■節子への挽歌960:ネット世界で生きている節子
節子
この挽歌を読んで湯島に会いに来てくれた人がいます。
節子よりもずっと若い女性ですが、私と同じく愛する人を見送ったのです。
その方がメールを送ってきてくれました。
挽歌を読んでいると、奥様は佐藤さんと一緒にいらっしゃるイメージなのです。その方はネットの世界で、私たち夫婦と知り合ったわけです。
佐藤さんのお写真はプロフィールにありましたし、奥様のお写真も挽歌の中で拝見していますので、私にとっては、佐藤さんも奥様も同じ距離感だったのです。
失礼ながら「多分、奥様は私と似ているな」と、奥様の性格まで挽歌から伝わってきていて、私の中で「佐藤さん」という人が出来上がっているのと同じように、「節子さん」という人が出来上がっていました。
そしてそこには節子もいるのです。
不思議な気がしますが、私には何だかリアリティがあるのです。
続けてこう書いてくれました。
オフィスのドアを開けたとき、当然のことながら佐藤さんお一人なのですが、変な違和感がありました。そして最後はこうです。
頭で、奥様がいらっしゃらないことを納得せざるを得ませんでした。
奥様がいらっしゃらないことを、この目で確かめてしまったにも関わらず、挽歌を書き続けてきてほんとうによかったと思いました。
相変わらず、挽歌を読むと佐藤さんと奥様はいっしょに存在しています。
ネットの世界では、いまだ節子は私と一緒にいるのです。
少なくとも、そう信じている人が一人はいる。
とてもうれしいことです。
これからも毎日、節子と話しながら、この挽歌を書き続けないといけません。
ところで、このメールにはもうひとつのことが書いてありました
。(この挽歌の)最大の魅力は、自分自身への正直さです。ネットの世界には節子がいる。
お会いする前も、お会いした後も、全く印象が変わらず、佐藤さんの正直さは確信へと変わりました。
これ程までにネットと現実とのずれがない方というのは珍しいのではないかと思うほどぴったりと一致していて驚いています。
現実の世界には節子がいない。
しかし、私には「ネットと現実とのずれがない」と言い切っています。
さてこれをどう受け止めるべきか。
悩ましい問題ですが、昨夜、解決しました。
現実にも節子はいるのです。
たぶん私にだけ見えないのでしょう。
映画「シックスセンス」を思い出しました。
節子はきっと私のすぐ近くにいるにちがいないのです。
ですから私は今もなお素直に安心して生きていけるのでしょう。
節子にきちんとした結婚指輪をあげなかったことがとても悔やまれます。
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