■人は他者とつながりたいのか
私がNPOやボランティア活動に関わりだしたのは、会社を辞めてからですが、そこで感じたのは、「社会活動」に取り組んでいるとばかり思っていた、そういう組織やそのメンバーの人たちが意外と閉じられていたことです。
会社時代には、会社があまりに社会に対して閉じられていることに違和感が強まり、「開かれた企業」という小文を朝日新聞に寄稿させてもらったこともあります。
それを実際に自分の勤めている会社で実現しようと社長に提案して、企業文化変革プロジェクトに取り組ませてもらったわけですが、見事にそれに挫折し、会社を辞めた後、関わった住民活動や市民活動でもまた同じ経験をしてしまったわけです。
組織とは閉じられたものだ、という考えに立てば、それは当然のことなのかもしれませんが、そうした組織論を打破すべき時期に来ていると思います。
会社を辞めて21年、私がずっと取り組んでいるのは、そのことです。
10年ほど前に、「ひらき、つながり、支えあう」という理念に基づいて、さまざまな活動に取り組む人たちの緩やかなつながりの輪としてのコムケア活動を始めました。
そのおかげで、私はたくさんの人たちと知り合いになりましたし、そうした人たちにさまざまな形で支えられています。
しかし、みんなはどうでしょうか。
恩恵を受けているのは、私だけではないのか。
みんなは私のためにつながりを育てているのではないかと思うことがあるのです。
たとえば、ある集まりをやって参加者が少ないと私がついつい声をかけてしまいます。
そうすると参加してくれるのですが、私のために参加してくれているのではないか、そんな気がすることがあるのです。
なぜなら、そこで出会った人たちのつながりは、さほど深まっていきませんし、新しい集まりが生まれていくことはあまりないからです。
それに、そもそも人は他者とつながりたいなどとは思っていないのではないかと思うこともあります。
事実、少なくとも私はどこかでそういう気持ちがあります。
人とつながることは、わずらわしく、哀しいことの原因にもなるからです。
でも、つながらないと、これまたさびしい。
昨日も書きましたが、最近、毎週2回前後の集まりをやっています。
みんな迷惑しているのではないのか。
そんな気がしてきました。
独りよがりの生き方は変えなければいけません。
少しまた生き方を変えたくなってきました。
これこそが、独りよがりなのでしょうね。
悩ましい毎日です。
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