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2010年5月

2010/05/31

■手続きと知識がお金を生み出す社会は健全なのか

私は一応、会社を経営しています。
この5年ほど、ほとんど仕事はしていませんが、会社としての借金も残っているので、清算もできずに継続しています。
継続していくためには毎年決算をして税務署に申告しなければいけません。
以前は税理士にお願いして手続きしていましたが、お金が無くなったため、自分で申告書を作成し、税務署に提出しています。
最初は大丈夫だろうかと思っていましたが、やってみるとそう難しい話ではありません。
今日、締切日だったので書類を作成して税務署に申告してきました。
2日もあればできることがわかりました。

税理士に依頼すると月額5万円、決算時に60万円かかります。
以前はそれを負担していたわけですが、自分でやったらそれが不要だったわけです。
もっと早く自分でやればよかったと思います。

まあこういうことは世の中にはたくさんあるのでしょう。
知識社会とは、手続きが複雑になり、専門家に頼まないといけない社会なのかもしれません。
そうすることでまさに「顧客が創造」され「市場は拡大」し、経済は発展するのです。
手続きの複雑化は経済拡大につながっています。
しかしそうやって拡大した経済って、いったい何なのか。
「知識産業」には私は大きなまやかしを感じます。
手続きを複雑にして拡大する市場は、私たちの生活にはむしろ有害のような気がしてなりません。
近代の産業パラダイムがそこにも見えてきます。

一方、そうした手続きに立脚した専門家である裁判官の世界に、資格のない裁判員制度が導入されました。
どう考えても私には納得できません。
これもどこかで、制度化による市場の創造につながっているように思います。
司法改革は司法の市場化であってはなりません。
日本では「民営化」と「私有化」の違いさえ議論されていませんが、国民参加は決して制度の透明性を高めるものでもありません。

最近、不動産売買にも関係しました。
この手数料もかなりのものです。
不動産売買や賃借契約の世界も見直される必要を感じます。

手続きビジネスが拡大している経済は健全ではないように思えてなりません。
会社の決算手続きはもっと簡単にできないものでしょうか。
税理士や公認会計士の職場を奪うことになるかもしれませんが、彼らにももう少し汗をかいてほしいものです。
「知識」のある人は楽ができる社会も健全ではありません。
私も、その恩恵に与っていた気がしないでもないので、いささか心苦しい気はするのですが

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■節子への挽歌1002:デジタルテレビがほしいです

わが家のテレビはまだアナログです。
デジタルを買うかどうかは娘のユカに決定権があります。
節子がいなくなってから、わが家の家計はユカが担当しています。
まだ買わないのかと時々訊きますが、まだ買ってもらえません。

節子がいたら買っていたかなあ、とユカに訊きました。
そうしたら、即座にやはり買っていないよと答が返ってきました。
お母さんはテレビが好きではなかったからねえ、というのです。
たしかにそうでした。

節子はテレビといえば、NHKのドキュメンタリーは好きでしたが、ほかの番組はあまり興味を示しませんでした。
私があまりに勧めるので仕方なく付き合って映画やドラマを観たりしてくれましたが、そういう場合も何かをしながら観ていました。
基本的にテレビが好きではありませんでした。
それに、食べ物を無駄にするような番組には必ず怒り出しました。
古典的なパイをぶつけ合うような場面でさえ本気で怒っていました。
たけしが弟子たちに無茶をやらせる番組にも怒りました。
生真面目な人でしたから、下品な話はこれまた受け付けませんでした。
だからテレビが嫌いだったのです。
そんな番組が多すぎました。

その節子も病気が再発してからはテレビを見るようになりました。
「笑い」が免疫力を高めるというので、お笑い番組を見るように勧められたのです。
ところがです。
「今様のお笑いもの」は最後まで好きにはなりませんでした。
どこが面白いのかわからないというのです。
たしかに私もそう思うお笑い芸が少なくありませんが、それに加えて節子は、たとえば上半身裸のタレントがでてくるだけで、顔を背けました。
相手の頭をたたくのもダメでしたし、無意味なジェスチャーもだめでした。
ですからお笑いものを見ていても、時に怒り出すので、免疫力はあんまり高まらなかったかもしれません。

でもまあもし節子がいたら、私のためにデジタルテレビを買ってくれたでしょう。
節子は私の希望はすべてかなえてくれましたから。
ところが娘のユカは厳しくて、まだ買ってもらえません。
もう少し待てと言われて、1年が経っています。
それで私はネットの懸賞に応募しているのですが、なかなか当たりません。
困ったものです

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2010/05/30

■節子への挽歌1001:妻がなくても夫は老いる

節子
私もとうとう69歳です。
せっかく69歳になったのに、65歳の節子がとなりにいないのが不思議です。
よく「親がなくても子は育つ」といいますが、「妻がなくても夫は老いる」ものなのです。
とはいうものの、もしかしたら本当は老いていないのかもしれません。

先日、ジュンからお母さんはいまいくつかなと訊かれました。
即座に「62歳だよ」と応えました。
節子の老いは、あの時に終わったと私は思っているからです。
63歳の節子も65歳の節子も、存在はしないのです。
節子は、63歳の誕生日を迎えたかったのに、実現できなかったのです。
だとしたらそんな節子がいるはずがありません。

私もまた、あの時に人生を終わってしまったのですから、その後の人生は止まっているかもしれません。
たしかに「時間感覚」や「時間の流れ」は変わりました。
ですから私もまた、67歳のままなのかもしれませんし、できればそう思いたいです。
節子との年齢関係は変えたくはないからです。

しかし、その一方で、身体的な老いは容赦なく進みます。
いろいろなところに問題が感じられます。
それに気づき、いたわってくれる伴侶もいないので、私自身も放置しがちです。
それに、朽ちるべき時に朽ちることこそ、自然な生き方です。
抗う理由はみつかりません。
しかし老いが加速し生きることに不都合が生じたら、ケアしてくれる伴侶もいません。
伴侶以外の人には迷惑を与えたくないという思いもあります。
これもまた「解けない問題」ですが、もう1年は先延ばししましょう。
60代最後の今年は、とりあえずこれまでの延長で、生きるでもなく死ぬでもなく、老いに抗うでもなく従うでもなく、素直に行きたいと思います。

老いは、節子に近づくことなのか、節子から遠のくことなのか、それもまた興味ある問題ではありますが、しばらくは棚上げしておこうと思います。

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■世界卓球を見ていて疲れ切りました

一昨日と昨日、世界卓球女子の中継をテレビで観てしまいました。
観てしまったというのは、途中で何度もテレビを切りたくなったのです。
なぜなら、その緊張感に観ているだけでも疲れてしまったからです。
特に、福原愛選手のゲームは息がとまるほどの緊迫感がありました。
子どもっぽい顔に、それがそのまま出ていたからです。
私なら逃げ出したくなって、倒れてしまうかもしれないと思いました。
あの緊迫感に耐えられるだけでも、私には驚異です。

考えてみれば、私はいかにも安易な人生を過ごしています。
自分をしっかりと生きているという自負はあったのですが、それは自分の世界に逃げてきたことを意味するのではないかと、少し思いました。
緊迫感のある世界を生きたことは、私にあるでしょうか。
確かにいわれて見れば、「平和ボケ」した間抜けな人生だったのかもしれません。
そう思いながら頭に浮かんだのは、鳩山首相でした。
彼はもしかしたら私以上に緊迫感のない人生を過ごし、それが習性となったために、普天間問題に関してもまったくの緊迫感のない思考をしてきたのではないか。
要するに従順な優等生でしかなかったのかもしれません。
優等生ほど扱いにくい存在はありません。
優等生とは主体性を閉じ込めた存在ですから、生きていないのとそう変わりません。

それにしても、凄い緊迫感で、あの空気に負けない選手たちには尊敬の念を持ちます。
サッカーなどであれば、ソーシャル・キャピタルの緊迫感を身体的に逃がす方法はあるでしょうが、卓球の場合にはとても狭い場所でしか動きがとれず、しかも時間的にも休む暇がありません。
観ているだけで胸が苦しくなるほどですから、当人の緊迫感をいかほどのものでしょう。

そのわずか1割でもいい。
その緊迫感を内閣を主導する人たちには持ってほしいです。
口蹄疫問題にしても、たとえば、宮崎県の知事はもう少し緊迫感を持って対してほしいものです。
もしそうしていたらこんな事態にはならなかったかもしれません。

もう一つ思い出したのが、韓国と北朝鮮の間に高まっている緊迫感です。
緊迫感を持続させることで社会を統治することは、支配する人たちの常套手段です。

世界卓球の試合をきちんと観たのは生まれて初めてです。
もう2度と観ないでしょう。
あれほどの緊迫感に耐えるほど私は強くないからです。
今日、69歳になりました。
静かな余生の意味が少し理解できるようになってきました。
生きることから、そろそろ抜け出してもいいかもしれません。

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2010/05/29

■「国家の終焉」の始まり

鳩山政権の普天間問題への取り組みは、私には思ってもいない形で終わりました。
鳩山首相への信頼は完全に打ち砕かれました。
唯一の救いは福嶋さんの態度でした。
自分を売った村山さんとは今のところ違うようです。
もっともその社民党も、連立からの離脱を決断できていないようです。
彼らの多くもまた現実が見えていないのかもしれません。

いや。
問題はそんなに簡単ではないのかもしれません。
見えていないのはむしろ私かもしれません。

細川政権も半年しか持ちませんでした。
政治構造を壊すには至りませんでしたが、今回はどうでしょうか。
もう元には戻れないという人が私の周りには少なくありません。
私もそう思いたいですが、最近の動きを見るといささか心配になります。
システムは、やはり強かです
個人の存在など、いとも簡単に圧殺してしまうのでしょう。
そういう時には、多数決を信奉する似非民主主義者が大活躍します。
統計学者と同じくらい彼らには信念がありません。
価値観不在の民主主義理念はありえません。
あるのは民主主義制度です。
おかしな話ですが、民主主義が示す理念とは正反対のものです。

いまや、システムは社会の隅々にまで、そして多くの人の心の細部にまで入り込んでいます。
それには立ち向かえないのかもしれません。
細川さんはそれを直感したのでしょうか。
だからシステムからはずれて生きていくことを選んだのでしょうか。
真実を見てしまうと、人の生き方は変わります。

しかし、その一方でこういう考え方もできます。
こうした惨めな決着を受けて、今度の選挙では民主党は惨敗し、政治の混乱がは生ずるでしょう。
それは「国家の終焉」の始まりかもしれません。
いいかえれば、いまのシステムの終焉の始まりです。
植生における遷移と同じく、システムもまたクライマックスの次は崩壊です。
そこにもまた「隠されたパラドクス」が埋め込まれています。
もしかしたら、それが小澤さんの望んでいることかもしれません。
彼もまた真実を垣間見た人でしょうから。

いずれにしろ、国家の役割はもう終わりました。
国家をベースにした抑止力理論など無意味な話です。
いや、そもそも「抑止」という発想に間違いがあったのかもしれません。
今回の顛末には、いろんなことを気づかせてもらいました。

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■節子への挽歌1000:パッセンジャーズ

節子
この挽歌もとうとう1000回目になりました。
と言うことは、節子が彼岸に旅立ってから、今日で1000日目ということです。
偶然ですが、今日は私の68歳最後の日でもあります。

ところで、これは「偶然」なのかどうかわからないのですが、「パッセンジャーズ」という映画を観ました。
テレビで放映されたものを録画していたのですが、今日、気分転換に観てしまいました。
内容を知らずに、です。
映画の紹介記事に心理サスペンスとあったので興味を持っていたのですが、私の映画の好みを知っている娘のユカが、あんまり勧めないのでちょっと気になっていたのです。
観おわって、ユカが私に勧めなかった理由がわかりました。
元気な時に観ないと「おちて」しまいそうです。
ユカに話したら、前に観るといった時には時期が悪いなと思ったそうです。

恐ろしいほど悲しい映画です。
昔、「シックスセンス」を観た時よりもショックでした。
あの時はまだ節子がいましたし。

涙がこらえられませんでした。
1000回目の挽歌は明るく書こうと思っていたのですが、まったく逆になりました。
よりによってなぜ今日、観る気になったのか。
これは「偶然」ではないような気がします。

映画のネタばらしはルール違反ですが、映画紹介のブログではないので許してもらいます。
この映画は、彼岸と此岸をつなぐ話です。
安心して彼岸に向かえるように、まさに49日、チベット密教でいえばバルドゥの間の物語なのです。

