■お金が見えなくなりつつあります
昨夜、友人と食事をしたのですが、支払いの段になって、お金を持っていないことに気づきました。
そのため、ご馳走するつもりがご馳走されてしまいました。
もちろんカードで支払うこともできたのですが、もたもたしているうちに友人が支払ってしまいました。
帰りの交通費はあるか、と友人は心配してくれました。
彼は私の「生活力」を全く信頼していないのです。
しかし、スイカがあるので、現金がなくとも問題なしです。
それに、スイカがあるために、お金の無いことに気づかずに大久保まで来れたのです。
要するに、お金がなくとも、電車には乗れるのです。
あるスーパーでもスイカが使えます。
そこで買い物をいくらしても、現金は不要です。
ですからそこでは何でもが無料のような錯覚になってしまい、娘たちと行くとついつい無駄な物まで買物かごに入れてしまっていました。
感覚が麻痺するのです。
いずれにしろ、最近はお金が無くとも暮らしていけるのです。
もちろん、どこかでスイカやカードに現金を振り込まないといけないのですが、それも銀行から自動的に振り込まれる仕組みになってきていますから、現金のやりとりを自分ではなにもしなくても大丈夫なのです。
これは「便利」なことなのでしょうか。
金融業者や国家にとっては便利であることは間違いありません。
しかし、こうして「お金」が見えなくなっていくとしたら、生活者にとっては恐ろしいことなのではないかという気がします。
仕掛けは見えないほど、効果を発揮します。
お金はどんどん見えなくなることで、社会を変質させているのです。
こうしたことに関しては、とても示唆に富む講演をされている方がいます。
関曠野さんですが、その講演録をある人から教えてもらいました。
ぜひみなさんもお読みください。
世界の見え方が変わってくるはずです。
私はベーシック・インカムには否定的でしたが、この講演録を読んで、自分の視野の狭さと浅さを反省しました。
ところで、先ほどの友人にご馳走になってしまった話からのもう一つの教訓です。
お金がなくても友だちがいれば、暮らしていけるということです。
人は誰でも「何か」を持っています。
それを支え合って活かしていけば、たぶんみんな暮らしていけるのです。
アマルティア・センの発見は、食べ物が無くて飢餓が発生するのではなく、友だち関係(人のつながりの仕組み)がないために飢餓は起こることでした。
私もそう思います。
世界中のみんなが友だちになれれば、タイのデモも起きません。
ホームレスなど発生しようも無いのです。
なにしろ日本には空き家があふれていますし、タイには豊かな自然があふれているのですから。
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コメント
関曠野さんの講演録を拝見させていただきました。
本当に参考になりました。世の中はこんな方向にいくと思います。
これも一種の出会いですね。ありがとうございました。
そして、
> 人は誰でも「何か」を持っています。
> それを支え合って活かしていけば、たぶんみんな暮らしていけるのです。
世の中の価値観は確実にこの方向に向かっています。
誠実に「人として」大切な事を考え、行動している人が報われる時代になります。
修さんが考えているような時代になります、きっと。
投稿: 矢辺卓哉 | 2010/04/21 09:24
矢辺さん
反応が遅くなりましたが、コメントありがとうございました。
矢辺さんの最近のブログも読ませてもらいました。
とても共感できます。
誠実に人として大切なことを考え、行動していくことは、自分にもとてもやさしいことですね。
とても元気づけられます。
元気の出るエールをありがとうございました。
投稿: 佐藤修 | 2010/05/03 06:25