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2010/04/29

■被害者と加害者の構図

JR西日本の福知山線事故からもう5年が経過しました。
挽歌編にも書きましたが、その事故の被害者のその後をテレビで報道していました。
鉄道事故の場合、被害者を救済する法律がないので、現在はJR西日本が医療費などを保証しているのだそうですが、それに関してはいろいろと問題があるようです。
その番組を見ていて、気づいたのですが、そもそも「加害者と被害者」という構図を問い直すことが必要なのではないでしょうか。

たとえば福知山線事故ですが、この事故の加害者はだれでしょうか。
運転手を加害者と考える人もいるかもしれませんが、彼もまた被害者と考えるべきでしょう。
この事件ではJR西日本の経営者が起訴されましたので、彼らが加害者とされていますが、果たしてそうでしょうか。
ましてやJR西日本という会社を加害者と捉えることはできるでしょうか。
その構図をまずは問い直す必要があります。

加害者と被害者の対立と考えると、利害が相反し、目指すところが変わります。
そこから何か生まれるでしょうか。
同じような事件が繰り返し繰り返し起こるのは、そうした対立の発想に起因していないでしょうか。
加害者と被害者という捉え方ではなく、お互いが被害者と捉えたらどうでしょうか。
そこから「対立の構造」がなくなります。
むしろ一緒になって解決しようという関係が生まれます。
それにそう考えたほうが事態の実相が見えてくるように思います。
対立の構図が入ると誰もが事実を都合よく見ようとしますから、実相は見えなくなります。

これは鉄道事故だけの話ではありません。
もしかしたら、殺人罪のような犯罪においても、そうしたことが言えるかもしれません。
「被害者」がいれば「加害者」がいる、というような単純な発想は捨てなければいけません。
やはりまだ私は、悪しき近代の二元論法から自由になっていなかったようです。
世の中に「対語」などはないのです。

このことに気づいたせいか、私には世界が少し違って見えてくるような気がしてきました。

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