人のつながりさえあれば、ほかに何もなくても人は幸せになれます。
私が彼岸に旅立ったとしても、彼岸には節子をはじめ、たくさんの友人知人がいます。
もしかしたら此岸よりも多いかもしれません。
だとしたら、彼岸と此岸の違いはあっても、私は相変わらず「幸せ」です。
それで、この頃時々思うのですが、友だちや家族を彼岸に送ることは、自らが旅立つ準備なのかもしれません。

節子は十分に準備ができていたでしょうか。
さびしがっていないでしょうか。
なぜ一緒に行ってやれなかったのか、不憫に思えてなりません。
でもまあ、彼岸には時間軸がないですから結局は私も一緒にいるのでしょう。
そう思うとこの映画の悲しさも少し緩和されます。
書いていて少し落ち着きました。

しかしなぜ、今日、この映画を観る気になったのでしょうか。
「パッセンジャーズ」の映画と同じように、私もあの時に節子と一緒に旅立ったのかもしれません。
節子が、それを気づかせてくれたのかもしれません。
挽歌は1000回になりましたが、彼岸に旅立つまで書き続けることにしました。
節子はそれを望んでいるでしょう。
一緒に書き続けることを。

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■節子への挽歌999:新緑

節子
昨日は朝の6時から夜の10時半までパソコンに向かう時間がほとんどなく、また挽歌を書き損ねました。
一昨日から軽井沢で仕事の関係での合宿だったのですが、朝、6時からプログラムがあり、しかも夕方からは湯島でのオープンサロンでした。
帰路の新幹線で挽歌を書こうと思ったのですが、疲れていたため座った途端に寝てしまいました。

それでも新緑の軽井沢を少し歩きました。
まぶしいほどの新緑でした。
節子とはよく新緑の野山を歩きました。
特に節子の体調が回復に向かっていた時期にはよく行きました。
すべては節子の段取りでした。
ですから節子がいなくなったいまは、もう出かけることはありません。
でもこうして時折、仕事などで新緑に出会うといつもそこに節子を感じます。
節子もこの新緑を楽しんでいるだろうなと思うわけです。

私たちにとっての新緑の時代は滋賀県の瀬田に住んでいた頃です。
1年ほどしか住んでいなかったと思いますが、瀬田の神領というところで私たちは暮らし始めました。
6畳一間の「神田川」的生活でしたが、私たちの心は新緑のように輝いていたことを今も鮮明に思い出します。
休日のたびに、奈良や京都を歩きました。
何にも拘束されずに、誰にも気兼ねすることなく、毎日がとても新鮮でした。
瀬田での生活を思い出す時に、いつもに浮かぶのが、住んでいた近くを2人で散歩した時の風景です。
なにもない野原を歩くだけで私たちは幸せでした。
菜の花に囲まれた節子の写真や野原で逆立ちしている私の写真が、探せば出てくるはずです。

その生活が変わったのは、しばらくして東京に転勤になったからです。
東京に転勤した後の私たちの生活は、なぜか今の私にはほとんど思い出せません。
仕事に埋没しだしたのかもしれません。

瀬田での生活がもう少し長く続いていたら、私たちの人生は一変していたかもしれません。
東京に節子を連れてきてしまったのは最大の痛恨事です。
節子は都会好きでしたが、都会には合わない人だったような気がします。

来世は、都会には絶対に住まないつもりです。
新緑に埋もれるような生活をしていたら、節子はきっと今もまだ元気で飛び跳ねていたでしょう。
いまさら後悔してもはじまらないのですが。

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2010/05/27

■節子への挽歌998:花の季節

節子
今年もまた、ばんまつりの咲く季節です。
この頃はわが家の庭の花がいっせいに咲き出します。
玄関のバラもたくさん咲いていますし、庭のバラも次々と咲きだしています。
今年は胡蝶蘭も何とか咲き出しました。

いろいろと花は賑やかですが、やはり私には「ばんまつり」が一番心に入ってきます。
この花をくださった湯河原の人はいまもきっと花をたくさん咲かせていることでしょう。

敦賀の姉からもらったという、山アジサイも咲き出しました。
白い花ですが、次第に赤くなるのだそうです。

そういえば、家から100メートルも離れた電信柱の下の小さな空地にまで節子は花を植えに行っていましたが、そこも今では宿根花が毎年きれいに咲くようになって来ました。
時々、ジュンが手入れをしていますが、そこを通るたびに節子を思い出します。

花の季節は、うれしいようで寂しいです。

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2010/05/26

■節子への挽歌997:「解けない問題」

佐藤さん
もう気持ちは整理できましたか。
久しぶりにやってきたNさんがそう訊きました。
みんな気にしてくれているのです。
感謝しなければいけないのですが、整理などできるはずがないのです。
それに、どう整理したらいいのでしょうか。
世の中には「解けない問題」というのはほとんどないというのが私の考えですが、こればかりは解けない問いです。
いや「問い」以前のものでしょう。
少なくとも私には「解く」つもりは皆無ですし、なによりも整理するということの意味がわかりません。
しかしたぶん友人としては、そういう問いかけしかないのでしょう。

節子がいなくなってから付き合いがなくなった友人もいます。
なぜでしょうか。
私との付き合い方がわからなくなったのかもしれません。
その気持ちはとてもよくわかります。
事実私もそういうことがないわけではないからです。
それに何回かこの挽歌でも書きましたが、節子がいなくなってからの私はそれまでの私とは「似て非なるもの」かもしれません。
ですから、友人でなくなったとしても決しておかしな話ではありません。

前の佐藤さんと同じでホッとした、という言葉にも何回も出会いました。
同じであるはずがないのですが、同じだと思いたい気持ちもよくわかります。
まあこんなことを書いていると会いに来てくれる人がいなくなってしまいかねませんので、やめましょう。

ところで、世の中には解けない問題はほとんどないはずだと書きました。
そう言い切ったのは、どんな問題であれ、これが「正解」だと決めれば解けるからです。
つまり「問題」を設定すれば、同時に「回答」も見えてくるのです。
「解けない問題」とは「問題」として設定できないことなのです。

愛する人を亡くして、どんな「問題」が立てられるというのでしょうか。
彼が帰った後、いろいろと考えてみましたが、その言葉の意味がやはりわからないことに行き着きました。
「気持ちを整理する」ってどういうことなのでしょうか。
考えれば考えるほど頭が混乱し、ますます整理と反対の方に向かってしまいそうです。

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2010/05/25

■節子への挽歌996:「60歳のラブレター」

節子
気分を変えて元気が出る話を書こうと思います。
無理とは思いつつも。

節子が残した本が何冊かあります。
私の読む本と節子の読む本は全く別でした。
ですから節子の書棚の本は私は1冊も読んでいません。
節子の書棚にある本は、なぜか「愛」にまつわる本が多いのです。
そう思ってみていたら、
「60歳のラブレター」と言う本が目につきました。
副題が「夫から妻へ、妻から夫へ」です。
そういえば、この本のことを節子が話していたのを覚えています。
いろいろな人から公募したラブレターを本にしたものです。

私は、その時には全く興味はありませんでした。
そもそもラブレターなるものには関心がないのです。
いまこうして毎日挽歌を書いているので、もしかしたら結婚前もラブレターを書いていたのではないかと思われるかもしれません。
しかし残念ながら、節子は私からラブレターをもらったことはないのです。
もっともある時期、毎日、節子のために詩を書いていたことがありますので、それをラブレターといえないこともないでしょう。
しかし、私と付き合い前は、極めて常識的で清純な節子は、ラブレターを欲しかったかもしれません。
「結婚でもしようか」などというプロポーズよりも、もっとロマンティックな言葉を求めていたかもしれません。

節子が残した本を見ながら、節子もラブレターがほしかったのかもしれないと思いました。
愛していたら、ラブレターなど不要だなどと思うのは、男の発想なのでしょう。
節子の闘病中に、私もラブレターを書けばよかったなと一瞬思いましたが、節子はどうせ笑い転げるだけだったでしょう。
私にはラブレターは似合いません。

そういう私も、昔一度だけラブレターを書いたことがあります。
残念ながらそれは私からのラブレターではなく、後輩から頼まれて書いた、彼のためのラブレターです。
会社時代に、後輩が私に書いて欲しいと頼んできました。
とても素直な若者だったので、心を込めて書きました。
しかしその恋は成就しませんでした。
彼が代筆を頼む人を間違ったことは間違いありません。
彼は2度と私には頼みませんでしたから。

もし私がラブレターを節子に書いていたら、節子と結婚することにならなかったかもしれません。
「60歳のラブレター」の本は、やはり読む気がしないので、そのままそっと節子の書棚に戻しておきました。

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2010/05/24

■世界をしっかり見ることの大切さ

先日、ビジネススクールで、「社会的起業」に関する話をさせてもらいました。
そこで今の日本の社会は壊れてきていると話をさせてもらいました。
話し終わった後、何人かから質問と意見をもらいました。

そのなかに、
今の日本に自殺しなければいけないほどに困っている人が本当にいるのか
というような発言がありました。
この人は、おにぎりを食べたいと書き残して餓死した人のことをどう受け止めたのでしょうか。
いささか感情的になってしまい、私の周りには何人もいます、名前を挙げろといわれればすぐにでも挙げられますといってしまいました。
ちょっと大人気なかったですが、そうした性向はどうしても直せません。

しかし、新しい事業を起こそうというのであれば、あるいは事業を経営しているのであれば、その社会の実態くらいは知っていてほしいものです。
キャノンの御手洗さんのように、一方ではきれいなことを言いながら、自分の会社では人を解雇し自殺に追い込むような二枚舌のような人間は私には許せません。
そんなことまでして生きる価値があるのかとさえ思います。
少なくとも、会社を経営するのであれば、現場を知らなければいけません。
それをしないでいくら知識を学んでも意味がないと私には思えます。
しかし、そういう人が多すぎます。
そしてそういう人こそ、システムが望んでいるのです。

主体的に判断するには2つのことが不可欠です。
まずは判断する主体。そして判断する環境です。
判断は環境の中で行われますから、環境と無縁の判断はありえません。
ですから主体的な判断のためには環境をしっかりと認識し関係を創っておくことが大切です。

私が21年前に会社を辞めて、地域社会にささやかな接点を持ち始めた時に感じたのは、みんなそれぞれの小さな世界に閉じこもって、社会全体が見えなくなっているのではないかということでした。
企業にいては見えてこなかったさまざまなことを、会社を辞めたおかげで気づかされました。
しかしどこかに属した途端に、10年もすればまた他の世界が見えなくなってしまいがちです。
そんなことからこの20年、定職もない生活をしてきましたが、それこそが「社会を生きること」なのだと思っています。
開き直りなのかもしれませんが、そうした生き方が、いまは身についてしまいました。

みんなもっと社会の実相を知ってほしいものです。
社会の実相を知れば、必ず言動は変わります。
それぞれの小さな世界に閉じこもらずに、どんどんと世界を広げていくといろいろな風景が見えてきます。
みんなの世界がそうやって重なっていくと、きっと世界は平安になっていきます。
それにはまだまだ時間がかかりそうですが、そういう生き方をしようと思えば、すぐにできることでもあります。

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■普天間問題の決着には力が抜けてしまいました

普天間問題の決着には力が抜けてしまいました。
あまりにも大きな期待をしてしまっていた自分の見識のなさをまた反省しました。
もっともまた同じような状況になったら、懲りずに期待を持つとは思いますが。
みんなが期待を持たなければ、新しいことは何も始まらないからです。

それにしてもひどい決着です。
韓国の哨戒船の撃沈事件も、然るべきシナリオの一環なのだろうと思いますが、世界はもはやシステムに乗っ取られているのかもしれません。
システムの前には、個人の存在など小さな存在なのかもしれません。
しかし小さくてもいいから、流れに一矢を放ってほしかったです。

挽歌編にも書きましたが、今日やることがなかったので、DVDで「ワルキューレ」を観てしまいました。
ヒトラー暗殺計画の事実に基づく映画です。
システムの中で生きている人は、決断ができません。
システムを超えられないのです。
それではいつになってもシステムの呪縛から抜け出せません。

私は子どもの頃から、システムから自由になりたいと思って生きています。
システムを無視するわけではありません。
システムを与件として、無批判的に受け容れることはしないと言うことです。
もちろん実際には、システムを受け容れなければ生きてはいけませんから、ほとんど受け容れていますし、それに乗っています。
しかし、そのために自分(の生き方の信念)を裏切る惧れが出てきたら、そのシステムからは降りるようにしています。
会社を辞めたのもその一つの結果です。

そうした生き方に心がけていた者としては、なぜ鳩山さんのような人が「ノブレス・オブリージェ」を果たそうとせずに、庶民的な判断をしてしまったのかが解せません。
彼でなければできなかったことがあるはずです。
皮肉なことに、細川さんと同じ道を歩んでいるようにさえ思います。

