密室で行われていること自体が不明朗です)。

犯罪にどう立ち向かうか。
それは難しい問題ですが、まずは犯罪行為が発生しないような社会の仕組みや私たちの生き方を考えなければいけません。

イスラムの人たちも、決して「自爆」したいなどと思っていないのです。

にもかかわらずなぜ、自爆者が後を絶たないかを考えてみなければいけません。
それはまさに私たちの問題でもあるのです。

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■被害者と加害者の関係

昨夜、NHKのクローズアップ現代で、「犯罪加害者の家族」の問題をとりあげていました。
家族が事件を起こし犯罪者になったために、家庭が崩壊し、なかには自殺までしてしまった人もいます。
子どもたちのために、離婚して旧姓に戻したり、繰り返しの転校をして、過去を見えなくしたり、それこそ大変な思いをしているのです。
ただでさえ辛い思いをしている家族を追い込むのは、周りの人たちです。
学校さえもガ子どもを守ってやらない事例が、昨日も報道されていました。
学校とは一体なんなのか、そうした学校関係者に教育を語る資格があるのか、子どもを預けられるのか、私には疑問です。
本来は支える側にまわるべき人たちまでもが一緒になって、加害者家族を追い込んでいくわけです。
間接的ですが、私もそうした社会の傾向に加担しているのでしょう。
恥ずかしいかぎりです。

そうした家族を支える活動を始めたNPOの人が、こんな話をしていました。
被害者の家族のことを思うと、加害者家族を支援していいのだろうかという思うこともある。
実際の犯罪加害者の家族の人も、そうした迷いを語っていました。
どこか、おかしいと思いませんか。

ここには「言葉の魔力」があります。
「加害者家族」と言った途端に、家族もまた「加害者」の仲間に組みこまれてしまうのです。
私は、家族もまた「被害者」だろうと思います。
そう考えれば、事態は全く違った構図になっていきます。
そして、そういう発想がなければ、犯罪関係者をケアすることは難しいはずです。
さらにいえば、「加害者」もまた「被害者」と考えるべきかもしれません。

家族が犯罪者になるのは、家族のせいだと考える傾向が、今の日本にはあります。
しかし、もしそうだとしたら、その「家族」をもう少し広義に広げて、「社会」と捉えることはできないでしょうか。
そういうと、江戸時代の5人組や明治政府以来の隣組のような、相互監視装置を思い出す人がいるかもしれませんが、もっと「開かれた」意味での社会です。
その区切り方は難しいですが、むしろそれよりも大切なのは「関係性」のありかたです。
監視のようなネガティブなまなざしではなく、支え合うようなあたたかなまなざしが基本にならなければいけません。
そこにこそ、ケアという発想が求められるのです。

加害者の家族の方の、やり場のない不安や悩み、それを思うと、そういう人たちに石を投げるような社会の一員であることが哀しいです。

日本では、被害者と加害者が、どうも極端な二元論で語られすぎです。
想像力のない社会は、非寛容な社会でもあります。
そこでは犯罪も事故も、繰り返されるでしょう。
そしていつかそれが自分に回ってくるはずです。

とても考えさせられる番組でした。

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2010/04/07

■節子への挽歌948:どこまでが私の脳なのか

節子
最近、ソーシャルブレインズという言葉に、時々出会います。
やっと概念化されてきたかと思っていたのですが、私が思っていた(節子に話していた)概念とは全く違っていました。

