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2010/04/11

■沖縄返還「密約」文書はどこにいったのか

東京地裁は 沖縄返還「密約」文書の存在を認めたうえで、国側の対応について、「調査が不十分で、国民の知る権利をないがしろにしており不誠実だ」として請求をすべて認め、不開示とした外務、財務両省の決定を取り消し、開示を命じる判決を出しました。
原告の西山さんさえ驚いている判決ですが、普通の感覚からすれば、至極当然の話です。
しかし、調査委員会を設置して調査に当たった岡田外相は不満のようで、記者会見で、外務省の調査で文書が見つからなかったことに触れた上で、「納得いく判決では必ずしもない」と述べ、控訴を示唆したといいます。
そのあたりの事情はよくわかりませんが、文書が存在していたことは明らかであり、今尚その文書が存在する可能性もまた高いと思うのが普通のように思います。

ところで、これに関して、こんなことを体験しました。
ある事情通の人が先月やってきて、密約文書の話になりました。
その人の話によれば、いつ、誰が、なぜ、文書を破棄したかはの話はその世界では既に流れているようです。
私も名前まで聞きましたし、理由も聞きました。
もちろんそれが正しいかどうかはわかりませんが、外務省の中から出ている話のように感じました。
つまり、事実を知っている人は少なくないのではないかと思います。

私がそう思うのは、何もこの事件に限りません。
行政だけもなく、企業の事件でもよくある話です。
これまでも何回か具体的に書いたことがありますが、徳団に事情通でもない私ですら知っていることが、調査している人たちに知られていないはずはありません。
なぜそれが問題になったり、報道されたりしないのでしょうか。
そこにこそ、社会の不思議さがあります。
人は見たいことしか意識しないのと、見慣れたことは事件などと気づかないのです。

20年ほど前に、富士吉田の市長と話していて、毎日素晴らしい富士山が見えてうらやましいです、と言ったら、市長はあまりにも当たり前にそこに富士山があるので、そんなことを思ったことはないです、と答えてくれました。
まあ会話上のあやではしょうが、半分は事実かもしれません。
人は見慣れてしまうと見えなくなってしまうのです。
そしてまた見慣れていないものも見えないのです。

私たちが見えているのは、いったい何なのでしょうか。
要するにほとんどのものが見えていないのです。
だからきっと、みんな平和に生きていられるのでしょうね。
世界が見えてくると、平和ではいられなくなるのです。

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