« ■節子への挽歌966:「こんなつらい思いは、誰にも味わってほしくない」 | トップページ | ■支え合う本性 »

2010/04/26

■節子への挽歌967:それぞれにみんな重荷を背負っている

節子
昨日は大阪で、「ささえあいつながり交流会」をやってきました。
私がかかわっているコムケア活動と自殺のない社会づくりネットワークとを重ねる形で開催しましたが、中心になって企画運営してくれたメンバーのおかげで、25人の人が集まり、3時間という長い時間があっという間に過ぎました。
半分ほどは私にも初対面の人ですが、会場の空気のおかげでみんな自分を開いてくれました。
それを聴いていて、人はみんなそれぞれに重荷を背負っていることを改めて実感しました。
私が取り組んでいるコムケア活動は、重荷をできる範囲で背負い合おうという活動です。

身近な人が自殺した人の話、兄弟げんかして口も聞かなくしていた兄が事故死してしまった話、などなど、普通であればとても「重い話」がたくさんでてきましたが、どんな話を聞いても私は最近、そこに人生の豊かさを感じるようになってきました。
誤解されそうな言い方ですが、悲しさや辛さをもちろん前提にしての話です。

参加者の一人の方が、来週病院に行って診察を受けるのですが、それで私は精神病者といわれるかもしれませんと話してくれました。
精神病などと医師に診断されても、気にしないでいい、みんな同じようなものなのだからと、私は気楽に反応してしまいましたが、重いテーマをそんな形で明るく話し合うのが、支え合いサロンで私が心がけていることです。
これは節子との40年の人生で、学びあってきたことです。

ちなみに、その人は、隣の人の発言を聞いた後、「私には何をいっているのかさっぱりわからない」とも発言しました。
そういわれた人は驚いたことでしょうが、聴いていて「裸の王様」の寓話を思い出しました。
所詮、私たちはみんな「裸の王様」なのです。
これまた誤解されそうな言い方になりましたが、こういう「アクシデント」があるので、サロンはとても面白いのです。

多重債務と自殺の問題に関わっているご夫妻も参加されました。
なぜ関わっているか、そこにも背負った重荷がありました。
でも夫婦で活動されているのが、とてもうらやましかったです。
東京で出会った若者のお父さんまでもが参加してくれました。
「重荷」を背負い合っていくと、世界はどんどん広がっていきます。
そのうちに彼岸にもつながりがもっと深まっていくでしょう。

夜、帰宅すると、娘が、○○さんから電話があって「佐藤修さんが電話に出ないのが残念です」といわれたと伝えてくれました。
大阪で会った「精神病者」になるかもしれない人からでした。
彼女にはもしかしたら時空間意識の呪縛はないのかもしれません。
今まで大阪で会っていたのだから東京に電話しても私が電話に出るはずはないのですが、彼女はそうは考えなかったようです。
一笑に付すのが普通の対応でしょうが、最近、そうした「普通の発想」にいささかの疑念を抱きだしています。
私ももしかしたら、「精神病者」と診断されるかもしれません。
困ったものです。

それにしても昨日は、たくさんの「重荷」を感じて疲れました。
それをシェアしてくれる節子がいないので、最近は時々ダウンしてしまいます。
しかし「重荷の重さ」と「人生の豊かさ」は、もしかしたら比例しているのかもしれません。

|

« ■節子への挽歌966:「こんなつらい思いは、誰にも味わってほしくない」 | トップページ | ■支え合う本性 »

妻への挽歌05」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌967:それぞれにみんな重荷を背負っている:

« ■節子への挽歌966:「こんなつらい思いは、誰にも味わってほしくない」 | トップページ | ■支え合う本性 »