昨日、箱根に行く途中で、「ソーシャルブレインズ入門」(藤井直敬著)という新書を読みました。
私の期待とは全く違う内容でしたが、とても面白かったです。

ところで、その本にこんな問いかけが出てきます。
「あなたの脳はどこまでがあなたなのでしょうか」

「ソーシャルブレインズ」は、「社会脳」と訳されますが、この本の著者の説明では、それはこんな話です。

世の中には、人の数だけ脳があります。
複数の脳がやりとりをすることで、人間関係や社会はなりたっています。
見方を変えれば、脳は、そのような、他者との関係や社会の中で、初めてその機能を理解できるものです。
「ソーシャルブレインズ」とは、そんな「人間関係や社会に組み込まれた状態の脳の機能」のことです。
「空気を読んだり、がまんしたり、人とつきあう」脳の機能です。
言い方を変えれば、私たちの脳は、たくさんの他者の脳に敏感に反応するというか、連動してというか、ともかくそれら(脳の集合)に適応して常に変わっていくというのです。
主体的などと思っていても、所詮は私たちの頭の中にある脳は、私たちを超えて他者の脳とつながっていると言うわけです。

この考えは、学生の頃からの私の考えに近いので、別に違和感はないのですが、著者の質問にはドキッとしました。

「あなたの脳はどこまでがあなたなのでしょうか?」

そうか、今もなお、節子の脳ともつながっているのか、と思ったのです。
こういうのを「牽強付会」というのでしょうか。

でも、そう思うと、いろんなことが解けてきます。
どんな新説も、今の私にはすべて節子とのつながりのかなで受け止めてしまうのです。
そのせいか、どんな新説も珍説も、すべてすんなりと心身に入ってくるのです。

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■特別の存在という関係性と支え合いの文化

先日の挽歌940に、こんなことを書きました。

余人をもっては代えがたい存在となるような関係性を創り出すのが「特別の存在」という意味です。
ですからそれは対称性を持っており、相互に「特別な存在」なのです。
このブログを読んでくださった共済研究会の佐々木さんが、支えあい助け合う共済の本質が、この文章に現れていると教えてくれました、

佐々木さんは、「共済」の運動は、「相互に特別な存在」になる「関係性」を社会の中に築き上げてくことに尽きるように思う、というのです。
まったく気づかずに書きましたが、言われてみるととても納得できます。
最近、サブシステンスとしての支え合いについて考え出しているのですが、まさに私自身が、その真っ只中にいることに気づきました。
私にとってのサブシステンスは、まさにこのことなのです。
それがあればこそ、生きていられるのです。
これは、自らの生の危機を体験しないと得られないものかもしれません。

佐々木さんは、以前、四国の松山に行った時に、街を走っていた市電の車体側面に「あなたにとって他人でも、みんなだれかのだいじな人です」という標語が掲げられていて、感動した記憶があるとも書いてきました。
そうなのです。
みんな誰かにとって大切な人なのです。
でも、その関係が見えにくくなっている、あるいは断ち切られているというのが現代なのかもしれません。

佐々木さんは、つづけて、

特別な存在ではなくとも、支えあう存在としての自己、そして仲間という、気持ちを持てるような関係ができれば、どれだけ楽しいことか。心豊かなことか。
と書いてきてくれました。

そう思います。
私はそうした生き方を心がけていますが、
みんなこうした生き方をしたら生きやすいのにといつも思います。
そうした生き方をしていると、世間には悪い人などいないのです。
マスコミで報道される世界と、私は違う世界に生きているのかもしれないと、ついつい思ってしまうほどです。

日本の社会は、古来「支え合う社会」だったのではないかと思うのですが、今その「支え合う文化」(共済の文化)が壊されつつあります。
そうした動きに対して、佐々木さんはなんとかしなければと、共済研究会に取り組んでいるのです。
「支え合いの文化」を守るのは、私たち一人ひとりの生き方です。

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2010/04/06

■節子への挽歌947:自分一人救われても意味がない

節子
強羅のホテルの合宿に参加しています。
企業の経営幹部の皆さんの研究活動のアドバイザー役なのです。
節子がいなくなってからも、この活動は続けています。
しかし箱根での合宿はやはり足が重いです。

今日は飲めない日本酒を飲んだので、いささか頭がくらくらしていますが、
こういう時でも挽歌は続けることにしています。
箱根のことを書こうと思ったら、挽歌へのコメントがまた来ていました。
時々、投稿してくれる「いろは」さんです。
実は、いろはさんは先日、湯島まで会いに来てくれたのです。