この数日、極度に気が滅入っています。

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■節子への挽歌995:疲れながら生きるのもいい

節子
今朝はちょっと「くらい」文章を書いてしまいました。
この数日かなりくらい文章が続いていました。
やはり心境は隠せないものです。

私は周囲にかなり共振するタイプですので、社会全体のくらさが私をそうさせている気もしないでもありません。
最近は重い話が多いです。
しかし、これも私の暗さが呼んでいるのかも知れません。
人の心は世界と同調し、世界は人の心に同調するからです。

だとしたら、元気になるのは難しいことではありません。
まずは心を明るくすればいいのです。
そうすれば流れは反転し、世界は輝きだすでしょう。
あるいは輝いている人に会えばいい。
そうすれば私の心も同調し心身は共振しはじめるでしょう。

昨日、ある集まりをやったのですが、その参加者の一人からこんな話を聞きました。
パニック状況に陥った人を回復させるのは、突然にまったく違った状況を創ることだと。
その話を思い出しました。
問題を解決する答は、実はまったく違うところにあるのかもしれません。

トム・クルーズの「ワルキューレ」を観ました。
ヒトラー暗殺計画の実話に基づいた映画です。
なぜか私には当時のドイツは今の日本の政治状況に重なって見えるのです。

いま元気が出てこないのは、節子がいないからではないのではないか。
もし節子がいても、たぶんこの状況に陥っているのではないか。
そんな気がしてきました。
やはり「憂鬱な社会」が私の心身を覆っているのです。
節子を逃げ場にしていた自分に気づきました。
勘違いしてはいけません。

社会に同化してしまったら、何も始まりません。
一人で生きるのも疲れますが、みんなで生きるのも疲れます。
でもまあ、「生きる」ということはそういうことなのでしょう。
トム・クルーズのような、孤高な生き方は私にはできそうもありません。
実にうらやましいですが。
節子がいたら、そんな生き方もしたくなったかもしれませんが、いまは疲れながら生きるのが私には合っているようです。

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■節子への挽歌994:一人で生きるのは疲れますね

節子
昨日は挽歌を書けませんでした。
朝も夕方も、そして夜も、書かなくてはと思ったのですが、どうもパソコンに向かえませんでした。
昨日は日曜だったのですが、朝から湯島に出かけていました。
午前中は先週会った若者が会いにきましたし、午後は私が主催する会がありました。
その前後にもいくつか用事がありましたが、時間がなかったわけでも、書きたくなかったわけでもありません。
なぜかめずらしくパソコンに向かいたくなかっただけなのです。

最近、どうも生活が整理できずにいます。
以前から私はさまざまな事柄に関わる習性があるので、生活が混沌としがちでした。
よく頭の切り替えができるわね、と節子は感心していましたが、その混沌さが私の活力の源泉でした。
それに、多様に見える、それらの事柄のなかに通ずるものを見つけられるのが私の取り得でもありました。

しかも迷った時には「逃げ込める母港」がありました。
それが「節子の世界」でした。
判断に迷った時には、節子と雑談的に話すと必ず先が見えてきました。
一人で考えていると袋小路に入りがちですが、節子と話していると必ず出先が見えたり、共通点や自分のやっていることに確信が持てたりしたのです。
節子がなにか気のきいたアドバイスをしてくれたわけではありません。
ただ素直に、しかし極めて人間的に、反応してくれたのです。
私の言動をシェアしてくれていたといっていいのかもしれません。
その意味、あるいは価値が、最近よくわかってきました。
私の世界が、これほど広げられたのは、あるいはさまざまな事柄に共振できたのは、私ではなく「私たち」になっていたからかもしれません。

その片割れがいなくなったいま、すべてを自分一人で背負わなければならないことに、最近いささかの疲れが出てきているのかもしれません。
どうもすっきりしないのです。
そのせいか、多様な事柄のつながりが見えなくなってきてしまっています。
疲れが溜まってきているのかもしれません。

それとパソコンに向かえなかったこととどうつながるのか。
よくわかりませんが、疲れてきていることは間違いありません。
こういう時にはゆっくり休むのがいいのですが、その「休み方」が思いつきません。
それに、あいにく今日は雨です。

今日は、私なりにゆっくりと休むことにします。
なにやら暗い文章になってしまいました。

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2010/05/22

■節子への挽歌993:透き間の時

節子
時間を持て余しています。
節子がいた頃は、何であんなに時間がなかったのだろうかと不思議に思うほどです。

今日もある人が「忙しそうですね」とメールをくれました。
よそから見ていると私は忙しいのかもしれません。
忙しいといわれるのはとても残念ですが、そう見えるのであれば、そうなのでしょう。
そうならないように努力してはいるのですが、
節子は知っていますが、私は「忙しい」といわれることを恥に思う人間です。
同時に、他者に対しては「忙しい」という言葉はできるだけ使わないようにしています。
「忙しい」とは「心を失うこと」だと昔ある人から言われたからです。
それ以来、集まりなどでの挨拶でも「ご多用のところ」と言っても、「お忙しいところ」とは言わないようにしてきました。

最近、時間を持て余していますが、実はこれは「忙しい」からです。
ひねくれた言い方になりますが、私にはとてもぴったりきます。
そして最近の私の状況は、まさに「忙しいが故に暇」なのです。

気になって「暇」という文字の意味を調べてみました。
「透き間の日」という意味だそうです。
ますます私の今の気分にぴったりです。
なにをやっても充実感がないわけが、これでわかりました。
今は「透き間の時」なのです。

世間的に言えば、やるべきことはそれなりに山積みなのです。
そのリストはいつも机のメモに書かれていますが、10項目を下回ることはありません。
約束の期限を切れたものもいくつかあります。
でも、やる気が起きないためにやれないのです。
そして「時間を持て余す」状況になるわけです。

もともと私にはその気がありました。
節子は「修は忙しいのか暇なのかわからない」とよく言っていました。
節子が「忙しい」と「暇」が同じことであることを理解してくれていたかどうかは、いささか疑問ですが、そのうちに慣れてくれました。

やるべきなのに、なぜやる気が起きないのか。
心が満たされていない、つまり「心がない」からです。
最近、そういう状況が増えています。
その理由がようやくわかりました。
私はいま、「透き間の時期」にいるのです。
無理をすることはありません。
誰かに大きな迷惑をかけない範囲で、暇の状況を受け容れていようと思います。

今日もとても暇で、退屈していました。
その一方で、机の上にある「課題リスト」をみると少し気が重くなります。
透き間の時間を生きるのも、それなりに疲れるものです。

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2010/05/21

■節子への挽歌992:身辺整理

節子
最近改めて不思議に思うことがあります。
節子がいなくなったのに世界はまったく同じように動いているということです。
言い換えれば、私がいなくなっても世界は今と同じように動いていくわけです。
にもかかわらず、その世界には、そのいなくなった人の痕跡が生々しくあるわけです。
そこに何か不思議さを感ずるわけです。
まあ、不思議さを感ずることなどないほど当たり前のことなのですが、昨夜、4時に目が覚めて、そんなことを考え出していたら眠れなくなりました。
何しろ私が寝ている部屋の風景は、節子がいた時とほとんど変わっていません。
クローゼットを開けると、節子の服がまだ並んでいますし、状差しには節子宛の手紙がまだそのまま残っています。

節子は、ある日、書類や写真を整理したいと言い出しました。
私は、整理は治ってから一緒にやろうといいました。
節子は少しだけ食い下がりましたが、結局は私に従ってくれました。
私たちはどんなに意見が違っても、最後はどちらかに任せる関係でした。
整理の問題は私の言い分が通りました。
節子はたぶん気になっていたでしょうが、身辺整理など始めたらそれこそ旅立ちの準備ができたなどと安堵してしまいかねません。
ですからそんなことは絶対にできなかったし、させたくなかったのです。
安心して旅立たせる方がいいという考えもあるでしょうが、私は最後の最後まで、やはり現世に未練を残し、最善を尽くしてほしかったのです。
残されるものの身勝手さといわれるかもしれませんが、その時は素直にそう思いました。
今もそれでよかったと思っています。
節子も、私のそうしたわがままさを許してくれているでしょう。

節子のものは、今もまだ家中にあります。
節子が明日戻ってきても、生活には不便はしませんし、3年前と同じように暮らせるでしょう。
でもそうなる可能性は、ゼロとは思っていませんが、限りなくゼロでしょう。

それはいいのですが、昨夜考えたのは、私がいなくなった後の世界はどうなるのだろうかと言うことです。
寝る人のいなくなった、この寝室は一体どうなるのか。
行き着いた結論は、節子と一緒でした。
身辺整理を始めることにしました。
残念ながら止めてくれる人は私にはもういません。

さてこれからしばらくは大仕事になりそうです。

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■風景を見る立地点

一昨日の続きです。
最近、普天間基地問題に関してメーリングリストでさまざまな議論があります。
マスコミでの報道はその一つの側面を伝えているだけですが、メーリングリストでの議論は考えさせられるものが少なくありません。
様々な意見を読めば読むほど混乱しかねません。

私自身はこの問題は極めてシンプルに捉えています。
国家の本質が見えているだけの話です。
問題の捉え方が「移設」である限り、解けない問題です。
ですから「移設」を「撤去」へと、問題を変えなければいけません。
そして変えれば、いとも簡単に問題は解けるように思います。
問題を変えるためには、これも簡単な話で、「安保条約10条」に従えばいいだけです。
鳩山さんは、そうすると思っていましたが、そうしませんでした。
意外でした。

それはともかく、問題はその人が立つ場所によって決まります。
先週のNHKの大河ドラマ「龍馬伝」で、見る立場を変えたら評価はまったく変わることが繰り返し述べられていました。
その通りです。
龍馬は他の多くの人と違ったところから世界を見ていたのでしょう。

この20年、日本の企業は「ノーロングターム」の波が覆っていました。
だれも長期的に問題を考えようとしませんでした。
この20年だけではないかもしれませんが、とりわけこの20年はみんな目先しか見ませんでした。
ですから世界を見る位置をどんどん変えてきたのです。
その結果、時間的にも空間的にも、近視眼的な世界しか見えなくなってしまったようです。

最近の若者は海外に行きたいと思わないそうです。
外資系の企業に入社したにも関わらず海外勤務を希望しないのだそうです。
そのことに日本の今の状況が象徴されているのかもしれません。

立地点を変えると世界はまったく違って見えてきます。
そして生き方も必ず変わっていくはずです。
私の時間軸や空間軸は、いささか逸脱しているかもしれませんが。
何しろ彼岸も見えてしまうのですから。

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2010/05/20

■節子への挽歌991:自慢できる相手の不在

昨日、節子の笑顔にあったせいか、どうも現実に戻れません。
無性に節子の近くに行きたい気持ちを抑えながら、その一方で節子の励ましを感じながら、大して意味があるとも思えないことをしながら今日も1日を終えました。

さまざまな活動に関わらせてもらってきた関係で、毎日いろんな人からメールをもらいます。
そこには私への謝意も少なくありません。
私のおかげである出会いがあり、そこから新しい物語が始まったというようなうれしい報告もあります。
そういうメールが来ると、私も少しは意味のある存在なのだと思わないわけでもありません。
しかしそのことを「自慢」する相手は今もいません。

自慢したくてやっているわけではないのですが、「喜んでもらえたよ」と誰かに言いたくなることもあるのです。
お恥ずかしい話ですが、私の活動のモチベーションは、昔から節子に褒めてもらうことだけでした。
お金や名誉などは、私にはほとんど興味のないことです。
そういうものを持っている人ほど、私の世界からは遠い世界の人であることが多いこともよくわかっています。
私にとっての唯一の喜びは、自分を真に理解している人が一緒に喜んでくれることです。
喜ばなくてもいい、一緒に喜怒哀楽してくれることなのです。
その人はもういない。
それが私の人生を変えてしまいました。

最近、娘たちが私の話を聴いてくれるようになりました。
そしてわずかばかり喜怒哀楽を共にしてくれるようになった気がします。
しかし、やはり節子とはちがいます。
もうしばらくは、この孤独さを続けなければいけません。
目いっぱい見栄を張りながら、生きなければいけません。
本当は節子の世界で一緒にゆっくり休みたいです。
一人で生きることはそれなりに疲れます。

疲れた時には、素直に疲れる。
それが私たちの生き方でした。
ブログを読んでくださっているある人が、「元気になってよかった」とメールをくれました。
にもかかわらず、こんなことを書いてしまいました。
人生はなかなかうまくいきません。

