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2010/04/30

■節子への挽歌971:話し手の思い

節子とよく議論になったことがあります。
会話において大切なのは、話し手の「意図」か、受け手がその言葉から受け取った「意味」か、という問題です。
私は「意図」そのものにはほとんど価値を認めませんでした。
節子はいつもそれが不満でした。
それでよく夫婦喧嘩にもなりました。

会話に限りません。
行動もそうでした。
節子はよく、私がどういう思いでそうしたかも聞いてよといいましたが、私はそうしたことにはほとんど興味はなく、行動そのものがすべてでした。
言葉での説明には、必ず「嘘」がはいりますから、それを考慮しだすと話がややこしくなるからです。
もちろん日常会話では、そんなことは言いませんが、何か問題が起こった時の話です。

それに「意図」や「思い」がほんものであれば、必ずそれは第三者にも見えるものです。
見えないような「意図」や「思い」はたいしたものではありません。
しかしこうした私の考えは節子にはなかなか受け入れてもらえませんでした。
今から思うと、大人気ない話ですが、それで喧嘩になったりしたのです。

なぜこんなことを思い出したかと言うと、実は最近、いろんな人から私を気遣ってくれるメールや電話があるのです。
もしかしたら、この挽歌は私の思いとはちがって、読者を心配させるものがあるのではないかと、いささか気になりだしました。

案じています、とSさんはメールをくれました。
何を案じているのか、いささか気になります。
今日は電話でOさんが何気なく用事らしき電話をしてくれたのですが、佐藤さんの元気な声を聞けてよかったと言われました。
もしかしたら「用事」は口実かもしれません。
Sさんも心配してたが元気そうでよかったと言ってきました。
私はいつも元気なのですが、危ういシグナルをこの挽歌は発しているのかもしれません。

書き手の思いはなかなか伝わらないものです。
節子の「思い」や「意図」を、もっとしっかりと聴いておくべきでした。
もし節子がこの挽歌を読んでいたら、どう感じているでしょうか。

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