コメントは、「悲しみの共有」にです。
いろはさんのコメントもぜひお読みください。

そこに書かれていた、次の文章にまたハッと気づきました。

佐藤さんも少しでも救われて欲しいという私の願いが、ほんのちょっぴりだけ叶ったような安堵感がありました。
なにがハッとしたか。
私を心配してくれている人がいる、ということです。
いろはさんには感謝しなければいけません。
でも、私はたぶん救われるまでもなく、十分に救われているのです。
しかし、私が救われることでいろはさんは安堵できるとしたら、やはり私は救われなければいけないのです。

最近、時評編で書いていますが、意味ある生のためにはサブシステンスとしての「支え合い」「関わり合い」が不可欠なのです。
そのことを、節子はみずからの生を通して、私に教えてくれたのです。
以前読んだ「サブシステンス」関係の本を、最近読んだら、何かスーッと心に入ってきたのです。

自分一人救われても意味がないのです。
同じ痛みを抱えた人に、心安らぐ瞬間が訪れることまで、分かち合いたいのです。
いろはさんの、その言葉に共感します。
そのためにこそ、私もまた救われなければいけないのです。
「救われる」ということ。
その意味を私はまだしっかりと理解していないようです。

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2010/04/05

■節子への挽歌946:悲しみの共有

挽歌939にコメントをもらいました。
もう読んでくださった方もいるかもしれませんが、伴侶を亡くした悲しみは決して共有できないということに反応してくれたのです。
共感できないことを共有することで、私も少し救われます。

この方はこう書いています。

この悲しみは いつまで続くのでしょうか。
夫が逝ってから 265日たちますが 悲しみは益々深くなり 何をしても 終着点は 夫です。
それでも 狂いもせず 日常を 現実を生きている自分が不思議でなりません。
そうなのです。
自分ながら、とても不思議な感覚です。
ある意味では「狂っている」のかもしれませんが、見た目はたぶん以前と変わらぬ生活でしょう。
早くそばに行きたい もう一度会いたいと思うばかりです。
私も今でも毎朝、節子の写真にそう語りかけています。
でも、実際には、現実を今まで通りに(もちろん生の中身は違うのですが)生きています。
強い人間だと思っていた自分が ほんとはこんなに弱い人間で 夫がいたから強く生きて来れたんだと今にして知りました。
「人」という文字は、ニ本の棒が支え合ってできています。
その意味の深さを知ってしまったことが、不幸なのか幸せなのか。
人の生はさまざまですが、私の場合は、一人で生きる人生ではなかったことは間違いありません。

と、こう書いてきて、もしかしたら、伴侶を亡くした悲しみは共有できるのかもしれないと、ふと思いました。
もしかしたら、そう思いたくない気持ちが私にも、この方にもあるのかもしれません。
そして、その思いがあればこそ、狂いもせずに生きていられるのかもしれません。

このコメントをもらってから、ずっと考えてきましたが、これが今現在の私の思いです。
山崎さん
もしかしたら、分かち合えるのかもしれません。
でも、それがなんだ、いう気持ちもありますが。

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■事業仕上げフォーラムの報告

参加者がなかなか集まらずに、このブログにまで案内を書いてしまった「事業仕上げフォーラム」は予想以上の人が集まってくださり、とてもあったかいフォーラムになりました。
このブログを読んで前日に参加してくださった方も、少なくとも2人いました。
ありがとうございました。

フォーラムの様子はホームページ(CWSコモンズ)のほうに書く予定ですが、このフォーラムをやろうと決めたのは、1か月半前です。
湯島で、毎月やっていた「支え合いサロン」に集まっていた人たちで話しているうちに決まったのです。
それから2回ほど集まりましたが、誰もどんな集まりになるかあまり見えていなかったと思います。
私の考え方は、誰でもできることしかできない、という考えですから、無理をすることなく、できることをやろうと気楽に考えていましたが、今回は全くと言っていいほど流れに任せたので、私自身当日始まるまではどうなるのかほとんど見えませんでした。

