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2010/05/26

■節子への挽歌997:「解けない問題」

佐藤さん
もう気持ちは整理できましたか。
久しぶりにやってきたNさんがそう訊きました。
みんな気にしてくれているのです。
感謝しなければいけないのですが、整理などできるはずがないのです。
それに、どう整理したらいいのでしょうか。
世の中には「解けない問題」というのはほとんどないというのが私の考えですが、こればかりは解けない問いです。
いや「問い」以前のものでしょう。
少なくとも私には「解く」つもりは皆無ですし、なによりも整理するということの意味がわかりません。
しかしたぶん友人としては、そういう問いかけしかないのでしょう。

節子がいなくなってから付き合いがなくなった友人もいます。
なぜでしょうか。
私との付き合い方がわからなくなったのかもしれません。
その気持ちはとてもよくわかります。
事実私もそういうことがないわけではないからです。
それに何回かこの挽歌でも書きましたが、節子がいなくなってからの私はそれまでの私とは「似て非なるもの」かもしれません。
ですから、友人でなくなったとしても決しておかしな話ではありません。

前の佐藤さんと同じでホッとした、という言葉にも何回も出会いました。
同じであるはずがないのですが、同じだと思いたい気持ちもよくわかります。
まあこんなことを書いていると会いに来てくれる人がいなくなってしまいかねませんので、やめましょう。

ところで、世の中には解けない問題はほとんどないはずだと書きました。
そう言い切ったのは、どんな問題であれ、これが「正解」だと決めれば解けるからです。
つまり「問題」を設定すれば、同時に「回答」も見えてくるのです。
「解けない問題」とは「問題」として設定できないことなのです。

愛する人を亡くして、どんな「問題」が立てられるというのでしょうか。
彼が帰った後、いろいろと考えてみましたが、その言葉の意味がやはりわからないことに行き着きました。
「気持ちを整理する」ってどういうことなのでしょうか。
考えれば考えるほど頭が混乱し、ますます整理と反対の方に向かってしまいそうです。

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