« ■節子への挽歌971:話し手の思い | トップページ | ■節子への挽歌972:ホモ・フューネラル »

2010/05/01

■鹿児島県の阿久根市市長の共感しました

昨日、毎月のオープンサロンを開催しましたが、そこで政治の話題が出ました。
鳩山首相と普天間問題に関してです。
13人の参加者のうち、明らかに鳩山首相支援は5人いました。
きちんと聞いたらもっといたかもしれません。

鳩山・小沢追い落とし説を信じている人もいました。
もちろん私もその一人です。
しかし「友愛」を強く評価する人はいませんでした。
友愛を基本にしていない人間は私の世界の人ではありませんが、まあそういう人とも付き合わなければいけません。
なにしろ世の中のほとんど全ての人がそうなのですから。
困ったものです。

普天間問題は以前も書きましたが、解決はいとも簡単な話です。
それを難しい難しいと言っている人が多すぎます。
問題は簡単に考えなければいけません。
難しくするのは、それによって利益を受ける人です。
あるいは物事を真剣に考えていない学者や有識者です。
彼らは物事が複雑でなければ自らの寄って立つ基盤をつくれません。
暇な人ほど忙しいと言い、バカな人ほど難しいと言うのです。
もっとも、難しさが理解できない私のようなバカもいますが。

しかし、世の中の仕組みは本来極めてシンプルなのです。
人はみんな「支え合う本性」があるという視点に立てば、戦争も起きませんし、犯罪も起きないのです。
にもかかわらず犯罪が起きるのは、犯罪という難しい概念がつくられたからです。
そこで利益を受けているのは、加害者ではありません。
加害者もまた被害者であることが少なくありません。

鹿児島県の阿久根市の市長が独裁者と言われているそうです。
私もあまりいい印象を持っていませんでしたが、今日、テレビ取材の報道を見ました。
極めてリーズナブル、常識的な人です。
中途半端なマスコミ情報で決め付けてはいけないと常々思っているのですが、阿久根市長に関しては私もマスコミの影響で彼に反発を感じていました。
反省しなければいけません。
今日、テレビで見た阿久根市の竹原市長の発言には共感しました。
普通の人です。そう感じました。

彼は市議会議員も市議会をかなり口汚く否定しています。
しかし、私も同感です。
いまの自治体議会のあり方は、どう考えてもおかしいし、無駄なものです。
私の知人にも何人か地方議員はいますが、私はまったくその存在価値がわかりません。
収入も多すぎますし、まともな仕事をしている議員に会えたことがありません。
このブログを読まれると関係が悪くなりそうですが、私の本心ですから仕方ありません。
このブログも後で削除したくなるでしょうね。
しかしまあ今日はアップしたい気分です。
あまりに愚劣な自治体議員が多すぎると嘆いているのです。
まあ本当は国会議員のほうがおかしいのかもしれませんが。

|

« ■節子への挽歌971:話し手の思い | トップページ | ■節子への挽歌972:ホモ・フューネラル »

政治時評」カテゴリの記事

コメント

最近思ったのは上からしか変わらない部分があるということです。それと個々人の動きはギャップがまだあって、自分の生きてる場所の問い直しということで地域史を見たりしてるんですが、すると神社仏閣と共同体の関わりがでてきて、そういう意味で宗教と政治というのは別に問題あるテーマにも思えないのですが。生命にしても概念が大雑把なのは変わらないと思います。無駄な集まりで何故無駄な議論という評価が出るのでしょうか。

投稿: s崎 | 2010/05/03 02:40

s崎さん
ありがとうございます。

後半の部分(「無駄な議論」のところ)はCWSコモンズの記事への異論ですね。
http://homepage2.nifty.com/CWS/action10.htm#0430
実はそれに関しては、もう一人の参加者からも厳しい批判を受けました。
口は禍の素です。

ただ「無駄な議論」と入っておらず、「宗教」とか「政治」とかというあいまいなテーマでは議論はできないと言いたかっただけなのですが。
それと「形だけの議論」は私にはまったく「退屈」なのです。
宗教と政治の関係とか、科学と宗教の関係とかといってくれれば、議論はできるでしょうが、サロンでの今回の問題提起はそうなっていなかったので、もう少しテーマ化してほしいとおもったのです。
「生命について議論しよう」というのもまったく同じです。

だから後半で、「問題の立て方が大切」と言う話を、それとなくお話したのですが。
議論したいのであれば、問題をきちんと立てないといけません。
議論ではなくお茶飲み話であれば、それへの批判も受け容れなければいけません。
サロンの場では、私は後者を好みますので、前者の中途半端な議論は退屈なのです。

地域史、そこでの宗教施設、そして共同体概念は私の関心事でもあります。

投稿: 佐藤修 | 2010/05/03 06:50

阿久根市の市長について、報道を見て判断されるのはどうかと思います。(NHKという報道機関の評価は分かれますが)NHKですらインタビューを断られており、自らの認める報道機関しか、取材できないのです。よって、その中で語られる内容がどうであれ、一定の情報操作の結果であると私は考えます。
議員や公務員の無駄については、私も同じ意見となることもありますが、彼は社会にとって生産性のない、あるいは弱い人間に対して福祉にお金をつぎ込むことは無駄と思っており、その考えはナチズムが「障害者」を殺戮した思想となんら代わるものではありません。そしてその考えを培ったのが、自衛隊時代ではないかと思い、個人は国家に奉仕するものであるとする意識が根源にあるのではないかと思わずにはいられません。

投稿: kkim | 2010/06/09 15:12

kkimさん
ありがとうございます。

また最近テレビで報道されていますが、その報道をみるととても共感はできません。
映像報道は、これほど正反対の印象を与えることができるということなのでしょう。

>報道を見て判断されるのはどうかと思います

確かにそうですね。
気をつけなければいけません。
やはり「現実」に触れていないと、評価がぶれますね。
注意しなければいけません。

しかしなぜ住民たちは放置しているのでしょうか。
それが謎です。

私も少し友人知人に現実に触れている人がいないか調べてみます。
もし地元の人の情報があれば教えてください。

ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2010/06/09 17:24

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/48231840

この記事へのトラックバック一覧です: ■鹿児島県の阿久根市市長の共感しました:

« ■節子への挽歌971:話し手の思い | トップページ | ■節子への挽歌972:ホモ・フューネラル »