昨日も冒頭で話させてもらったのですが、「支え合い」には2種類あります。
「補い合う支え合い」と「高め合う支え合い」です。
普通、支え合いというと、相手の弱いところを補い合うというイメージをもつ人が多いと思いますが、むしろ「相手の強いところを活かす」ことが、支え合いのポイントだろうと、私は思っています。

今回のフォーラムの実行委員は7人でしたが、それぞれが無理をしない範囲で、できることを出しあって実現したのが、今回のフォーラムです。
フォーラムのテーマは「支え合いを形にする」でしたが、まさにこのフォーラムの実現は「支え合いを形にした」ものでした。

しかもこのフォーラムから4つのプロジェクトが生まれだします。
あんまり「事業仕上げ」までは行きませんでしたが、たぶんキックオフのための勢いはつけられたのではないかと思っています。

ブログで案内させてもらったので、報告もさせてもらいました。
ご支援してくださったみなさんに感謝しています。
これに味をしめて、またこのブログで、何かを案内させてもらうことがあるかもしれませんが、よろしくお願いします。

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2010/04/04

■節子への挽歌945:コムケアフォーラム

節子
私が10年前から取り組んでいる、コムケアのフォーラムでした。
今年のテーマは「支え合いを形にする」でした。
とてもいいフォーラムになりました。
これも私を支えてくださる仲間のおかげです。

節子がいる時には、コムケア活動のイベントにはいつも節子も手伝い参加してくれていました。
特に100人を超えるような大きなイベントの時には、家族総出で応援してくれました。
だからこそ、飽きっぽい私がこの活動を継続できたのです。
コムケアをはじめた当初は、選考会やフォーラムが近づくと眠れない夜が続いたこともあります。
そんな時、節子はいつも、大丈夫、うまく行くわよ、と言ってくれました。
その一言が、私に元気を与えてくれました。
そのうちに、私自身がいつでも大丈夫だと思えるようになったような気がします。
最近の私の超楽観主義は、もしかしたら節子が私に植え込んだのかもしれません。

節子がいない今では、おそらく当時のような無謀な企画には踏み出せなかったでしょう。
コムケア活動に関しては、背中を押してくれたのは節子です。
しかし、そのコムケア活動で一時は超多忙になり、もしかしたらそれが節子への気遣いをおろそかにしていたのではないかと悔やむこともあります。
そのコムケアの仲間が、節子がいなくなってからの私に元気を与えてくれているのです。
コムケアと節子の思い出は、これもまた山のようにあるのです。

帰宅後、節子に今日の報告をしました。
ほら、うまくいったでしょう、と節子が笑っているような気がしました。

節子
ありがとう。

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2010/04/03

■節子への挽歌944:さくら

東京はこの週末が桜の花が満開です。
ユカも友人とお花見に行きました。
私も何人かからお誘いを受けましたが、まだその気にはなれません。
昨年、ついつい断れずに花見に出かけてしまいましたが、さくらの花を見ることができませんでした。
友人は笑いますが、まあそんなものなのです。
なにしろ節子は桜が大好きでしたから、桜にまつわる思い出が多すぎるのです。

友人が近くの桜の見事な写真を送ってくれました。
プリントアウトして、節子にも供えました。
節子もきっと喜んでいるでしょう。
これもまた笑われそうですが、まあそんなものなのです。

節子がいた時に見た桜と、いなくなってからの桜が、こんなにも違うのは驚くばかりです。
以前は、私の心身を癒してくれていた桜が、いまは私の心身のエネルギーを吸い取ります。
桜を見ると、きれいだなと思う反面、心が痛みます。
早く桜の季節が終わればいいなどとさえ、思いがちです。
なかなかわかってはもらえないでしょうが、まあそんなものなのです。

