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2010/05/13

■昨年の自殺者もまた3万人を超えてしまいました

警視庁の発表によれば、昨年の自殺者は前年を596人上回り、1978年に統計を取り始めてから5番目に多く、12年連続で3万人超となったそうです。
自殺問題に対する世間の意識はかなり変わってきましたし、制度的な取り組みも広がっていますが、自殺者の数はなかなか減りません。

この1週間、若い友人の死に遭って、時評を書く気力がなかったのですが、この新聞記事を読んで久しぶりに書く気が起きました。
この問題はいつか書きたいと思っていたのです。

私も昨年、「自殺のない社会づくりネットワーク」の立ち上げに関わりました。
私のオフィスをその事務局に提供しています。
そしてその活動にもささやかに関わらせてもらっています。
しかし正直に言えば、こうした活動に対する違和感が拭えないのです。

それはなにも「自殺問題」に限った話ではありません。
この20年、各地のまちづくりやNPO活動などに関わらせてもらっていて、どうも気になるのが、その根底にある思想と活動の枠組みです。
そこではじめたのが、「大きな福祉」を理念とするコムケア活動です。
そこで心がけているのは、現象として現れる個別問題への取り組みではなく、その根底にある私たち一人ひとりの生き方の問い直しです。
それは同時に失われてきた「コモンズの回復」でもあります。
私のホームページのどこかにそれに関する論文も掲載しているはずですが、コモンズが痩せ細った社会を変えていかなければいけないというのが、私の生き方です。
そこを変えていかないといくら個別問題への対策を立てても実態は変わらない。
ただ問題が見えなくなるか、変質してしまうだけではないかと思うわけです。

こんなことを言うと実際に個別問題に取り組んでいる人たちに怒られるでしょうし、批判されてしまうでしょう。
実際にこれまでもそういう体験をしています。
だから「自殺のない社会づくりネットワーク」から離れてから、この問題はブログで書きたかったのですが、なかなか離れられません。
そこで仲間からひんしゅくを買うことも覚悟で書くことにしました。
ここで書くことは、ネットワークとはまったく無縁の私の私見です。

問題を解決すれば問題は進化し、さらに事態は悪くなる。
これが「近代のジレンマ」だと私は捉えています。
社会原理を変えないとそのジレンマは克服できません。
その原理を反転させる鍵は何なのか、それが私の関心事です。
それに関して私が何を考えているかは、このブログで書いてきています。
それは、時評だけではなく、挽歌編とセットにしているつもりです。
時評と挽歌は、私にとってはコインの裏表です。
時評がラディカルに感ずるのは、生命に立脚しているからです。

さて「自殺」の問題です。
問題は2つあります。
一つは「自殺(企図)」によって発生する関係者の生活を支援することです。
これは間違いなく価値のある活動です。
しかしそれが整備されれば自殺がなくなるわけではないでしょう。
そこには危険な落し穴さえあるように思います。
誤解されそうですが、解決すべき問題が違うのです。
近代が誤ってきたことの本質がそこにもあります。

もう一つは、「自殺」現象をなくするという問題です。
これは自殺そのものの問題ではなく、社会のあり方、言い換えれば人と人のつながり、人と自然とのつながりの問題というべきです。

言い方を変えると、問題をどう設定するかが重要なのです。
問題の立て方を間違うと、取り組み方が違ってしまうことにもなりかねません。

中途半端な書き方なので、少しこの問題は書き続けたいと思います。

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