■節子への挽歌990:久しぶりだね、節子
久しぶりに節子の笑顔に出会いました。
人の発想や行動の展開は論理的ではありません。
相撲をみようとテレビをつけました。
そうしたら映画「奇術師フーディーニ」の最後の場面が出てきました。
すごく印象的な場面で、ついつい見てしまいました。
数分で映画は終わりましたので、最後の3分ほどを見ただけです。
筋も何もわかりませんが、主人公フーディーニが事故で死ぬ最後のニュースを映画館で付き合いのあった母娘が見ている画面でした。
それを見ていたら、急に節子の映像を見たくなりました。
いつか編集しようと思ってDVDハードに記録させたままになっている映像の一つを思い出しました。
それは私たちの最後の海外旅行の記録を一緒に行った人に送ったときの映像でした。
ビデオを持参した私たちに、同行した人がコピーを送って欲しいと頼んできたのです。
しかし、イランから帰ってきてからいろいろとありました。
それを書き出したら、大変なほど実にいろいろとです。
でもその合間に少しだけ編集して、3人の人たちに送らせてもらいました。
その時に私たち夫婦からのビデオレターを作成したのですが、そのメイキング映像があるのです。
久しぶりに見る節子は、疲れた顔をしながらもいつものように笑っていました。
何回か撮りなおしていますが、節子らしさが感じられます。
ビデオを届けたのは、みんな私たちよりもかなりお歳上の女性たちです。
そして3人とも伴侶に先立たれた人たちでした。
まさかその人たちよりも節子が先に逝ってしまうとは思いもよりませんでした。
その人たちも思ってもいなかったことでしょう。
「奇術師フーディーニ」の映画の一つのシーンから、なぜ節子の映像を見たくなったのか、つながりはよくわかりません。
それよりもなぜテレビをつけたら、その映画のチャネルだったのでしょうか。
最初のシーンは子どもが涙を出しているシーンでした。
それを見て映画のタイトルも知らないまま、霊を感じたのです。
人の発想や行動の展開は論理的ではありません。
きっと節子が私に会いたかったのでしょう。
その映画が終わった後、字幕が流れました。
そこにこう書かれていました。
フーディーニは死の直前、「死後の世界があるのなら、必ず連絡をする」と伝えた。
連絡があったのかどうかわかりませんが、ネットで調べたらどうもなかったようです。
でも節子は連絡してきました。
死後の世界は間違いなくあるのです。
その連絡に気づくかどうか。
それはどれだけ愛し合えたかにかかっているような気がします。
笑われそうですが、私には確信できます。
私は、節子をとても愛していますので。
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