景色は、人の心を変えてくれますが、
人の心が景色を変えてしまうこともあるのです。

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■事業仕上げフォーラム

明日、「事業仕分け」ならぬ「事業仕上げ」をテーマにした公開フォーラムを開催します。
テーマは「支え合いを形にする」です。
この2年、2つのネットワークで、「支え合い」を考えるサロンをそれぞれ継続開催してきました。
考え方としての「支え合い」への関心の高まりを強く実感します。
私が、10年前にコムケア活動をはじめた時には、こんな感じではありませんでした。
しかし、いざ「支え合い」を具現化しようとするとなかなかうまくいきません。

阪神大震災の現場から「サブシステンスとしての支え合い」という活動がさまざまな形で生まれました。
しかし、その被災地でさえ、復興に伴って状況は変わってきたといわれます。
このあたりは、西山志保さんが「ボランティア活動の論理」(2005年 東信堂)で、調査結果を踏まえて見事に報告してくれています。

「つながり」もそうですが、「支え合い」もまた、そう簡単な話ではないことは、この30年の私のささやかな体験でも実感しています。
しかし、それを基本に置いて生きていると、必ず豊かになっていくというのもまた、私の実感です。

支え合いと事業とどうつながるのかと思う方がいるかと思いますが、それはまたいつか書こうと思いますが、最近流行の「社会起業家」の本質は「支え合い」だと思っています。
その要素が、これまでのビジネスとこれからのビジネスを分ける基準だと思います。
これまでのビジネスの基本は「支え合い」の反対の「奪い合い」でした。
それを変えていかない限り、産業のジレンマは超えられません。

そんなこともあって、4月4日、明日ですが、「支え合いを形にする事業仕上げ型フォーラム」を開催することにしました。
ところが、この日はいろんな行事が重なっていることもあって(それに絶好のお花見日です)、参加者集めが難航しています。
案内は次のところに掲載しています。
http://homepage2.nifty.com/CWS/info1.htm#100404

もしこの記事を読まれて、行ってみようかという方がいたら、ぜひお越しください。
なかなか参加者が集まらないので、このブログにまで案内を書いてしまいました。
フォーラムの様子は、私のホームページ(CWSコモンズ)でまた書かせてもらいます。

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2010/04/02

■節子への挽歌943:写真の節子のシワが増えました

今日もちょっと危うい話です。

最近、気づいたのですが、仏壇に置いている写真の節子が、以前よりもシワが増えてきています、
写真ですから変わるはずはないと思っていましたが、確かにそう見えます。
昔は、今よりもシワが少なく、もう少し美人だったような気がします。
写真のなかでも、人は歳をとるものなのです。

そんなバカな、と思うかもしれません。
スピルバーグの映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』には、そんな場面がよく出てきましたが、現実にはそんなことがあるはずがないといわれそうですね。
でも、それが現代人の退屈なところです。
どうしてそんなことがないと断言できるのか。

デジカメの写真なので、パソコンで原画を見ることができますから、それを見たら最初からシワがあったかどうかわかるだろうというかもしれません。
しかし、その原画やデジカメの電子データのなかでも節子は歳をとっているかもしれません。
確かめようはないのです。

みなさんは、鏡に映っている自分の姿を見て、それが自分とちょっと違うことに気づいたことはありませんか。
私はよくありますが、それだって同じかどうか証明などできないでしょう。
鏡の中の自分が、勝手に動き出すことがあっても、私は決して驚きません。

思い込みを捨てると、世界は途端に自由に動き出します。
そこで生きるのはけっこう疲れますので、みんな思い込みを大事にしますが、時には捨てることもいいものです。
こういう話は、最初に節子と奈良を歩いた時から、よく話していました。
奈良や京都は、私にとっては時空を超えた磁場だったのです。
最初は戸惑っていた節子も、そのうちに慣れてきました。
まあ聞き流す術を身に付けただけかもしれませんが、でも節子は否定はしませんでした。
今頃は、私の話していたことが正しかったことを知って、さすが修さんと思っているかもしれません。
残念ながら、その反対であることもありえますが。