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■殺処理

続けてまた時評です。

口蹄疫でたくさんの牛が殺処理されています。
「殺処理」
恐ろしい言葉です。
この言葉を最初に知ったのは、鳥インフルエンザの時ですが、心が凍りつきました。
その言葉にまた出合うことになりました。

感染を広げないための「コラテラル・ダメッジ」なのでしょう。
でも恐ろしい風景ではあります。
だからどうすればいいのか、という考えがあるわけではありません。
「殺処理」を止めるべきだということでもありません。
ただただ恐ろしいだけの話です。
私たちは「言葉への畏れ」を忘れたのではないかという気もします。
それにしてもこんな無神経な言葉をだれがつくったのでしょうか。

人が生きるために多くのコラテラル・ダメッジが必要なことは否定できません。
でもやりきれない気がします。
そしてこうした風景がどうしても自分に重なってきてしまいます。
おそらくその状況になれば、私自身もきっと「殺処理」の対象になるのでしょう。
いやはや暗くなってしまいます。

胸を張って死を選んだ、切腹の文化や自爆の文化もなにやら理解したくなるほどの気分です。
言葉は大事にしなければいけません。

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■国の「不作為責任」

時評をまたきちんと書こうと思ったらとたんに書きたいことがたくさん出てきました。
続けて今日2つ目の時評です。

アスベスト問題で、昨日、大阪地裁が画期的な判決を出しました。
アスベストの有害性が明白になり、規制が始まっていたにも関わらず、実際の場での規制を放置したことに対して、国の「不作為責任」を認めた判決です。
国の「不作為責任」を認めたことにとても共感できます。

犯罪は多くの場合、「作為」に目が行きますが、権力の座にある人(組織、事業主体)は、むしろ「不作為」こそが大きな被害をもたらすのです。
にもかかわらず「これまで「不作為」は見過ごされがちでした。

立場によって、「不作為」の意味はまったく違ってきます。
私が少々の不作為をしたところでたかがしれていますが、社会的な大きな影響力を持っている人が行う不作為は大きな問題を起こしかねません。
C型肝炎問題を考えればわかることです。

もっとも「不作為」と同じレベルでの「過剰作為」という問題もあります。
そこが悩ましい話ではあります。

「過失」はどうでしょうか。
最近は「重過失」発想が広がっていますが、私自身は「過失」と「故意」の量刑の差が大きすぎることに以前から違和感がありました。
そこを埋めるものとしての「未必の故意」論があるのですが、それらはいずれも同じように扱うほう論理はたぶん十分に成り立ちます。
そうなっていないところに、今の法体系が管理の道具であることの証があると私は思っていますが、その延長に「不作為への寛容」が成り立っているように思います。

その意味で、今回の判決にはとても共感できます。
ただ、被告への慰謝料や賠償に関する判決部分には違和感があります。
被告にとっては、これまでとまったく同じことなのかもしれません。
しかし、あとは政治の世界の話かもしれません。

被告たちにとって納得できる保障がなされることを祈ります。

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■なぜ同じ地域に住む人に向けて銃口を向けられるのか

タイの反政府デモは政府によって制圧されました。
私自身はどちらかに加担できるほど情報も利害関係ももっていませんが、その制圧の様子をテレビで見ていて、なぜ人は人に向けて銃口を向けられるのかと不思議に思いました。
しかもみんな同じ国民です。
それぞれを動かしているトップの座にいる人たちが、「私欲」のために、あるいは「正義」のために、相手を倒そうとするのは理解できます。
もしそうなら一対一で決闘すればいいのですが、その文化がなくなったいま、動員されるのは権力とは無縁の生活者です。
制圧の前線に立った人と制圧の対象になった人とは、たぶん極めて近い存在でしょう。
にもかかわらず、戦わされるのは、常にそうした人たちです。
もしそうであれば、銃口は空に向けられるべきですが、映像ではまさに相手に向けられています。
そして死者が出るのです。
戦いで利益を得る人には、こうした仕組みでは銃口は向けられません。
利益を得る人たちは詰めに安全な場所にいるわけです。
イラクもアフガンも、チェチェンもそうです。

私の大学時代に安保闘争がありました。
デモ隊に向かってくる機動隊がまったく理解できませんでした。
お前たちのために我々は命を張って闘っているのがわからないのか。
そうした「思いあがりの気持ち」がまったくなかったとは言えませんが、人はいかようにも「改造」できることを実感しました。

そこで学んだことの一つは、論理的な関係と現実的な関係は、いつも逆転するということです。
その事例には、その後、歴史を学ぶたびに繰り返し出会いました。
ここでも「見ている風景」「生きている風景」が大きく影響しています。

タイの映像を見ながら、ふと思いました。
これはタイだけの話ではない。
日本の今の普天間問題もまったく同じなのではないのか。
武力こそ使わないものの、それ以上の「武器」が使われているのではないか。
そして人間が壊され、社会が壊されているのではないかと言う気がしてきました。

陰湿に隠された戦いよりも、タイのようにわかりやすい戦いのほうがダメッジが少ないのかもしれません。

もう一つ感じたのは、反政府側の戦略の不在です。
不謹慎ですが、なぜこんなやり方をとっているのかと思います。
たぶん政府対反政府と同じ構造が反政府組織にもあるのでしょう。
組織原理が同じ組織は常にフラクタルな関係です。
これもまた普天間問題にも当てはまることかもしれません。

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2010/05/19

■節子への挽歌990:久しぶりだね、節子

久しぶりに節子の笑顔に出会いました。

人の発想や行動の展開は論理的ではありません。
相撲をみようとテレビをつけました。
そうしたら映画「奇術師フーディーニ」の最後の場面が出てきました。
すごく印象的な場面で、ついつい見てしまいました。
数分で映画は終わりましたので、最後の3分ほどを見ただけです。
筋も何もわかりませんが、主人公フーディーニが事故で死ぬ最後のニュースを映画館で付き合いのあった母娘が見ている画面でした。
それを見ていたら、急に節子の映像を見たくなりました。
いつか編集しようと思ってDVDハードに記録させたままになっている映像の一つを思い出しました。

それは私たちの最後の海外旅行の記録を一緒に行った人に送ったときの映像でした。
ビデオを持参した私たちに、同行した人がコピーを送って欲しいと頼んできたのです。
しかし、イランから帰ってきてからいろいろとありました。
それを書き出したら、大変なほど実にいろいろとです。
でもその合間に少しだけ編集して、3人の人たちに送らせてもらいました。
その時に私たち夫婦からのビデオレターを作成したのですが、そのメイキング映像があるのです。
久しぶりに見る節子は、疲れた顔をしながらもいつものように笑っていました。
何回か撮りなおしていますが、節子らしさが感じられます。
ビデオを届けたのは、みんな私たちよりもかなりお歳上の女性たちです。
そして3人とも伴侶に先立たれた人たちでした。
まさかその人たちよりも節子が先に逝ってしまうとは思いもよりませんでした。
その人たちも思ってもいなかったことでしょう。

「奇術師フーディーニ」の映画の一つのシーンから、なぜ節子の映像を見たくなったのか、つながりはよくわかりません。
それよりもなぜテレビをつけたら、その映画のチャネルだったのでしょうか。
最初のシーンは子どもが涙を出しているシーンでした。
それを見て映画のタイトルも知らないまま、霊を感じたのです。

人の発想や行動の展開は論理的ではありません。
きっと節子が私に会いたかったのでしょう。
その映画が終わった後、字幕が流れました。
そこにこう書かれていました。

フーディーニは死の直前、「死後の世界があるのなら、必ず連絡をする」と伝えた。

連絡があったのかどうかわかりませんが、ネットで調べたらどうもなかったようです。
でも節子は連絡してきました。
死後の世界は間違いなくあるのです。
その連絡に気づくかどうか。
それはどれだけ愛し合えたかにかかっているような気がします。
笑われそうですが、私には確信できます。
私は、節子をとても愛していますので。

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■見えている風景の違い

昨日、コンサルタントや経営者を目指す人たちにビジネススクールで話をさせてもらいました。
これまでのものとは違ったビジネススクールで、私の友人が思いを込めて始めタプログラムです。
講演嫌いの私としては、めずらしく3週続きの講演でした。

昨日は講演後、いろいろと質問を受けました。
質問を受けたということはコミュニケーションが成り立ったということです。
私のメッセージが少し通ずるようになったのかと思いました。
ちなみに、私が話していることは、この20年ほとんど変わっていません。
もちろん話す材料は変わっていますが、メッセージは同じです。
残念ながら、私が思うような意味で相手に伝わったという実感が得られることはとても少ないです。
いえ、ほとんどないといってもいいかもしれません。
なぜなら聴いた人の生き方があまり変わったと思えないからです。
でも昨日は少しだけですが手応えを感じました。
終わってから名刺交換しながら何人かの方と話しなが、そんな気がしました。

しかし、帰りの電車の中で、ハッと気がつきました。
もしかしたら、みんなに見えている風景と私のそれとはやはり違うのではないか、ということにです。
そのことは前から感じていたことですが、風景は同じで、しかし見えているところが違うだけなのだろうと考えていました。
しかしもしかしたら、風景そのものが違うのかもしれません。

いつからこうなったのだろうか、68年の人生を振り返りました。
意識できるのは中学生の頃からです。
昨日、たまたま中学(武蔵野一中)の同窓会の案内が届きましたが、その頃から少しだけみんなと風景が違っていた気がします。

しかしおそらくそれは誰でもそうだったのでしょう。
子どもに見えている世界はそれぞれに違います。
違った世界に生きていると生きづらくなっていきます。
だから多くの人は世界をみんなと同調させていくのです。
大人になるということはそういうことなのでしょう。
それを助けてくれるのが学校かもしれません。
だから、私はその学校にいつもなじめなかったのです。

私もそれなりに同調して大人になろうとしてたつもりです。
ですが残念ながらそれに失敗してしまったのかもしれません。
その生き方を支えてくれた妻がいなくなってから、私の風景はさらに変わってしまったような気がします。

違った風景に生きている人たちにメッセージを出していくことが、果たして意味があるのか。
そんなことを考えたら、疲労感がどっと襲ってきました。
でも何人の方からか、昨日の感想が届いて元気づけられました。
世界が違うからメッセージが出せるのです。
そして出さなければいけないのです。
また時評をきちんと書き出します。

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2010/05/18

■節子への挽歌989:ふたりの自分

節子
今日、湯島に来てくださった方が、用件が終わって雑談をしていたら、実は私も妻を一昨年亡くしましたと言われました。
まったく予想もしていなかったことだったのですが、おかしな話ですが、その一言で、その人への信頼関係が一挙にできあがってしまいました。
もちろん初対面の人です。

その方は17年間、連れ添ったそうです。
1年半、家から出られなかったそうです。
帰り際に、その1年半の気持ちは説明できませんよね、というと、誰にもわかってもらえないでしょうね、という答が返ってきました、
私もそうです。
元気がないとか落ち込むとか、悲しいとかさびしいとか、そういうこととはどこか違うのです。
そしておそらく、私とその人の場合も、それぞれに違うはずです。
伴侶との別れは、自らの人生の意味づけを変えてしまうようなところがあって、自分でもうまく理解できない時期があるのです。
誰かに分かってもらいたい気がする一方で、わかるはずがない、わかるなどとは言わせない、というような、いささかいじけた気持ちもあるのです。

私は今日で989日目です。
この挽歌の数字と節子がいなくなった日からの日数は同じです、
いまでは自宅から外出するのも抵抗はありませんし、他者の言葉にも素直に耳を傾けられますが、誰にもわかってもらえないと思いたい心境は変わっていないような気がします。

節子と一緒だったときの自分と、節子がいなくなってからの自分とは、私の場合、明らかに違います。
そして、いまは、そのふたりの自分が私の中に共生しています。
さらにややこしいのですが、実はもう一人の自分がいるような気もします。
最近はそんな複雑な自分を生きています。
心身は、魂の宿り場だということを実感できるようになってきました。

昨日は帰宅が遅くて疲れきってしまっていたので、ブログのアップが遅れてしまいました。

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■競争と評価

友人が仲間と一緒に本を出しました。
「「エクセレントNPO」とは何かー強い市民社会への「良循環」をつくりだす」です。
非営利組織評価基準検討会編となっています。
その検討会の主査が田中弥生さんです。
田中さんとは長い付き合いで、私が信頼する数少ないNPO研究者です。

その本のことを私のホームページ(CWSコモンズ)で紹介させてもらいました
いささか批判的な紹介です。
本の内容はとても共感できるのですが、タイトルに大きな違和感があったからです。
タイトルには、しかしその本のメッセージと編集意志がしっかりとでます。
そのタイトルを嘉永したための苦い経験が私にもあります。

