■節子への挽歌996:「60歳のラブレター」
節子
気分を変えて元気が出る話を書こうと思います。
無理とは思いつつも。
節子が残した本が何冊かあります。
私の読む本と節子の読む本は全く別でした。
ですから節子の書棚の本は私は1冊も読んでいません。
節子の書棚にある本は、なぜか「愛」にまつわる本が多いのです。
そう思ってみていたら、
「60歳のラブレター」と言う本が目につきました。
副題が「夫から妻へ、妻から夫へ」です。
そういえば、この本のことを節子が話していたのを覚えています。
いろいろな人から公募したラブレターを本にしたものです。
私は、その時には全く興味はありませんでした。
そもそもラブレターなるものには関心がないのです。
いまこうして毎日挽歌を書いているので、もしかしたら結婚前もラブレターを書いていたのではないかと思われるかもしれません。
しかし残念ながら、節子は私からラブレターをもらったことはないのです。
もっともある時期、毎日、節子のために詩を書いていたことがありますので、それをラブレターといえないこともないでしょう。
しかし、私と付き合い前は、極めて常識的で清純な節子は、ラブレターを欲しかったかもしれません。
「結婚でもしようか」などというプロポーズよりも、もっとロマンティックな言葉を求めていたかもしれません。
節子が残した本を見ながら、節子もラブレターがほしかったのかもしれないと思いました。
愛していたら、ラブレターなど不要だなどと思うのは、男の発想なのでしょう。
節子の闘病中に、私もラブレターを書けばよかったなと一瞬思いましたが、節子はどうせ笑い転げるだけだったでしょう。
私にはラブレターは似合いません。
そういう私も、昔一度だけラブレターを書いたことがあります。
残念ながらそれは私からのラブレターではなく、後輩から頼まれて書いた、彼のためのラブレターです。
会社時代に、後輩が私に書いて欲しいと頼んできました。
とても素直な若者だったので、心を込めて書きました。
しかしその恋は成就しませんでした。
彼が代筆を頼む人を間違ったことは間違いありません。
彼は2度と私には頼みませんでしたから。
もし私がラブレターを節子に書いていたら、節子と結婚することにならなかったかもしれません。
「60歳のラブレター」の本は、やはり読む気がしないので、そのままそっと節子の書棚に戻しておきました。
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