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2010/04/08

■被害者と加害者の関係

昨夜、NHKのクローズアップ現代で、「犯罪加害者の家族」の問題をとりあげていました。
家族が事件を起こし犯罪者になったために、家庭が崩壊し、なかには自殺までしてしまった人もいます。
子どもたちのために、離婚して旧姓に戻したり、繰り返しの転校をして、過去を見えなくしたり、それこそ大変な思いをしているのです。
ただでさえ辛い思いをしている家族を追い込むのは、周りの人たちです。
学校さえもガ子どもを守ってやらない事例が、昨日も報道されていました。
学校とは一体なんなのか、そうした学校関係者に教育を語る資格があるのか、子どもを預けられるのか、私には疑問です。
本来は支える側にまわるべき人たちまでもが一緒になって、加害者家族を追い込んでいくわけです。
間接的ですが、私もそうした社会の傾向に加担しているのでしょう。
恥ずかしいかぎりです。

そうした家族を支える活動を始めたNPOの人が、こんな話をしていました。
被害者の家族のことを思うと、加害者家族を支援していいのだろうかという思うこともある。
実際の犯罪加害者の家族の人も、そうした迷いを語っていました。
どこか、おかしいと思いませんか。

ここには「言葉の魔力」があります。
「加害者家族」と言った途端に、家族もまた「加害者」の仲間に組みこまれてしまうのです。
私は、家族もまた「被害者」だろうと思います。
そう考えれば、事態は全く違った構図になっていきます。
そして、そういう発想がなければ、犯罪関係者をケアすることは難しいはずです。
さらにいえば、「加害者」もまた「被害者」と考えるべきかもしれません。

家族が犯罪者になるのは、家族のせいだと考える傾向が、今の日本にはあります。
しかし、もしそうだとしたら、その「家族」をもう少し広義に広げて、「社会」と捉えることはできないでしょうか。
そういうと、江戸時代の5人組や明治政府以来の隣組のような、相互監視装置を思い出す人がいるかもしれませんが、もっと「開かれた」意味での社会です。
その区切り方は難しいですが、むしろそれよりも大切なのは「関係性」のありかたです。
監視のようなネガティブなまなざしではなく、支え合うようなあたたかなまなざしが基本にならなければいけません。
そこにこそ、ケアという発想が求められるのです。

加害者の家族の方の、やり場のない不安や悩み、それを思うと、そういう人たちに石を投げるような社会の一員であることが哀しいです。

日本では、被害者と加害者が、どうも極端な二元論で語られすぎです。
想像力のない社会は、非寛容な社会でもあります。
そこでは犯罪も事故も、繰り返されるでしょう。
そしていつかそれが自分に回ってくるはずです。

とても考えさせられる番組でした。

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