タイトルのどこに違和感をもったのかは、ホームページに書きました。
読んでもらえるとうれしいのですが、要するに「強い」「エクセレント」の2つの文字への違和感です。
編者が非営利組織評価基準検討会ですから仕方がないのですが、この2つの表現には「量的な相対評価」の発想があります。
私は多文化主義者ですので、一つの尺度で評価する文化にはなじみません。
それは必ず「優劣」につながるからです。
優劣は「競争」を引き起こします。
そして競争は寛容さを失わせます。
とりわけ「強い」という言葉の持つ「暴力性」には最近過度すぎるほどに反応してしまいます。
私自身の心がきっと「弱くなっている」からです。

みんな「競争」は大切だといいます。
そういう人はほとんど例外なく、「敗者をつくる競争」は悪いが、「切磋琢磨しみんなが進歩する競争」は必要だといいます。
私もつい先ごろまではそう思っていましたし、このブログにもそうしたことを書いたような気もします。

しかし最近、果たしてそうだろうかと思い出しています。
「競争」と「評価」
これについて少しこれから考えてみたいと思います。

昨日、早く寝たせいか、少し元気が出てきました。

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2010/05/17

■節子への挽歌988:「まあそういうこともあるわよ」

とてもさわやかな初夏のような1日でした。
空が久しぶりに青かったです。
しかし、このところどうも気分が晴れません。
不思議なもので、気分が沈んでいると、さらに気分が沈むような話がやってきます。
それだけではありません。
不快なことが周辺で多発します。
いつもならなんでもないことかもしれませんが、なぜか些細なことが気分を逆なでしたりしてしまうのです。
心がいじけているためかもしれません。
気持ち次第で、世界は明るくも暗くもなるものです。

気持ちを明るくしたいと思うのですが、どうも思うようにいきません。
冷ややかに自分を見ている自分を感じてしまうのです。
いささか危うい状況なのかもしれません。
困ったものです。

そんなわけで、最近は時評も書けずにいます。
挽歌もあまり書く気力が出てきません。
節子がいたらきっとこういうでしょう。
「まあそういうこともあるわよ」
その一言に、何回救われたことでしょうか。
節子にそういわれるとなぜか安心できました。

今日は早く眠ることにします。
まだちょっと早すぎますが。

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2010/05/16

■節子への挽歌987:枯れてしまったさつき

節子
ジュンが結婚したので、裏庭の花木の水やりの担当が私になりました。
時々忘れてしまうので、いくつが枯れてしまいました。
一番残念だったのは、節子が沖縄から買ってきたブーゲンビリアです。
さつき展で松崎さんからもらった盆栽のさつきも枯れてしまいました。

植物には声をかけながら水をやるといいのですが、我が家は家の周りにさまざまな植物があります。
地植えのものはいいのですが、鉢ものはちょっと手を抜くと元気をなくします。
とても正直なのです。
節子とちがって私の場合は、まだそれぞれの花木との付き合いが浅いので、水加減も必ずしもわかりません。
せっかくの蘭を水のやりすぎで根腐れさせてしまったものもあります。
花木を育てることの大変さが少しわかってきました。

枯れてしまったさつきには少しだけ思い出があります。
節子と一緒に近くでやっていたさつき展に行ったのですが、抽選でさつきをもらえたのです。
その育て主が茨城県の松崎さんといいます。
節子がとても喜んだのをみて、その松崎さんが一度自分の家に来たらもっと大きなさつきをあげるよと言ってくれました。
それでいつか一緒に松崎さんのところを訪問しようということにしていたのです。
節子は楽しみにしていました。
節子は農家の人と話すがとても好きでした。
不思議ですが、私の母も同じように土を扱う人と話すのが好きでした。

ところがその後、節子は病状が悪化して、結局行けずじまいに終わったのです。
枯らせてしまったさつきは、そういうさつきだったのです。
節子が松崎さんから教えてもらったように、針金で細工をしたままのさつきでした。
もっとていねいに水やりをしていたら枯らせることもなかったでしょう。

明日からもう少していねいに水をやろうと思います。
小さな鉢の一つひとつに、節子の思いがこもっているのです。
これ以上、枯らすわけにはいきません。
明日からは朝一番の仕事にしようと思います。
問題は何日つづくかですが。


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2010/05/15

■節子への挽歌986:家庭農園

むすめたちと節子がよく行った、お花屋の岩田園に行きました。
家庭農園を再開することにしたのです。
その苗を買いに行きました。
節子がいなくなってからわが家の農園は荒れ放題です。
それを今年から再開しようと言いだしたのはジュンが結婚した相手の峰行さんです。
彼が目指しているのはハーブですが、どうせなら野菜も再開しようと思います。
もっとも節子のいない状況では、私に持続できるかどうかはわかりません。
仕事面では私が主役、生活面では節子が主役、というのが私たちの生き方だったのです。

前に書いたことがありますが、私は「サブシステンス」という概念が大好きです。
この言葉を知らない頃から私は「サブシステンス」、つまり生命の視点から物事の価値判断をするという思いがありました。
ですから会社時代も、経営計画策定よりも来客にお茶を出す仕事のほうに価値を見出していたのです。
この考えを私にしっかりと定着させてくれたのが節子でした。
理念でしか考えていなかった私を、それこそまさにサブシステンスな生き方に変えてくれたのです。

野菜づくりをやりたいと節子に言ったのは私ですが、実際にそれを可能にしてくれたのは節子です。
「修は口だけだから」といつも良いながら、節子は私がやりたいことを実現させてくれました。
家庭農園もその一つでした。
いまもなお「怠惰で飽きっぽい」性根はなおっていませんが、節子に笑われない程度にやってみようと思います。
今年のお盆には夏野菜を節子に供えようと思います。

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2010/05/14

■「自殺」という言葉をなくしたい

先月、三省堂から「自殺をくい止めろ! 東尋坊の茂さん宣言」が出版されました。
筆者は東尋坊で自殺防止活動をされている茂幸雄さんです。
昨日書いた「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」の代表は茂さんです。
その関係で、この本にも一文書かせてもらいました。
ホームページに掲載しましたので、もしお時間があればお読みください

この本を読んだ友人から「佐藤さんの文章だけトーンが違いますね」といわれました。
タイトルは「自殺のない社会に向けて」となっていますが、自殺に関する記述がほとんどないからです。
彼はこの本を読み出して、あまりに重いので先に進めなくなったそうです。
最初のほうには自殺を身近に体験した人たちの文章が並んでいたからです。
気を取り直して、真ん中にある私の書いた文章を読んだそうです。
私のことを知っていることもあったのだと思いますが、すっと入っていけたそうです。
私自身、この本を受け取った時に、その装丁も含めて、これは読んでほしい人には読んでもらえないだろうなと思いました。
筆者の茂さんも編集者の人も知っているだけに、こんなことを書くのは気が引けるのですが、私には問題の捉え方に大きな違和感があるのです。

それはマスコミの報道に関しても同じです。
視聴率のために報道しているのか、とまでは言いたくありませんが、関連番組を見ていて、そのステレオタイプな取り上げ方にはいささかの違和感があります。
報道関係者とも何回か話しましたが、彼らも決して悩んでいないわけではありません。
とても誠実に取り組んでいるのが伝わってはきますが、やはり私には共感できません。
それにここまで報道されるようになったことは関係者の努力のおかげです。
それは私も高く評価しています。
でもどこかに違和感があるのです。

私自身が身近に「自殺」を体験していないための勝手な違和感かもしれませんと思うこともあります。
事実、自死遺族の人からも怒られてこともあります。
しかし私も「自殺」で親しい友人を何人か亡くしています。
会社時代には私をとても支援してくれていた上司が自殺しました。
自殺を考えた友人知人と関わったことも何回かあります。
いやそれ以上に、自らも自殺に決して無縁ではないという自覚はいつもあります。
ですから、そう無関係な生き方をしているわけでもないのです。
そういう立場から考えても、今の自殺問題の取り上げ方は違和感があります。

「自殺」という言葉をなくしたい、と私は思っています。
言葉は現実をつくっていきます。
どうしたら、その言葉をなくせるのか。
私の関心事は、そのことに尽きています。
そしてそれは自分の生き方を変えることからしか始まらないのではないかと思っているのです。

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■節子への挽歌985:永遠の寝顔

節子
先日の通夜のことがまだ頭から離れずに、どこかおかしな時間を過ごしています。
彼の顔に重なって、節子の顔が頭から離れないのです。
こんなに引きずるのは、私にとってはめずらしいことです。
季節の変わり目も影響しているのかもしれません。

節子の永遠の寝顔はとてもきれいでした。
通夜の夜、だれもいない祭壇の前で、一人でずっと見続けていたのを思い出します。
がらんとした大きな葬儀場でしたが、そして悲しさはあったのでしょうが、不思議と心は安らぎました。
明日はもうお別れだねと、節子と話していて、献花台を思いついたことを思い出します。

節子の最後の化粧は、ユカとジュンとでしてくれました。
ユカに聞いたら、お母さんが好きだった紅い口紅をいつもと同じようにしっかりと塗ったと教えてくれました。
そのせいで、節子は最後まで生き生きとしていたのです。
生前よりも美しかったような気がします。

お別れに来た人に、節子と会ってやってくださいといいたくなるほど、節子はきれいでした。
しかし、今にして思えば、そう思っていたのは私だけだったのかもしれません。
惚れていると、まさに「あばたもえくぼ」です。
それは間違いありません。
一昨日の片山さんと同じく、私も節子が動けなくなるまで一緒に入浴しました。
節子は一人では入浴は無理でしたし、私たちはそれまでも一緒に入浴していたからです。
痩せ細った節子は鏡を見てはよくこんなになってしまってごめんね、と言いました。
しかし私には、痩せ細ろうとどうなろうと、節子は節子でした。
愛しさは高まりこそすれ、弱まることはありませんでした。
しかし抱きしめてしまえば骨が折れてしまうのは明らかでしたから、抱くこともできませんでしたが。

節子の笑顔が、今の私を支えてくれているのかもしれません。
節子は笑顔がとてもきれいだったのです。
私だけしか見ていないでしょうから、客観性はないのですが。
もうその笑顔に触れられないのがつらいです。

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2010/05/13

■昨年の自殺者もまた3万人を超えてしまいました

警視庁の発表によれば、昨年の自殺者は前年を596人上回り、1978年に統計を取り始めてから5番目に多く、12年連続で3万人超となったそうです。
自殺問題に対する世間の意識はかなり変わってきましたし、制度的な取り組みも広がっていますが、自殺者の数はなかなか減りません。

この1週間、若い友人の死に遭って、時評を書く気力がなかったのですが、この新聞記事を読んで久しぶりに書く気が起きました。
この問題はいつか書きたいと思っていたのです。

私も昨年、「自殺のない社会づくりネットワーク」の立ち上げに関わりました。
私のオフィスをその事務局に提供しています。
そしてその活動にもささやかに関わらせてもらっています。
しかし正直に言えば、こうした活動に対する違和感が拭えないのです。

それはなにも「自殺問題」に限った話ではありません。
この20年、各地のまちづくりやNPO活動などに関わらせてもらっていて、どうも気になるのが、その根底にある思想と活動の枠組みです。
そこではじめたのが、「大きな福祉」を理念とするコムケア活動です。
そこで心がけているのは、現象として現れる個別問題への取り組みではなく、その根底にある私たち一人ひとりの生き方の問い直しです。
それは同時に失われてきた「コモンズの回復」でもあります。
私のホームページのどこかにそれに関する論文も掲載しているはずですが、コモンズが痩せ細った社会を変えていかなければいけないというのが、私の生き方です。
そこを変えていかないといくら個別問題への対策を立てても実態は変わらない。
ただ問題が見えなくなるか、変質してしまうだけではないかと思うわけです。

こんなことを言うと実際に個別問題に取り組んでいる人たちに怒られるでしょうし、批判されてしまうでしょう。
実際にこれまでもそういう体験をしています。
だから「自殺のない社会づくりネットワーク」から離れてから、この問題はブログで書きたかったのですが、なかなか離れられません。
そこで仲間からひんしゅくを買うことも覚悟で書くことにしました。
ここで書くことは、ネットワークとはまったく無縁の私の私見です。

問題を解決すれば問題は進化し、さらに事態は悪くなる。
これが「近代のジレンマ」だと私は捉えています。
社会原理を変えないとそのジレンマは克服できません。
その原理を反転させる鍵は何なのか、それが私の関心事です。
それに関して私が何を考えているかは、このブログで書いてきています。
それは、時評だけではなく、挽歌編とセットにしているつもりです。
時評と挽歌は、私にとってはコインの裏表です。
時評がラディカルに感ずるのは、生命に立脚しているからです。

