■節子への挽歌994:一人で生きるのは疲れますね
節子
昨日は挽歌を書けませんでした。
朝も夕方も、そして夜も、書かなくてはと思ったのですが、どうもパソコンに向かえませんでした。
昨日は日曜だったのですが、朝から湯島に出かけていました。
午前中は先週会った若者が会いにきましたし、午後は私が主催する会がありました。
その前後にもいくつか用事がありましたが、時間がなかったわけでも、書きたくなかったわけでもありません。
なぜかめずらしくパソコンに向かいたくなかっただけなのです。
最近、どうも生活が整理できずにいます。
以前から私はさまざまな事柄に関わる習性があるので、生活が混沌としがちでした。
よく頭の切り替えができるわね、と節子は感心していましたが、その混沌さが私の活力の源泉でした。
それに、多様に見える、それらの事柄のなかに通ずるものを見つけられるのが私の取り得でもありました。
しかも迷った時には「逃げ込める母港」がありました。
それが「節子の世界」でした。
判断に迷った時には、節子と雑談的に話すと必ず先が見えてきました。
一人で考えていると袋小路に入りがちですが、節子と話していると必ず出先が見えたり、共通点や自分のやっていることに確信が持てたりしたのです。
節子がなにか気のきいたアドバイスをしてくれたわけではありません。
ただ素直に、しかし極めて人間的に、反応してくれたのです。
私の言動をシェアしてくれていたといっていいのかもしれません。
その意味、あるいは価値が、最近よくわかってきました。
私の世界が、これほど広げられたのは、あるいはさまざまな事柄に共振できたのは、私ではなく「私たち」になっていたからかもしれません。
その片割れがいなくなったいま、すべてを自分一人で背負わなければならないことに、最近いささかの疲れが出てきているのかもしれません。
どうもすっきりしないのです。
そのせいか、多様な事柄のつながりが見えなくなってきてしまっています。
疲れが溜まってきているのかもしれません。
それとパソコンに向かえなかったこととどうつながるのか。
よくわかりませんが、疲れてきていることは間違いありません。
こういう時にはゆっくり休むのがいいのですが、その「休み方」が思いつきません。
それに、あいにく今日は雨です。
今日は、私なりにゆっくりと休むことにします。
なにやら暗い文章になってしまいました。
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