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2010/05/29

■節子への挽歌1000:パッセンジャーズ

節子
この挽歌もとうとう1000回目になりました。
と言うことは、節子が彼岸に旅立ってから、今日で1000日目ということです。
偶然ですが、今日は私の68歳最後の日でもあります。

ところで、これは「偶然」なのかどうかわからないのですが、「パッセンジャーズ」という映画を観ました。
テレビで放映されたものを録画していたのですが、今日、気分転換に観てしまいました。
内容を知らずに、です。
映画の紹介記事に心理サスペンスとあったので興味を持っていたのですが、私の映画の好みを知っている娘のユカが、あんまり勧めないのでちょっと気になっていたのです。
観おわって、ユカが私に勧めなかった理由がわかりました。
元気な時に観ないと「おちて」しまいそうです。
ユカに話したら、前に観るといった時には時期が悪いなと思ったそうです。

恐ろしいほど悲しい映画です。
昔、「シックスセンス」を観た時よりもショックでした。
あの時はまだ節子がいましたし。

涙がこらえられませんでした。
1000回目の挽歌は明るく書こうと思っていたのですが、まったく逆になりました。
よりによってなぜ今日、観る気になったのか。
これは「偶然」ではないような気がします。

映画のネタばらしはルール違反ですが、映画紹介のブログではないので許してもらいます。
この映画は、彼岸と此岸をつなぐ話です。
安心して彼岸に向かえるように、まさに49日、チベット密教でいえばバルドゥの間の物語なのです。

人のつながりさえあれば、ほかに何もなくても人は幸せになれます。
私が彼岸に旅立ったとしても、彼岸には節子をはじめ、たくさんの友人知人がいます。
もしかしたら此岸よりも多いかもしれません。
だとしたら、彼岸と此岸の違いはあっても、私は相変わらず「幸せ」です。
それで、この頃時々思うのですが、友だちや家族を彼岸に送ることは、自らが旅立つ準備なのかもしれません。

節子は十分に準備ができていたでしょうか。
さびしがっていないでしょうか。
なぜ一緒に行ってやれなかったのか、不憫に思えてなりません。
でもまあ、彼岸には時間軸がないですから結局は私も一緒にいるのでしょう。
そう思うとこの映画の悲しさも少し緩和されます。
書いていて少し落ち着きました。

しかしなぜ、今日、この映画を観る気になったのでしょうか。
「パッセンジャーズ」の映画と同じように、私もあの時に節子と一緒に旅立ったのかもしれません。
節子が、それを気づかせてくれたのかもしれません。
挽歌は1000回になりましたが、彼岸に旅立つまで書き続けることにしました。
節子はそれを望んでいるでしょう。
一緒に書き続けることを。

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