さて「自殺」の問題です。
問題は2つあります。
一つは「自殺(企図)」によって発生する関係者の生活を支援することです。
これは間違いなく価値のある活動です。
しかしそれが整備されれば自殺がなくなるわけではないでしょう。
そこには危険な落し穴さえあるように思います。
誤解されそうですが、解決すべき問題が違うのです。
近代が誤ってきたことの本質がそこにもあります。

もう一つは、「自殺」現象をなくするという問題です。
これは自殺そのものの問題ではなく、社会のあり方、言い換えれば人と人のつながり、人と自然とのつながりの問題というべきです。

言い方を変えると、問題をどう設定するかが重要なのです。
問題の立て方を間違うと、取り組み方が違ってしまうことにもなりかねません。

中途半端な書き方なので、少しこの問題は書き続けたいと思います。

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■節子への挽歌984:死者が残すもの

節子
神に愛でられたものほど早く逝く、といいます。
それが本当だとすると、いまなお残っている者は、神には愛されていないことになります。
そう思いたくないので、この言葉には、生き方を問い直す効用があるかもしれません。
たしかに人の死は、自らの生き方を問い直す契機になります。
少なくとも私の生き方は変わりました。
それなりに神に喜ばれようとしています。

しかし、こうも言えます。
彼岸に旅立った人たちは「良い思い出」だけを残された者に置いていくのです。
残されたもののために、悪い思い出はすべて背負って旅立つのです。

節子から聞いた話だと思いますが、旅立つ人は、みんなの悪いものをすべて持っていってくれるのだそうです。
節子もそうだったのでしょう。
だから、節子がいなくなっても、家族みんなが何とか支えあって暮らせていられるのかもしれません。

しかし、何が良い思い出で、何が悪い思い出か。
少なくとも伴侶の場合は、良いも悪いもありません。
伴侶に限らず、愛する人との思い出には「良い」も「悪い」もないでしょう。
でもどこかで無意識のうちに美化されていることは否定できません。

この数日、そんなことをずっと考えています。
思い出は変化するものだということです。
過去は変わらないと人は言いますが、そんなことはありません。
過去もまた生きているのです。

誰かを見送ると、自分の世界が変わります。
世界が変わると気づかないうちに生き方も変わります。
それはいいのですが、同時に、それまでの自分への嫌悪感が生まれてくるのがやり切れません。
私が残された理由に気づかされるのです。
死者への弔いは、結局は自らのためなのです。
感謝しなければいけません。
これまで逝った多くの人たちに。

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2010/05/12

■節子への挽歌983:「おとうさんだから安心できる」

節子の旧姓は「片山」です。
ですから、節子は「片山」という名前に出会うといつもその人に関心をもちました。

鳥取県の知事だった片山喜博さんが、昨年、奥さんを見送ったことを先日初めて知りました。
記事のタイトルは「亡き妻の言葉に勇気」でした。
それに並んで「おとうさんだから安心できる」という書が掲載されていました。
そのふたつで、書かれていることはすべて伝わってくる気がしました、

片山さんと奥さんの最後の会話は、
「お父さん、ありがとう」
「ありがとう」
だったそうです。
とてもうらやましく感じました。
私と節子との最後の会話はなかったからです。
気づいた時には、節子は昏睡状況だったからです。
ですから、私たちの最後の会話はこうです。
「節子、ありがとう」
私からのその一言だけ。返事はありませんでした。

でも、片山さんが書いている「おとうさんだから安心できる」という言葉は、私も節子から何回も聞きました。
ついついそれを思い出して、胸が痛みます。

片山さんはこう話しています。

気の休まらない日々。看病の支えになったのは弘子さんの一言だった。
「おとうさんさんだから、安心できる」
入浴やトイレの世話は子どもたちに任せずもっぱら受け持った。
介護技術があるわけでもない自分に、いつもこう言ってほほ笑んでくれた。
飾り気のない言葉だが、41年間お互い愛を育んできたからこその愛情表現だった。
最後の文章に思わず涙が出ました。
弘子さんが残した言葉を追憶することで気づかないうちに勇気づけられている自分がいる。

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2010/05/11

■節子への挽歌982:雨

節子
今日はとても悲しい雨でした。
雨になると気分が沈みます。

今日は何もやる気がなくて、金子由香利のシャンソンを聴きながら、灰色の空をずっと見ていました。
それにしても、この人の歌はなんでこんなに心に響くのでしょうか。
静かな涙が、気づかないうちに出てきます。
何回聴いても飽きることがありません。
灰色の空も飽きることはありませんが。

夕方、先に逝ってしまった若い友人に会いに行きました。
行くのがとても辛かったのですが、
幸いに彼と同じ世代のふたりが一緒に行ってくれました。
自分よりも若い世代を見送るのと、同世代を見送るのとでは、辛さは違います。
いつもそう思います。

専門学校の先生をやっていたので、教え子たちがたくさん来ていました。
そのおかげで、私も気分がやわらぎました。
その一方で、3年半前を思い出しました。

好きな仕事で最後まで楽しそうだったとお母さんが話してくれました。
直前まで自覚症状がなかったようです。
虫垂がんでした。

最近少し元気が出てきたのですが、今日の雨がまたそれを流し去ってしまった気がします。

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2010/05/10

■節子への挽歌981:「またいっしょに何かやりたいんですけどね」

昨日、書いた泰弘さんの友人(学校の同僚)のKさんからメールが来ました。
泰弘さんの紹介で、私もあったことのある人です。
いろいろなことがわかりました。
過労死だったのではないかと思います。
事情を知って、ますます無念さが高まりました。

Kさんはこう書いてきました。

ごくまれに彼と話す際に、よく修さんの話が出ていました。
「最近全然会えないんですよね」と。
「またいっしょに何かやりたいんですけどね」と。
私と同じ思いを持っていてくれたことが、うれしくもあり悲しくもあります。
なぜ2人とも同じ思いを持ちながら実現しなかったのか。
このメールを読んで、涙がどっとあふれました。
久しぶりに涙が止まりませんでした。

あまりに早すぎます、と彼も書いてきましたが、本当に早すぎます。
わかっていたらもっとやるべきことがありました。
悔しくて仕方がありません。
最後に電話で話したのはいつだったでしょうか。
なぜ気づかなかったのか。
2月に会おうといったら、2か月後まで時間が取れないといってきた時になぜ気づかなかったのか。
節子がいたら、もしかしたら気づかせてくれたかもしれません。
そういうことに関しては、私よりも直観力がありましたから。

節子も泰弘さんの素直さがとても気にいっていました。
そういえば、節子が好きだった私の友人はなぜか私よりも先に逝ってしまいます。
まさか節子が呼んでいるのではないと思いますが、思い出しただけでも4人の顔が目に浮かびます。

Kさんは最後に書いてくれました。

最後に修さんに見送られるのは彼も喜ぶのではないかと思います。
いまの私にできることはそれだけです。
それが悔しくてなりません。

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2010/05/09

■節子への挽歌980:会う気になったのには必ず理由がある

節子
今日は朝から悲しい知らせです。
節子も知っている佐藤泰弘さんの訃報が届きました。
久しぶりに気が動転してしまいました。
彼は42歳、実に気の良い若者でした。
今の仕事が忙しくて、なかなか会うこともないまま数年が過ぎてしまっていました。

彼と知り合ったのは、私が環境探偵団を立ち上げた時でした。
コムケア活動を立ち上げる時も一緒でした。
ふたりでコムケアのベースをつくりました。
その後、彼は望んでいた自然学校教育の世界に移りました。
専門学校の先生になったのです。
実に忙しそうでしたが、毎年カナダに生徒を連れて行くなどして楽しそうでした。
しかしあまりの忙しさが気になっていましたが、彼が落ち着いたら一緒に何かやりたいと思っていました。

今年になって、彼に会いたくなりました。
4月初めなら時間が取れそうだと言ってきました。
それで連絡を待っていたのですが、連絡がありませんでした。
気になってメールをしましたが、返事がなく、やはりまだ忙しいのかと思っていました。
そして今朝、彼の友人から突然の訃報。
大腸がんでした。
そんなことなどまったく知りませんでした。

佐藤泰弘さんには感謝したいことがたくさんあります。
いつかきちんとお返ししようと思っていたのですが、それも適わぬことになりました。
相手が若いとお返しはいつでもできると思いがちですが、そんなことはないことを思い知らされました。
それにしても、まだ信じられないでいます。
あの気の良い泰弘が先に逝くとは、神も仏もあるものかと言いたくなります。
自分よりも若い人を送るのは辛いことです。
それに、彼のお母さんのことを思うと、心が深くいたみます。
一度だけお会いしたことがありますが、それは泰弘さんの父、つまり彼女の伴侶の葬儀の時でした。

あまりにも突然の訃報。
人は会おうと思った時には無理をしてでも会っておかなければいけません。
会う気になったのには必ず理由があるのです。
彼と会えていたら、なにかが変わっていたかもしれません。

深く深く彼に追悼の意を捧げます。
あんなに気の良い若者はいませんでした。
あまりにも身近に感じてしまっていたので、付き合いが疎遠になっていたことを心から悔やんでいます。

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2010/05/08

■見えない金利の罠

昨日、企業の管理職の人たちを対象にして、「個人が主役の時代におけるビジネスマンのあり方」という話をさせてもらいました。
私の伝えたいメッセージは、もう雇われ人(エンプロイー)根性を捨てて、企業という仕組みを活かすアントレプレナー(起業家)になろうということです。
そうして、社会を壊わしだしている金融主導の経済システムを変えていこうと呼びかけたかったのです。
このことをホームページ(CWSコモンズ)に書いていたのですが、これは時評編に書いたほうがいいと思い、同じような内容ですが、少し書き足して、ここに掲載することにしました。

お金のために働く状況からどう抜け出すか。
それが大きな課題だと私は思っています。
それに関しては、このブログでもいろいろと書いてきました。
しかし昨日話したのは。私たちはお金のために働いていることに気づいていますか、と問いかけさせてもらったのです。
お金をもらうためという意味ではありません。
お金が要求する利子のためという意味です。
そのことを少し書こうと思います。

金利負担しているのはお金を持っている資産家だと私たちは思いがちですが、むしろ貧しい人ほど相対的には金利負担をしているのが最近の金融資本主義の実態です。
消費者金融からの利子などという話ではありません。
また規制がわずかに厳しくなりますが、焼け石に水と言うか、むしろ犯罪者たちと金融業者を喜ばすだけの犯罪助長策でしかありません。
これを書き出すとまた長くなりますので、今回は止めます。

今回のテーマは「お金がお金を生み出すこと」が構造化されている今の経済システムの話です。
「お金が取り込む利子」が現実には見えない形になっているのです。
スーパーで200円のキャベツを買うとします。
キャベツの原価を調べていくと、そこに「金利」の項目が隠されていることに気づきます。
農家は生産のために施設や機械に投資しますが、その投資のために融資を受けます。
その金利負担が農家の生産費にはしっかりと含まれています。
スーパーは店舗建設のために融資を受けていますが、その金利もまた原価に反映されています。
そんなことは当然だと思うかもしれませんが、もし金利がゼロであれば、つまりお金がお金を生み出す構造をなくせば、金利分だけ価格は安くなります。
言い換えれば、金利分は消費者が負担しているわけです。
キャベツの価格の、どのくらいの割合が「お金の収奪される利子」になるかは正確にはわかりませんが、かなり大きいはずです。

もっとわかりやすいのはガソリンです。
ガソリンにかかっている税金のかなりの部分が、国家が借金している分の金利に取られています。
もし国家の借金の金利がゼロであれば、税金はもっと安くなるのです。
こうした金利がどこに行っているかといえば、お金を持っている人に行きます。
ですからお金をたくさん持っている人は働かなくてもお金はどんどん入ってきます。
これが今の経済の構造です。

農業の例で言えば、農協は日本の農業を工業化してきました。
そして農家に農薬や化学肥料、さらには機械を売り込みました。
つまり「お金のかかる農業」に育てたのです。
「お金のかかる農業」は一見、「お金を稼ぐ農業」でもあります。
しかし同時に、「利子を負担させる農業」でもあるのです。
そうしてお金は何もしなくても自然と利子が入ってくる(お金を生み出す)仕組みをつくりあげたのです。

もし金利がゼロになれば、つまり貨幣は単なる交換手段だと位置づければ、経済はまったく違ったものになります。
まさに生きるために必要な、サブシステンスな活動が基軸に置かれた経済が構築されるでしょう。
お金がお金を生み出すなどという不条理なことはおきません。
そして持続可能な経済が実現できるでしょう。
もともと経済とは持続可能なものなのです。
金利などというおかしな概念をなくせば、経済の構造はまったく変わります。

