■節子への挽歌975:牡丹の花はなぜ折れたのか
節子
今年も牡丹の花は2つしか咲きませんでした。
これについては昨年書きましたが、節子が元気だった時には4つの花が咲き、節子がいなくなった年の春には3つになり、昨年は2つになってしまったのです。
家族の数と合っているという話を娘たちとしていましたが、今年の花も2つでした。
ところがです。
その牡丹の花をひとつ折ってしまいました。
今日、突然にdaxがやってきたのです。
昨日、時評編に書いた、あのdaxです。
昨日の電話では少し心配しましたが、いつものように元気です。
それにしても突然です。
天気が良かったので、庭のテーブルで話すことにしたのですが、その準備をしていて、うっかり花が咲いている牡丹の枝を折ってしまったのです。
さてさてこれはなんの予兆でしょうか。
吉兆でしょうか、凶兆でしょうか。
来年はこの家には一人しかいないということでしょうか。
ちなみに、節子はdaxを知りません。
彼と知り合ったのは、節子がいなくなってからですから。
しかし節子に引き合わせたかったです。
節子だったらどう対応するかなと思うと想像がふくらみます。
私よりも話が合ったかもしれません。
daxの話は、実に節子好みのものが多いのです。
共通しているのは、小賢しくない人間的な「正義感」です。
折れた牡丹の花は節子に供えました。
節子が気にいって買ってきた牡丹ですので、たとえ折れても大事にしなければいけません。
もしかしたら、あれはシャイなdaxが自分では花を供えられないので、その思いが起こした必然的な偶然だったのかもしれません。
まあそう思うことにしましょう。
daxと私の会話も、節子は聞いていたかもしれませんね。
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