■節子への挽歌970:戻らない世界に戻っている
節子
一条真也さんから「葬式は必要!」という本が送られてきました。
一条さんは私の状況を気遣って、この種の本は出版しても送っては来なかったのですが、先日の挽歌を読んで私がもう大丈夫だと知って、送ってきてくれるようになりました。
とはいえ、実はやはり「葬儀」そのものに関してはなかなか読めずにいたのですが、今回はすんなりと読めました。
それを入り口にして、これまで送ってきてくださった何冊かの本も読めました。
もう大丈夫でしょう。
今朝、テレビでJR西日本の福知山線事故で怪我をした乗客のその後を報道していました。
その人は、事故にあって以来、電車に乗れなくなったのだそうです。
しかし友人たちに支えられて5年ぶりに乗ったそうです。
印象的だったのは、車窓からの風景がまったく違っていたと語っていたことです。
それを見ていて、なぜか涙が出てきました。
先日、友人の葬儀に行きました。
そして昨日は葬儀の本を読みました。
福知山線事故の被害者の方とはまったく違うでしょうが、私もまたこうして少しずつ世界を戻しているのです。
しかし風景はまったく違ってしまったことも事実です。
戻らない世界に戻っている、そんな感じです。
いつまでも立ち止まっているなよと友人には思われているでしょう。
私の意識の中では、決して立ち止まってはいないのです。
時間が止まっただけなのです。
そして世界がちょっとだけ変わっただけなのです。
同じ風景なのに、見えるところが違ってきているのかもしれません。
でも、もう昔の風景は再び見えることはないでしょう。
節子とともに、その風景は永遠に消えました。
節子が持っていってしまったのです。
それに耐えなければいけません。
それはそれなりに辛いことなのです。
今日の我孫子は、春になるのを躊躇しているような、そんな天気です。
| 固定リンク
「妻への挽歌05」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌1000:パッセンジャーズ(2010.05.29)
- ■節子への挽歌999:新緑(2010.05.29)
- ■節子への挽歌998:花の季節(2010.05.27)
- ■節子への挽歌997:「解けない問題」(2010.05.26)
コメント