■節子への挽歌978:辛い時期
昨日、民医連の渡邉さんが湯島に来てくれました。
私がある資料を探していることを聞きつけて、わざわざ湯島まで届けてくれたのです。
最初、渡邉さんから電話をもらった時には思い出せなかったのですが、3年前にも湯島に来てくれたことがあります。
2007年の7月でした。
節子の状況が急変しだした頃です。
実はその頃の記憶があまりありません。
頭からその半年のことが抜けてしまっています。
渡邉さんのことも最初は思い出せませんでした。
当時はまだ湯島にも出ていたようですが、今から思うとなぜ自宅で節子と一緒にいなかったのかと不思議です。
しかしおそらく当時の私は、節子の回復を確信していたのです。
人は、あってほしくないことは見ないように、考えないようにします。
当時の私も、多分そうだったのでしょう。
事実を冷静に受け容れることなど、できるはずもありません。
おそらく当時の私は、現実の世界とそれを希望的に読み直した世界との狭間で、逃避していたのかもしれません。
誠実に生きていた節子に比べると、なんと卑劣なことか。
自分ながら嫌になります。
渡邉さんにお会いしたら、すぐに3年前のことが思い出されました。
私にはちょっと辛い時期でしたと渡邉さんにお話したら、そのようでしたという答が返ってきました。
渡邉さんはとてもあったかな雰囲気の方で、3年前を思い出しながらも、少し心が温まる思いがしました。
3年前が辛い時期だったのであれば、いまはどうか。
当時はいかに辛かろうと帰宅したら節子がいました。
しかし、昨日は帰宅しても節子はいませんでした。
そんなことを考えながら歩いていて、昨日書いた木霊に出会ったのです。
いうまでもありませんが、今の辛さに比べたら、3年前の辛さなどたいしたことではありません。
今のほうが辛いに決まっています。
何しろ節子がいないのですから。
しかし一般にはおそらく当時のほうが辛かったとみんな思うでしょう。
私自身も無意識の中でそう思っていました。
だから昨日、渡邉さんに「ちょっと辛い時期でした」と話したのです。
でも考えてみると、辛いのは今のほうです。
残された者の人生は、辛いものです。
ここから抜け出ることなどできようはずもない、そのことにやっと気づきました。
逃避的に生きてきた当然の報いです。
今日はなぜか朝から風が強いです。
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