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2010/05/24

■節子への挽歌995:疲れながら生きるのもいい

節子
今朝はちょっと「くらい」文章を書いてしまいました。
この数日かなりくらい文章が続いていました。
やはり心境は隠せないものです。

私は周囲にかなり共振するタイプですので、社会全体のくらさが私をそうさせている気もしないでもありません。
最近は重い話が多いです。
しかし、これも私の暗さが呼んでいるのかも知れません。
人の心は世界と同調し、世界は人の心に同調するからです。

だとしたら、元気になるのは難しいことではありません。
まずは心を明るくすればいいのです。
そうすれば流れは反転し、世界は輝きだすでしょう。
あるいは輝いている人に会えばいい。
そうすれば私の心も同調し心身は共振しはじめるでしょう。

昨日、ある集まりをやったのですが、その参加者の一人からこんな話を聞きました。
パニック状況に陥った人を回復させるのは、突然にまったく違った状況を創ることだと。
その話を思い出しました。
問題を解決する答は、実はまったく違うところにあるのかもしれません。

トム・クルーズの「ワルキューレ」を観ました。
ヒトラー暗殺計画の実話に基づいた映画です。
なぜか私には当時のドイツは今の日本の政治状況に重なって見えるのです。

いま元気が出てこないのは、節子がいないからではないのではないか。
もし節子がいても、たぶんこの状況に陥っているのではないか。
そんな気がしてきました。
やはり「憂鬱な社会」が私の心身を覆っているのです。
節子を逃げ場にしていた自分に気づきました。
勘違いしてはいけません。

社会に同化してしまったら、何も始まりません。
一人で生きるのも疲れますが、みんなで生きるのも疲れます。
でもまあ、「生きる」ということはそういうことなのでしょう。
トム・クルーズのような、孤高な生き方は私にはできそうもありません。
実にうらやましいですが。
節子がいたら、そんな生き方もしたくなったかもしれませんが、いまは疲れながら生きるのが私には合っているようです。

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