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2010/04/12

■節子への挽歌953:インシデントの世界

昨日、落椿は俳句の春の季語だということを書きました。
その椿がまだ落花せずに咲いているせいか、今日もまだ春とは遠い寒い日です。
その上、雨です。
とても哀しく、とても寒く、とてもさびしく、いささかの不安に心身が萎えるような日です。

俳句で思い出したのですが、ロラン・バルトという人がいました。
その著作は私には歯が立たず、読んだことはないのですが、その書名は魅惑的です。
たとえば、「零度のエクリチュール」「表徴の帝国」「偶景」、そして「記号の国」。
記号の国とは、日本です。
そしてその象徴が俳句です。

ある雑誌からの孫引きですが、バロンはこう書いているそうです(「談」87号)。

「偶発的な小さな出来事…、日常の些事、アクシデントよりもはるかに重大ではないが、しかしおそらく事故よりももっと不安な出来事、日々の織物にもたらされるあの軽いしわ」。
その言葉を紹介している今福龍太さんは、こう語っています。
ごく些細な出来事、ささやかな、取るに足らない出来事。そうした「インシデント」はそのまま消えるのではなく、そのまま人々の感情、真理、感覚の深いところにいつしか入り込み、作動し、働き続ける。
そこにあるのは、ゾーエに突き刺さるリアリティです。
今福さんはつづけてこう語っています。
たとえば、枝に残っていた枯れ葉がたまたま自分の見ている時にその最後の1枚が落ちて、ひらひらと螺旋を描きながら地面に落ちるという偶発的な出来事。これこそをインシデントと呼ぶわけです。自分に物理的な被害を及ぼすものでは全くない。にもかかわらず、交通事故よりもはるかに深く繊細なかたちで、私たちの心を射貫き、突き刺すような情動を生む可能性がある。
今福さんは、歴史が語るアクシデントと生活の中での主役であるインシデントを対照しているのです。

節子がいなくなってから、私もまた、アクシデントの世界ではなく、インシデントの世界で生きていることを強く実感するようになりました。

和室からわずかに見える庭の椿がいつ落花するのか。
それがとても気になってきてしまいました。

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