■納得できる人生と常識的な人生
とてもうれしい手紙が来ました。
最近ややへこんでいたのですが、この手紙がうれしくて、元気が戻ってきそうです。
手紙は、この3月に定年で退職した、ある自治体の職員からです。
天下りなどはしないようです。
これからは「一市民としての立場で我がまちと向かい合い関わっていきます」ということです。
その通知の後に、手書きで次の文章が書かれていました。
佐藤さんとの出会いによって、僕の行政マンとしての考え方を一変させることができました。少し涙が出そうになりました。
お蔭さまで納得できる形で公務員生活にピリオドを打つことができました。
その人は、これまでに私が会った最高の行政マンだったからです。
しかし、もしその人が私に会わずにいたら、もっと出世できたのではないか、あんなに苦労しなかったのではないかという思いもあるのです。
だれも知らないことでしょうが、その人は市長からあることを頼まれた時にわが家に跳んできました。
そして、自分には引き受けられないので辞表を出そうと思うと言ってきたのです。
その時に、人の考え方に関わることの責任の重さを感じました。
念のために言えば、その人は私に会わなくとも、同じ人生だったかもしれません。
それに私がその人の考え方に影響を与えたなどとも思いません。
そもそもその人はしっかりした「公務員観」をお持ちでしたから。
しかし私に会ったがために、もしかしたらもう一つの選択肢を選ばなかったのかもしれないのです。
もう一つの選択。
それは「常識的な人生」です。
その選択をしていたら、副市長になって地域のためにはむしろよかったかもしれません。
そう思うといささかの反省もあります。
人生には常に迷いがあるものです。
私もまた、納得できる人生を選んで会社を辞めました。
それがよかったことなのかどうかは、今にして思うとわかりません。
家族には迷惑をかけたかもしれません。
しかし、もう一度人生を繰り返したとしても、たぶん同じ選択をしたでしょう。
その手紙を今日は何回も何回も読み直しました。
やはり涙が出てきてしまいました。
納得できる人生には、犠牲もまた多いものなのです。
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