私たちが、お金のために働いていることがわかってもらえたでしょうか。
貧しい人ほど、生活していく上で日常的に金利負担をしているのです。
その結果、生活の困窮した人が、消費者金融やヤミ金融の餌食なるのです。
これは決して別の話ではありません。
巧妙に仕組まれた構造です。

そこから少しでも抜けだしたくて、私はお金をできるだけ使わないようにしています。
お金を使うことが、高利貸しを利することになるからです。

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■節子への挽歌979:徒労

昨夜、池袋のメトロポリタンホテルで講演をしてきました。
前にも書きましたが、このホテルには節子の2つの思い出があります。
いずれもここで奇跡が起こるのではないかと思った思い出です。
しかし奇跡は起こりませんでした。
そのため、足が遠のいていたのですが、今回は何と皮肉なことに講演会場がこのホテルでした。

このホテルの地下に、帯津良一さんのクリニックがありました。
節子とそこに最初に行って、帯津さんの話を聞いた時には希望が出てきました。
そしてホメオパシーも試してみました。
しかし今から考えると、そして当時を思い出すと、希望を持っていたのは、私と節子だけだったのです。
次元の違うところから見下ろされているような「みじめさ」を感じたのです。
徒労と知りながら、みんなは応援していたのかもしれないと、いささかの腹立たしさを感じもしました。
そのことに気づいて、しばらくの間はとてもやりきれない気分になっていたのですが、それは当然のことかもしれません。
しかし、それはあまりにいじけた「被害妄想」というべきでしょう。

病気に関わらず、現場の当事者には「徒労」という概念はありません。
ただ無心に取り組むだけです。
それは誠実な医師や看護師にもあてはまることかもしれません。
私自身、さまざまな現場にささやかに関わっていますが、徒労などという思いを現場の人に抱いたことは一度たりとありません。
むしろそうした「徒労」に見える活動から、新しい風は起こってきます。

先が見えてしまうことのむなしさを実感したのも、節子との闘病を通してです。
先は見るものではなく、創るもの。
これが私の生き方ですが、それが私たちを支えていました。

節子がいなくなって、私の時間は止まりました。
先に道のない、断崖絶壁の縁に立たされた感じです。
見るべき先がなくなっただけではなく、創るべき大地がなくなったのです。
砂上の楼閣すら創れない。
なにしろ先がなくなったのですから。
創るべき先がなくなってしまったら、どうしたらいいのか。
答はわかっています。
創れなくとも、創らなければなりません。
なかったら創ればいい。
徒労などと思ってはいけません。
先はやはり創らなければいけません。

わかってはいるのですが、まだその気力がでてきません。
「まだ」なのか「もう」なのかは、わかりませんが。
節子と一緒に、新しい先を創っていたころが思い出されてなりません。
あのころの人生は「輝いていた」にちがいありません。
どんなに「徒労」のように見えていたとしても。

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2010/05/07

■節子への挽歌978:辛い時期

昨日、民医連の渡邉さんが湯島に来てくれました。
私がある資料を探していることを聞きつけて、わざわざ湯島まで届けてくれたのです。
最初、渡邉さんから電話をもらった時には思い出せなかったのですが、3年前にも湯島に来てくれたことがあります。
2007年の7月でした。
節子の状況が急変しだした頃です。

実はその頃の記憶があまりありません。
頭からその半年のことが抜けてしまっています。
渡邉さんのことも最初は思い出せませんでした。
当時はまだ湯島にも出ていたようですが、今から思うとなぜ自宅で節子と一緒にいなかったのかと不思議です。
しかしおそらく当時の私は、節子の回復を確信していたのです。
人は、あってほしくないことは見ないように、考えないようにします。
当時の私も、多分そうだったのでしょう。
事実を冷静に受け容れることなど、できるはずもありません。
おそらく当時の私は、現実の世界とそれを希望的に読み直した世界との狭間で、逃避していたのかもしれません。
誠実に生きていた節子に比べると、なんと卑劣なことか。
自分ながら嫌になります。

渡邉さんにお会いしたら、すぐに3年前のことが思い出されました。
私にはちょっと辛い時期でしたと渡邉さんにお話したら、そのようでしたという答が返ってきました。
渡邉さんはとてもあったかな雰囲気の方で、3年前を思い出しながらも、少し心が温まる思いがしました。

3年前が辛い時期だったのであれば、いまはどうか。
当時はいかに辛かろうと帰宅したら節子がいました。
しかし、昨日は帰宅しても節子はいませんでした。
そんなことを考えながら歩いていて、昨日書いた木霊に出会ったのです。
いうまでもありませんが、今の辛さに比べたら、3年前の辛さなどたいしたことではありません。
今のほうが辛いに決まっています。
何しろ節子がいないのですから。

しかし一般にはおそらく当時のほうが辛かったとみんな思うでしょう。
私自身も無意識の中でそう思っていました。
だから昨日、渡邉さんに「ちょっと辛い時期でした」と話したのです。
でも考えてみると、辛いのは今のほうです。
残された者の人生は、辛いものです。
ここから抜け出ることなどできようはずもない、そのことにやっと気づきました。
逃避的に生きてきた当然の報いです。

今日はなぜか朝から風が強いです。

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2010/05/06

■節子への挽歌977:木霊

今日は7時ころに我孫子に戻りました。
駅から自宅までは歩いて10分ほどです。
途中に自性山興陽寺という曹洞宗のお寺があります。
そこに大きな樹が3本立っています。
夕暮れ時の白い曇り空を背景に、その樹木がいつもよりも黒々と大きく感じられました。
しかも、風がかなり強かったので、まるで生きているように動いているのです。
樹木に強い生命を感じたのは久しぶりでした。
たぶん節子がいなくなってから初めてです。

私が山が生きていることを確信したのは、10年ほど前に宮崎県綾町の照葉樹林を見た時です。
環境問題の調査に水俣を訪問した後、水俣市の環境課長だった吉本さんに案内してもらったのですが、その照葉樹林は衝撃でした。
樹林の前で30分ほど呆然としていたのを覚えています。
それから環境問題への考えが一変してしまいました。
端的に言えば、興味を失ったのです。
生きている山を見たら、ゴミの分別などはいかにも小賢しく思えてきたのです。

節子が病気になった時、私たちが祈ったのは、自然の強い生命力から大きなエネルギーをもらうことでした。
その時私が思い出したのが、もくもくと湧き出るような生命力を感じた綾町の照葉樹林でした。
それをイメージしながら、祈りました。
しかしその祈りは適えられませんでした。
以来、樹木の持っている強い生命力を感じたことはありません。
私の中では、樹木もまた死んでしまったのです。
樹木の強い生命に呼応する私自身の気が消えていたというべきかもしれません。

それが今日、久しぶりによみがえってきたのです。
しばらく見惚れていました。
風に応じて動いている樹木は、明らかに生きていました。
手と口も見えました。幻覚だったかもしれませんが。

帰宅して節子に報告しました。
その時に、もしかしたらあれは、木霊が彼岸に私を誘ったのかもしれないと思いました。
そういえば、私を招きこむような感じがありました。
通り過ぎてからも、気になって何回も後ろを振り返りました。
それにいま思えば、いつもそこを通っているのに、樹木の木霊をあれほどはっきりと感じたことはありませんでした。
全体が奇妙に白く、そのくせ樹木は緑が消えて黒かったのも不思議です。
まさに黒白の世界でした。

しかし、もしかしたら、逆に私にまた生命力がよみがえってきたのかもしれません。
以前のように、樹木と話ができるようになるかもしれません。
節子の実家のすぐ近くには、話ができる大きなけやきの樹がありました。
その樹の木霊のことは節子から教えてもらいました。

どちらにしろ、とても不思議な体験でした。

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2010/05/05

■節子への挽歌976:困った時の節子頼み

節子
今日はいささか疲労困憊していて、挽歌を書く気力がありません。
連休で遊びつかれたわけではありません。
連休にはあまり出かけることなく、自宅でゆったりしているのが、節子がいた頃からのわが家の文化でした。
今年も同じように、ゆったりと自宅で過ごしました。
にもかかわらず、疲労困憊しているのには理由があります。
連休前にやるべき約束をさぼっていて、連休に持ち越していた仕事を今日のお昼後から始めたのです。
それが実はかなり難物だとわかったのです。
しかも思っていたのと内容が違っていたのです。
頭を絞ってもいい構想が出てきません。
こういう時には節子と気分転換に近場に出かけるのが以前の打開策でしたが、気分転換しようにも一人ではなかなか難しいです。
困ったものです。

まあ気分転換に挽歌でも書こうと思って書き出したのですが、書くことが浮かんできません。
動機が不純なためでしょうか。
ますます頭が疲れます。完全に袋小路に入って煮詰まってしまいそうです。

私が根をつめて袋小路に入ってしまうと、節子はいつもその固まってしまった発想を解きほぐしてくれました。
内容的に相談に応じてくれるのではなく、頭を揉んでくれたのです。
それもちょっとだけでしたが、なぜかそれが効果をあったのです。
そして甘いお菓子を出してくれました。
お菓子がなければ作ってくれました。
娘も時々お菓子は作ってくれますが、頭は揉んではくれません。
それに残念ながら私の疲労をシェアできるのは節子だけなのです。

とまあ、そんな愚痴をこぼしても事態は改善されません。
今日はお風呂に入って寝ることにしましょう。
もしかしたら夢に節子が出てきて、明朝には発想が開けるかもしれません。
節子さん
頼みますよ。
何しろ締め切りはもう過ぎているのですから。
困った時の節子頼みに、かけるしかありません。

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2010/05/04

■節子への挽歌975:牡丹の花はなぜ折れたのか

節子
今年も牡丹の花は2つしか咲きませんでした。
これについては昨年書きましたが、節子が元気だった時には4つの花が咲き、節子がいなくなった年の春には3つになり、昨年は2つになってしまったのです。
家族の数と合っているという話を娘たちとしていましたが、今年の花も2つでした。

ところがです。
その牡丹の花をひとつ折ってしまいました。

今日、突然にdaxがやってきたのです。
昨日、時評編に書いた、あのdaxです。
昨日の電話では少し心配しましたが、いつものように元気です。
それにしても突然です。
天気が良かったので、庭のテーブルで話すことにしたのですが、その準備をしていて、うっかり花が咲いている牡丹の枝を折ってしまったのです。
さてさてこれはなんの予兆でしょうか。
吉兆でしょうか、凶兆でしょうか。
来年はこの家には一人しかいないということでしょうか。

ちなみに、節子はdaxを知りません。
彼と知り合ったのは、節子がいなくなってからですから。
しかし節子に引き合わせたかったです。
節子だったらどう対応するかなと思うと想像がふくらみます。
私よりも話が合ったかもしれません。
daxの話は、実に節子好みのものが多いのです。
共通しているのは、小賢しくない人間的な「正義感」です。

折れた牡丹の花は節子に供えました。
節子が気にいって買ってきた牡丹ですので、たとえ折れても大事にしなければいけません。
もしかしたら、あれはシャイなdaxが自分では花を供えられないので、その思いが起こした必然的な偶然だったのかもしれません。
まあそう思うことにしましょう。
daxと私の会話も、節子は聞いていたかもしれませんね。

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■抑止力と友愛

今日はかなりがっかりしています。
鳩山首相の沖縄での発言に対してです。
なにやら平凡な進展になってきてしまいました。
それに「抑止力」と「友愛」は、どう考えてもつながりません。
友愛を信ずる人は、抑止力などといわないのではないかと思います。

というわけで、ずっと信頼してきている鳩山さんへの信頼が揺らぎそうです。
まだ期待は捨てませんが、大きな歴史的転換は起こらないようです。

オバマ大統領と同じく、鳩山さんも傀儡だったのでしょうか。
いささか落ち込んでいます。

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2010/05/03

■生き方を変える季節

柏で友人たちと食事をしていたら、元山口組の daxから電話がありました。
湯島にいたら会いに行きたいという電話です。
季節の変わり目でちょっと精神的に元気が出ないというのです。
daxはジョークが大好きなので、時々私もだまされますが、そういえば声に張りがありません。
おいおいdaxまでもかよ、と言ってしまいましたが、まあ人間、気分が沈むこともある、というのです。
daxらしくないなとちょっと気がかりですが、まあ強い人ほど弱いのです。
daxも自分でそう言っていましたが、私のように弱い人間は意外と強いのです。
まあそれはともかく、季節の変わり目にはいろいろあります。
ともかくこの数週間、さまざまな相談がやってくるのです。

