■節子への挽歌951:訃報
節子
放送ジャーナリストのばばこういちさんの訃報が届きました。
昨年お会いして以来、あまり体調が良くないことは聞いていましたが、まさかそれほど悪いとは思っていませんでした。
とても残念です。
ばばさんは武田さんの紹介で知り合いました。
ばばさんもまたドラマティックな人生を送られた方です。
たしか1970年代だったと思いますが、テレビの「アフターヌーンショー」で、ばばさんは「なっとくいかないコーナー」というのをやっていました。
生活者にとって「納得がいかない」おかしな問題を取り上げて、それを解明し、正す番組でした。
節子はその番組のファンでした。
何しろ節子は「正義の人」でしたから、納得できないおかしなことには黙っていられないタイプの人でした。
だから、そうしたことを小気味よく正すばばさんが好きだったのです。
私がまだ、ばばさんと知り合う前の話です。
私がばばさんと知り合ったのは、会社時代に情報研究会をやっていた時です。
リンカーンクラブの武田さんの紹介だったと思いますが、以来のお付き合いです。
ばばさんも、節子とどこか似ているまじめな「正義の人」でした。
節子もばばさんには会っていますが、むしろ記憶に残っているのは、ばばさんの奥様です。
たしか日本橋丸善で開催されていた小林文次郎さんの手染め展を見に行った時でした。
小林さんは、私もお会いしたことがありますが、ばばさんご夫妻とお付き合いがあり、その展示会でばばさんの奥様と節子は会ったのです。
節子が再発してから一度だけ私はばばさんの司会しているテレビに出演しました。
テーマが病院だったため、断れなかったのです。
スタジオに来ていた奥様から、再発した節子を置いて、こんな番組に出ていていいのかと言われたのがとても印象に残っています。
節子の見送りにもばばさんは来てくれましたが、その時はまだ元気でした。
私よりも元気だったはずです。
そのばばさんが逝ってしまいました。
訃報を伝えてくれた武田さんが、こうしてだんだん抜けていくのだね、と言いました。
悲しいというよりも、それが自然なのだと、この頃思えるようになってきました。
思い切って、今回は葬儀に出かけようかと思います。
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