さて、写真の中の節子に戻りましょう。
シワのない写真に変えようかと思います。
その写真もまたシワが増えていくかもしれません。
もしそうならば、シワが増えるのにまかせましょう。
それがきっと、節子の望むことでしょうから。

ちなみに、昨夜は節子からの音のメッセージはありませんでした。

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2010/04/01

■節子への挽歌942:節子からのメッセージ

寝室で本を読んでいると、時々、ビシッとか、ガタッとか、音がすることがあります。
これまでも音がしていたのかもしれませんが、最近、それに気づきました。
わが家は木造ですから。木材が乾燥して音を発することはあります。
そう考えれば、なんでもないことなのですが、そのタイミングが実に見事なのです。
ベッドに入って本を読み出すと(私は昔から就寝前に本を読む習慣があります)、その音がするのです。
最近、3回ほど体験しました。

先週、挽歌を読んで訪ねてきた人に、今でも妻とつながっているような気がすると話したら、そんな体験をされたことはありますか、と訊かれました。
大日寺のロウソクの話や告別式の前夜の光の話をしました。
昨夜は、それを思い出して、もしかしたら節子が何かメッセージを送っているのかと思いつきました。
そうしたことは実証することはできませんから、そう思うかどうかの話です。
そう思うと、似たような体験はいろいろとあります。
幸運が訪れたら、これは節子のお陰だと思うこともできますし、雨が降れば節子が悲しんでいると思っても辻褄は合わせられます。

大日寺に行ったとき、真実かどうかよりも佐藤さんが信ずるかどうかが大切なんですよと、連行してくださった加野さんが言いましたが、その通りだと思います。
人は、自分が信じたいことを信ずるものです。
節子が音を鳴らしていると思えばいいだけの話で、それが事実かどうかは、まったく別の話なのです。
そう考えれば、節子は見えないだけの話で、いまも隣にいると考えることもできるわけです。

さて今日は節子からのメッセージは届くでしょうか。
もし節子がこの挽歌を読んでいるとしたら、今夜は10時半にピシッという音を出してもらえるとうれしいです。
さてどうなるでしょうか。

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■あばたもえくぼ

「あばたもえくぼ」とはよく言ったものです。

最近、鳩山政権が迷走しているとみんな言います。
鳩山首相のリーダーシップも問われています。
ところが、私は、そういう状況をむしろ、評価してしまう心境があるのです。
さまざまな意見を出しあい、迷いながら収斂していくのは、私には新しい組織行動のように思います。
みんなが勝手なことをいうことも、新しいリーダーシップのあり方ではないかなどと思ってしまうわけです。
いずれにしろ最後には首相が決めるわけですから、それまでは混乱するぐらいの議論があったほうがいいと思うわけです。

生方さんの時の話と違うではないかといわれるかもしれませんが、生方さんは具体的な問題での意見をいったのではなく、人事を批判したのが、私にはルール違反だと思います。
そこの違いは大切です。

といいながらも、私も長いこと生きていますので、従来のリーダーシップ論や意思決定論に傾きたくなることもあります。
普天間問題では、きっと鳩山さんは移設基調ではなく撤去基調でビジョン型の解決策を出すだろうと期待しているのですが、最近の動きは、いささか心配になります。
しかし、他ならぬ鳩山さんですから、もしかしたらと、今もって「あばたもえくぼ」に見えています。

間違った方向に突っ走るよりも、「迷走」と思われるようにうろうろするほうがいいような気もしますし、閣僚の意見が混乱するほうが問題が見えてきていいのではないかとも思います。

今が大きな変わり目であると考えれば、経済や政治の風景も大きく変わって見えてきます。
私にはマスコミの論調には、いつも反発を感じます。
まあ間違っているかどうかは、たぶんわからない話ですが。

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