うれしい話もあります。
ちょっと元気が出てきたというメールは、福岡から届きました。
Nさんからです。とてもうれしいメールです。
最近ちょっとダウンしていたようなので、気になっていました。
こう書いてありました。

今まであまり自分の歳を意識したことはありませんでしたが、
やはり無理は効かない年齢に入ってきているのだなと思いました。

たしかに私もそう思います。
Nさんは最先端を行くビジネスマンから一転、福祉の世界に入った人です。
そして見事な生き方をしている人です。

ビジネスマンから生き方を変えたといえば、今日、食事をしていたNKさんもそうです。
歳とともに、生き方も変わるものです。
そしてますます元気です。

私の周りには、生き方を変えたり、変えつつある人が少なくありません。
その人たちと付き合っていると、時代の変化を実感できます。
しかし、そうして生き方を変えられる人は決して多くはないのでしょう。
変えたくても変えられない人がほとんどです。
見事なほどかえられない人もたくさんまわりにいます。

でも、季節の変わり目には生き方も変えやすいのかもしれません。
みなさん、生き方を少し変えてみませんか。
世界が変わってきます。

さて私もそろそろまた生き方を変えようかと思い出しています。
その前に、まずは気になるdaxと会ってみようかと思っています。
元気がないといっても、私に比べればずっと元気なはずですが。
それに私の次の生き方のヒントがもらえるかもしれませんし。

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■節子への挽歌974:結界

家の中で飼っていた黒めだかを庭の池に放しました。
昨年はなぜか池のひめだかが全滅してしまいました。
それでしばらく池に放すのを止めていましたが、もう大丈夫でしょう。
黒めだかの3匹を水がめに入れて、玄関の扉の外にも置きました。
これは節子の趣味です。
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わが家には塀がありません。
玄関は道路に直接つながっています。
その結界を守るのが3匹の黒めだかなのです。
金魚だと周辺を散策している猫の餌食になることもありますが、めだかは小さいので大丈夫なのです。

結界を封じずに、何かを置く。
これもわが家の文化でした。
しかし残念ながら、今の家に転居して、そういう仕組みをいろいろとつくる前に節子は逝ってしまいました。

彼岸と此岸の結界。
節子より私が先に彼岸に行くと思っていたので、この家には節子と一緒に、その通路を仕組んでおきたかったのですが、それも間に合いませんでした。
でももしかしたら節子が思いを入れて造作していた庭のどこかに、その通路があるかもしれません。
小さな庭なので探すほどのこともないのですが、現世の私には見つけられそうもありません。
ふたりが元気だった時に、もっとしっかりと示し合わせておけばよかったと後悔しています。
彼岸と此岸は、必ずどこかでつながっているはずです。
節子はそれに気づいているでしょうか。
気づいているといいのですが。

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2010/05/02

■人は何を守るかによってどんな人か決まる(時評編)

今日の挽歌は、「人は何を守るかによってどんな人か決まる」をタイトルに書きました。
書いていて、時評編でも書きたくなりました。
最近の世評は、守るべきものを持たない人が多すぎるからです。
言いかえれば、「守りたいもの」が多すぎるのかもしれません。
世相を見る基準としてこの言葉を使えば、新しいものも見えてくるでしょう。

「守るものがあるか」
これは「両刃の剣」のような言葉です。
守るべきものがあるがゆえに、信念を守れなかった人は少なくないでしょう。
韓国の法頂師は、だからこそ「無所有」を貫きました。
守るためには捨てなければいけないこともあります。
いえ、守るとは捨てることかもしれません。
「守るとは守らないこと」などという禅問答のような議論もできます。

それはともかく、世の中の識者や公人といわれる人について、その人が「何を守っているか」を考えると、その人がどんな人かわかります。
同時に、その人の持っている辞書の中身も見えてきます。
「国(社会)のため」といいながら、国民(住民)を食い物にしている人は少なくありません。
平和のためと言って人を殺す人もいます。
言葉で考えるのは意味のないことです。
言葉は人を操作する最強の武器ですが、同時に人の本性をさらす最良の信号です。

日本の経済がおかしくなったのは、「守るもの」を失ったことと無縁ではありません。
守るものが「お金」になったというのは当たりません。
お金を守るなどというのは、実体のない言葉です。
守銭奴は「守るもの」のない哀しい人にすぎません。
守るものを失った経済が破綻するのは当然です。

最近の政治もまた、守るものを失っています。
批判や手段論しか語れる政治屋しか残っていません。
数少ない例外の一人は「友愛」という「守るもの」をしっかりと持っている鳩山首相です。
長妻さんも、「守るもの」を持っています。
小沢さんも持っています。
だから消されようとしているわけですが。

しかし、自分のことを考えると、志も定見もない昨今の政治家や経済人とそう変わりのないことに気づきます。
私が「守っているもの」は何なのか。
真剣に考えなければいけません。
そうしないと、私が批判している人と同じ存在になってしまいます。
そうはなりたくありません。

守るもののために死ねた時代が、ある意味ではうらやましいです。
自爆するイスラムの若者を非難する人は多いですが、私には非難は出来ませんし、ある意味での羨望の念さえ感じます。
もちろん「死の栄光」を肯定するつもりは全くありませんが。

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■節子への挽歌973:人は何を守るかによってどんな人か決まる

節子
昨夜、寝る前に習慣になっている寝室のテレビのスイッチを入れたら、映画「ダ・ヴィンチ・コード」をやっていました。
ちょうど謎解きの最終場面で、ラングレーとソフィーがロスリン礼拝堂の地下室で話しあっているところでした。
ラングレーの言葉が耳に入ってきました。
「人は何を守るかによってどんな人か決まる」

心に響きました。
これは私へのメッセージに違いないと思いました。
書棚にあった原作の「ダ・ヴィンチ・コード」で、その言葉を探しましたが見つかりません。
それで今朝、ネットで調べたら、いろいろな人が「名言」として取り上げていました。
どうやら映画の中でしか使われていない言葉のようです。
たしかに終わり方は、映画と小説は違っています。
この映画は前に観ていますが、この言葉の記憶はありませんでした。
その時には私の心には響かなかったのでしょう。
でも今は、ふるえるほどに深く響きます。

私には「節子を守れなかった」という思いが深くあります。
決して守れなかったことではありません。
私にもう少し「守ろう」という意志があれば、節子は今も私の前で微笑んでいたでしょう。
私が守っていたのは、節子ではなく、私だったのかもしれません。
そして、節子は、自分よりも私を守っていたのかもしれません。
そう思うと、右脳は穏やかではありませんが、左脳は鎮まります。

私はいつもだれかに守られてきました。
子どもの頃から、そうした感じを持っていました。
誰かが守ってくれる、たぶん昔はみんなが持っていた感覚かもしれません。
その「誰か」は、特定の個人ではありません。
特定の個人の場合もありますが、その奥にいる「誰か」です。
私の感じでは「お天道様」がいちばんぴったりしますが。
あるいは「みんな」と言う言葉が合っているかもしれません。

私は「守られること」に甘んじすぎていたのかもしれません。
節子を守ろうなどと思いながらも、結局は節子に守られていた。
今もそうですが、そんな気がしてなりません。
私は「守る」よりも「守られる」存在として、この世に生を受けたような気がします。

私には守ろうとする「何か」がなかったのではないか。
そんな恥ずかしさを、最近、感じています。
自分に関しては守るものはないというのが、私の生き方ですが、実は私がみんなに、つまりお天道様に守られすぎていたおかげの、言葉遊びでしかないのかもしれません。

ちなみに、この挽歌の読者から、私は「自虐的」だといわれました。
今回の記事もそう感ずる人がいるかもしれません。
決してそうではないのです。
大きな生命に通ずれば、自虐などと言う概念は一切生じません。
いささか蛇足ながら。

「人は何を守るかによってどんな人か決まる」
時評編で、もう少し続けたいと思います。

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2010/05/01

■節子への挽歌972:ホモ・フューネラル

節子
佐久間さんの「葬式は必要!」という本に、こんな文章が出てきました。

葬儀とは、愛する者を失い、不安に揺れ動く遺族の心に「かたち」を与えて、動揺を押さえ、悲しみを癒すこと。
昨日、オープンサロンで葬儀の話が出ました。
最近は葬儀をしない人が増えたとある人が話したからです。
しかしよく訊いてみると葬儀のスタイルが多様化した、あるいはそれぞれの納得できるスタイルになってきたということのようです。
私の体験から言っても、葬儀があればこそ、おそらく今の私がいます。
いろいろと悔いることはありますが、あの葬儀があればこそ、私の心が鎮まったことは間違いありません。

佐久間さんは、人間とはホモ・フューネラル、即ち「葬式をするヒト」と書いています。
とても納得できます。
佐久間さんのホームページには、ホモ・フューネラルに関する、こんな文章があります。

私は、人間の本質とは「ホモ・フューネラル」(弔う人間)だと確信します。
すでに10万年以上も前に旧人に属するネアンデルタール人たちは、近親者の遺体を特定の場所に葬り、時にはそこに花を捧げていたといいます。
死者を特定の場所に葬る行為は、その死を何らかの意味で記念することに他なりません。
しかもそれは本質的に「個人の死」に関わります。つまり死はこの時点で、「死そのものの意味」と「個人」という人類にとって最重要な二つの価値を生み出したのです。
ヒトと人間は違います。ヒトは生物学上の種にすぎませんが、人間は社会的存在です。ある意味で、ヒトはその生涯を終え、自らの葬儀を多くの他人に弔ってもらうことによって初めて人間となることができるのかもしれません。葬儀とは、人間の存在理由に関わる重大な行為なのです。(一条真也オフィシャルサイト
多くの他人に弔ってもらうことによって初めて人間となることができる。
節子の旅立ちは賑やかでした。
この本の著者の佐久間さんからも生花を供えてもらいました。
節子の友人たちもたくさん来てくれました。
2年半経って、最近ようやくあの日のことが素直に思い出されて、弔う人たちの顔を思い出します。

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■鹿児島県の阿久根市市長の共感しました

昨日、毎月のオープンサロンを開催しましたが、そこで政治の話題が出ました。
鳩山首相と普天間問題に関してです。
13人の参加者のうち、明らかに鳩山首相支援は5人いました。
きちんと聞いたらもっといたかもしれません。

鳩山・小沢追い落とし説を信じている人もいました。
もちろん私もその一人です。
しかし「友愛」を強く評価する人はいませんでした。
友愛を基本にしていない人間は私の世界の人ではありませんが、まあそういう人とも付き合わなければいけません。
なにしろ世の中のほとんど全ての人がそうなのですから。
困ったものです。

普天間問題は以前も書きましたが、解決はいとも簡単な話です。
それを難しい難しいと言っている人が多すぎます。
問題は簡単に考えなければいけません。
難しくするのは、それによって利益を受ける人です。
あるいは物事を真剣に考えていない学者や有識者です。
彼らは物事が複雑でなければ自らの寄って立つ基盤をつくれません。
暇な人ほど忙しいと言い、バカな人ほど難しいと言うのです。
もっとも、難しさが理解できない私のようなバカもいますが。

しかし、世の中の仕組みは本来極めてシンプルなのです。
人はみんな「支え合う本性」があるという視点に立てば、戦争も起きませんし、犯罪も起きないのです。
にもかかわらず犯罪が起きるのは、犯罪という難しい概念がつくられたからです。
そこで利益を受けているのは、加害者ではありません。
加害者もまた被害者であることが少なくありません。

鹿児島県の阿久根市の市長が独裁者と言われているそうです。
私もあまりいい印象を持っていませんでしたが、今日、テレビ取材の報道を見ました。
極めてリーズナブル、常識的な人です。
中途半端なマスコミ情報で決め付けてはいけないと常々思っているのですが、阿久根市長に関しては私もマスコミの影響で彼に反発を感じていました。
反省しなければいけません。
今日、テレビで見た阿久根市の竹原市長の発言には共感しました。
普通の人です。そう感じました。

彼は市議会議員も市議会をかなり口汚く否定しています。
しかし、私も同感です。
いまの自治体議会のあり方は、どう考えてもおかしいし、無駄なものです。
私の知人にも何人か地方議員はいますが、私はまったくその存在価値がわかりません。
収入も多すぎますし、まともな仕事をしている議員に会えたことがありません。
このブログを読まれると関係が悪くなりそうですが、私の本心ですから仕方ありません。
このブログも後で削除したくなるでしょうね。
しかしまあ今日はアップしたい気分です。
あまりに愚劣な自治体議員が多すぎると嘆いているのです。
まあ本当は国会議員のほうがおかしいのかもしれませんが。

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