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2010/05/30

■節子への挽歌1001:妻がなくても夫は老いる

節子
私もとうとう69歳です。
せっかく69歳になったのに、65歳の節子がとなりにいないのが不思議です。
よく「親がなくても子は育つ」といいますが、「妻がなくても夫は老いる」ものなのです。
とはいうものの、もしかしたら本当は老いていないのかもしれません。

先日、ジュンからお母さんはいまいくつかなと訊かれました。
即座に「62歳だよ」と応えました。
節子の老いは、あの時に終わったと私は思っているからです。
63歳の節子も65歳の節子も、存在はしないのです。
節子は、63歳の誕生日を迎えたかったのに、実現できなかったのです。
だとしたらそんな節子がいるはずがありません。

私もまた、あの時に人生を終わってしまったのですから、その後の人生は止まっているかもしれません。
たしかに「時間感覚」や「時間の流れ」は変わりました。
ですから私もまた、67歳のままなのかもしれませんし、できればそう思いたいです。
節子との年齢関係は変えたくはないからです。

しかし、その一方で、身体的な老いは容赦なく進みます。
いろいろなところに問題が感じられます。
それに気づき、いたわってくれる伴侶もいないので、私自身も放置しがちです。
それに、朽ちるべき時に朽ちることこそ、自然な生き方です。
抗う理由はみつかりません。
しかし老いが加速し生きることに不都合が生じたら、ケアしてくれる伴侶もいません。
伴侶以外の人には迷惑を与えたくないという思いもあります。
これもまた「解けない問題」ですが、もう1年は先延ばししましょう。
60代最後の今年は、とりあえずこれまでの延長で、生きるでもなく死ぬでもなく、老いに抗うでもなく従うでもなく、素直に行きたいと思います。

老いは、節子に近づくことなのか、節子から遠のくことなのか、それもまた興味ある問題ではありますが、しばらくは棚上げしておこうと思います。

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