■被害者と加害者の関係その2:ケアと犯罪
前の記事の続きです。
前の記事で、ケアという言葉を使いましたが、このブログでも何回も書いているように、ケアは一方的な行為ではなく、双方向的な関係性です。
ケアする人とケアされる人がいるわけではありません。
ケアしあう関係があるだけです。
私は、犯罪にもまた、そうしたことがいえるような気がします。
視点を変えれば、加害者もまた被害者なのです。
被害者を加害者というのは適切ではないかもしれませんが、大きな視野で考えればその側面もあるように思います。
ケアはなぜ双方向になるのかといえば、弱みや痛みを顕現化することによって、他者にケアする気持ちを起こさせるからです。
そのおかげで、私たちは他者をケアする機会を得られ、自らをケアできるのです。
これが最近このブログで少しずつ書き出している、サブシステンスの意味なのではないかと思います。
ケアすることがなぜサブシステンスなのか。
それは他者とのつながりを生みだすからです。
それが切れた時、どうなるか。
そこに「犯罪」とされる関係の素地が生まれるような気がします。
犯罪は、統治のために権力(制度)が作り出すものですが、それは同時に生きていくためにみんなが許容する「支え合いの仕組み」からはみ出した現象とも言えます。
発生してしまった犯罪(事故)をどう処理するかという問題と、被害者を発生させるような犯罪(事故)をどう未然に防止するかは、実は全く次元の違う話ですが、それが堂も混同されているような気がします。
刑務所の仕組みはどう考えても、おかしな仕組みですし(同じ「犯罪者」を一か所に集めて、普通の社会生活とは違った生活をさせることで、更生ができるとは思えません)、裁判もまたおかしいです(権威に依存した密室で行われていること自体が不明朗です)。
犯罪にどう立ち向かうか。
それは難しい問題ですが、まずは犯罪行為が発生しないような社会の仕組みや私たちの生き方を考えなければいけません。
イスラムの人たちも、決して「自爆」したいなどと思っていないのです。
にもかかわらずなぜ、自爆者が後を絶たないかを考えてみなければいけません。
それはまさに私たちの問題でもあるのです。
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