■支え合う本性
今朝、駅に向かう途中で出会ったことです。
交差点をわたりかけた70代の男性が突然倒れました。
私は交差点から30メートルくらい離れたところにいたのですが、とっさに走り出しました。
交差点の反対側からの夫婦も走りよりました。
通りがかりの自動車から2人の人がおりてきました。
10人近い人が集まりました。
声をかけても反応がありません。
道路上ですから危険ですが、むやみに動かしてはいけないと言いあいながら、それぞれのやり方で動き出しました。
一人の人が携帯電話で救急車をよびました。
15分ほどで救急車が到着しましたが、その頃には倒れた方も意識を取り戻しました。
まあ、それだけのことです。
今日の挽歌編で、大阪での「ささえあいついながり交流会」のことを書きました。
そこで「ささえあうつながり」がなくなってしまったという話になりましたが、決してなくなってはいないのです。
「こと」が起これば、みんな支え合うのです。
問題は、その「こと」が見えなくなってきてしまったことです。
見えないから支えようがないのです。
支え合いの一歩は、自らの弱みを見せることです。
あるいは周りの人の問題がもし見えたら、それに手を貸すことです。
それもできる範囲でいいのです。
「支えること」と「支えられること」は同じことなのです。
ですから、支え合う関係をつくるのは、簡単なことなのです。
昨日の交流会で発言のあった、もしかしたら精神病と判定されるかもしれない人から電話がありました。
昨日の会にも参加していた知人に関する話をしてくれました。
私の知っていることでしたが、彼女はその人のことを心配していたのです。
彼女もまた、しっかりと他者への支え合いを考えているのです。
他者を思いやれるかどうかが、もし生命としての正常さの基準であれば、彼女は健全です。
精神病を患っているのは、だれでしょうか。
人々の心身の中にある「支え合う本能」を閉じ込めている社会そのものが問い直されなければいけません。
その社会で「正常」に生きている人が、もしかしたら「精神病」患者なのかもしれません。
そしてたぶん私もまたかなり「病んでいます」。
病んでいなければ、こんな生き方はできないでしょう。
そんな気がしますが、この病とうまく付き合いながら生きていこうと思っています。
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